拾壱  研究

 万年筆を持ち直した異邦人は秋人を眺めて口火を切る。


「白い炎を出すらしいですね」


 秋人が小さく頷くのを確認してから、問いが重ねられる。


「では、最初から行きましょう。生まれた時の状態はわかりますか」

「……ひたすら寝ていたと」


 秋人の生家での記憶はどれも同じだ。気味悪がれ、罵られ、嗤われ、三歳になっても何も話さない葛西家の末子はそれを浴び続けた。

 産まれた瞬間も泣かず、死んだものと思われていたらしい。かろうじて息をしていたから、とこに転がされた。起きもせず、泣きもせず、寝ながら乳を飲んだという。家族にも家人にも疎まれ、『あれ』と呼ばれる始末だ。


 お前に生まれた意味はあるの。


 赤子を産み落とし、死んだ母恋しさに吐かれた姉の言葉だ。眠り続ける弟は夢の中でその音を拾った。

 古い記憶の合間を縫うように、異邦人の言葉が落ちてくる。


「能力はいつ現れましたか」

「……三歳の時に」

「どれぐらいの力でしたか」

「指先に、少し」


 その時の記憶は秋人にはない。言葉を話さないにしても、起き上がり、座って飯を食べるようになった子供はそれ以外、全てを寝て過ごした。乳母にはため息ばかりついていた気がする。

 物を指差すようになったと思えば、その指先に白い炎が現れた。そんなちっぽけな火で何ができるんだと兄に何度も馬鹿にされたことを今でも夢に見る。


「力が暴走した時のことを、教えていただけますか」


 遠い目をする秋人を気遣うように訊かれた言葉は生ぬるかった。

 暴走なんてものじゃない、あれは地獄の業火だ。全てが灼熱の白い炎に囲まれ、悲鳴が叫び声が、嗅いだことのない臭いが、熱さが幼い体を中心にとどろいた。意思を持つように、葛西の屋敷だけを跡形もなく燃やしつくした白い記憶。三日三晩、手をつけられなかった炎は忽然こつぜんと消えた。屋敷の跡に倒れていたのは髪を白く染めた葛西家の末子――後に秋人と呼ばれる少年ただ一人。小屋に入れられ、真相を訊かれても少年は答える術も気力も持ち合わせていなかった。

 遠くに追いやっていた記憶を思いだし、浅くなる息を秋人は意識して大きく吐く。どう答えればいいのか迷い、言葉が出てこない。


「この話は誰も聞いたことがないそうですね」


 眉を八の字にした異邦人は話を切り上げようと帳面を閉じた。

 何処まで知っているのだと秋人は底のわからない澄んだ瞳に問い詰めたくなる。根拠はないが、彼が何もかもを知っていて、確かめているだけに見えたからだ。情けをかけるような瞳がひどく癪に触った。普段は流し捨てる感情がよどみ、ふくれあがり、上手く動いてくれない口から無茶苦茶な言葉が飛び出す。


「父が、俺を、殺そうとしたんだ。金が、ほしいからと。抵抗したら、それで――」


 ぱちん、と乾いた音が響いた。

 秋人が音をした方を見れば、白い炎が黒い瓶に閉じ込められている。黒いと言えども透けているので、炎の揺めきがよく見てとれた。


「はい、落ち着きましょう」


 声がした方を見やれば、満悦に彩られた異邦人がいる。

 それは、秋人を嘲笑うかのようであった。


⊹ ❅ ⊹


 秋人は二週間に一度、遠くに使いがあると言って屋敷を空けるようになった。本当の用事は洋館を訪ねることだが、美冬には親戚の世話をしていると言っている。

 様子を訊ねてきた美冬に、話せるところだけ聞かせたら、部屋の汚れを見るよりもつまらなそうな目を向けられたのは二度目の訪問を終えた時だ。それから、数ヵ月がたつが話題には一切上がってこない。

 美冬の気まぐれが始まる前にと、日が上ってすぐに秋人は玄関に向かう。後ろめたい気持ちに背を向けて屋敷を出ようとした秋人を、しかめっ面の美冬が呼び止めた。


「お前、変よ」


 自分の思ったままに言葉をぶつける令嬢は開口一番にこれである。

 秋人は内心、かなり動揺したが、鉄壁とも言える無表情で振り返った。曇天の瞳に美冬をとらえ、ため息混じりに朝の挨拶をしてから続ける。


「……なにか、おかしいところがありますか」

「本当に、親戚の所で世話をしているだけなのよね?」


 腕を組んだ美冬は一歩、秋人に近づいた。

 背は美冬の方がわずかにあるだけで、さほど変わらない。顔だけがさらに近づいた。

 秋人は斜め下を見る振りをして上半身を引いて答える。


「……掃除ばかりしています」

「ふぅん? お前、何か隠しているでしょう」


 秋人は体の奥底が波打ったのを感じた。行く先や目的がばれたのかと背中に嫌な汗をかく。答える代わりに、ちっとも動かない顔を盾に美冬とにらみ合った。

 いつだって、根負けするのは堪え性のない美冬だ。


「秋人、最近楽しそうよ」

「まさか」


 いつもなら、のろいと言われる返事が口をついて出た。

 美冬が柳眉をつりあげ捲し立