拾   異能

 数ヵ月後、伯母にどうして一人で行ったのかと怒られることになるのだが、秋人は遊楽街ゆうらくがいに足を踏み入れていた。昼間は閑散とした街を突き抜け、端に建つ煉瓦レンガ造りの洋館を見上げる。

 赤茶の煉瓦を白い煉瓦が横切り、縦に長い硝子窓は日の光を照り返す。二階建ての堅固な造りながら、重さを感じさせない鮮やかな壁には看板や表札はなく、両開きの扉は飴色だ。

 梅雨の時期になる前にと足をのばしたが、秋人は踏ん切りがつかない。

 時間と呑気な足取りの猫が過ぎていく。

 急に扉が開けられ、子供が出てきた。髪は蒲公英を思い起こさせる陽に映える色だ。顔のほりは浅く、驚きで見開かれた黒い瞳は幼さが残る。秋人とそう変わらない年頃に思われた。

 互いに目がかち合い、数瞬、時が止まる。


「フィンなら中にいるよ」


 素っ気なく瞼を伏せ、帽子をかぶった少年は秋人の横を通りすぎ、足早に去っていった。

 秋人は呆然と背を追いかけていた目を何度か瞬かせ、扉に戻す。隙間のできた所から様子をうかがえば、中は木の床だ。大理石を思い浮かべていた秋人は拍子抜けして建物の中に足を踏み入れた。

 入り口から真っ直ぐにのびた廊下は外観から予想する建物の奥行きよりも短く、左右対称に並ぶ小部屋を過ぎるとすぐに階段はあった。

 階段の手前まで進み、二階を見上げる。人の気配は上からだが、勝手に上がってもいいものだろうか。

 一枚の紙がつばめのようになめらかに落ちてくる。飛んできたと考えを改めたのは、秋人の目の前に浮遊したからだ。葉書と同じ大きさの紙に書かれたのは『ようこそ』と癖のある字。伝え終わるや否や、力つきたように床に落ちた。

 秋人は踵を返したくなるが、目的を果たさずに帰るわけにはいかない。しぶる足で階段をのぼった。

 階段の終わりには片開きの扉が鎮座している。簡素な印象を与えるその横に『研究室』と書かれた木の札がかけられていた。

 開けたくないという秋人の本心を余所に、扉は内側から開けられる。


「待っていました」


 悪びれのない笑顔は、どうぞと中へ促す。連絡もなく訪れた秋人を歓迎しているようだ。


「さっそく、あなたの異能を見せていただきたいぐらいですが」


 部屋に入って一番に投げられた言葉に、秋人は体を固くした。

 その様子を見た異邦人は残念そうに笑って、おいおいでいいですよと取り直す。


「慣れるまでお話を聞かせてもらえませんか?」


 所々、音の外れた頼み事は秋人にとって難題だ。視線を異邦人の手に移し、答えられることならと感情が削ぎ落ちた声で返した。

 満足そうに笑った異邦人はソファをすすめ、乱雑に物が置かれた部屋を背景に背もたれのない椅子に腰かける。いつの間にか、手には万年筆と帳面が握られていた。

 秋人は座らずに、男の手から目を離さない。

 異邦人は片方の口端だけ上げ、わざとらしく肩をすくめる。


「葛西さんに危害をくわえることはありませんよ。誓ってもいい」

「……紙は、どうやって飛ばしたのですか」


 秋人は気になっていたことをわざと訊ねた。緊張を解くつもりもなかったし、早く本題に入りたかったからだ。


「陰陽道の初歩ですね。風の力を借りました。私の理論では、この国の民は誰だって、術を使えるはずです。八卦はっかと五行を理解する必要がありますけどね」


 異邦人は近くの机にあった紙の束から一枚を手に取った。裏表を秋人に見せて、ただの紙に見えるでしょうと微笑む。


「私の場合は専門の方が術をかけたものを使っています。陰陽道のことを勉強しても、相性もあるのでしょうね。どんなに努力しても、余所者は受け入れてくれません」


 わかったようなわかっていないような、どちらとも取れる無表情で秋人は聞いていた。

 異邦人は話が通じているという体で問いかける。


「陰陽道と異能の違いはわかりますか?」


 秋人は正直にいえ、と答えた。美冬と共に異能の座学を受けるようになったが、陰陽道の話は出てこなかった。さわりは、誰もが知っているような神話と神道の話だ。

 心得たと異邦人は説明し始めた。異国の民とは思えない言葉使いで、音を外しながら丁寧に語る。


「陰陽道は自然の力を借ります――自然、では足りませんね。万物ばんぶつの道理や力を術に落とし込み、繋がり、力を使います」


 では、異能はどうでしょう、と区切り、洋装に身を包んだ男は笑みを深くする。


「神から神力を与えられたと伝えられていますね。でも、私は、自分の力を異能に変える術を体が持っていると考えています」


 長い足が組まれ、目が伏せられる。陽に照らされ輝く髪は神々しささえ感じさせた。慈愛に満ちた顔は絵物語のように語る。


「体が術式です。島国だからこそ、途絶えることなく、受け継がれてきたのでしょうね。異能者は短命なのも、子を産めば力が弱まるのも、自分の力を使っているからでしょう。『神力に体が耐えられないから、短命。神に愛されているから天国に連れていかれる』という話は私は信じていません。神力と信じられているものは、本当は人の力で、体にある見えない術式で異能が使える。まだ仮説ですけどね。えぇと、何でしたっけ。的を……『的を射る』説だと思います」


 正確には『的を得る』だと思ったが、秋人は自信がないので黙っておいた。

 こんなことを言ったら怒られるので秘密ですよ。そう、いたずらっぽく唇に指先を当てた異邦人はなおも話を続ける。


「だからこそ、体の出来上がる十五歳ぐらいで異能を使えるようになるわけです。『秘められた神力が花開く』なんて、誰が考え出したのでしょうね? 体が成長して、術式が完成すると考えた方がごうりてき・・・・・だと思いませんか」


 問いの形ではあるが、断言に近い。

 異邦人は部屋を眺めていた空の瞳を秋人に向けた。流暢に語られた口調は改められ、低い声が響く。


「貴方のような人を、『蛭子ひるこ』と呼ぶそうですね」


 世の中には高いところから、低いところへ水が流れるように一定の法則があるが、例外も存在する。地中に貯まった水が沸き上がる、といったように。

 十五歳ほどで開花すると言われる異能にも例外は存在する。その一つが『蛭子』だ。異能が七歳までに現れる人をそう呼ぶ。巨大な力を持つことが多い蛭子は、喜ばしいものと取られていたが現実は夢物語ではない。物事がまだわからない幼子には扱いきれない力だ。癇癪を起こせば、力が暴走し周りを巻き込むことになる。事実、三歳にして指の先に火をつけた秋人は不気味な化け物として扱われた。


「……俺だけじゃなかったんですね」


 秋人は蒲公英色の髪をした少年を思い出していた。異国の民にしては目鼻が控えめな少年は、強い異能者に現れる特徴を持っていた。蛭子は髪や瞳を異能に染め上げられる。秋人も一度、髪の色が変わった。


「ああ、会いましたか? あの子もそうですね。行く当てがないようなので、こちらに住んでもらっています」


 戦争があったので、手が回らないのでしょうと異邦人は独り言のように言った。

 蛭子は国に管理されることが多い。秋人が小屋に入れられたのも、岩蕗家に引き取られたのもそれが所以だ。異邦人が面倒を見るほど、人手が足りないとは思わないが、理由があるのだろうと秋人は考えるのをやめた。自分でどうこうできる問題ではないと身をもって知っている。


「異能を使うためには知ることも大切です。葛西さんのお話をうかがってもいいでしょうか」

「……答えられることなら」


 他の蛭子を知るのなら、興味を向けられても奇異な目で見られることはないだろう。秋人は己のことを話す覚悟をした。


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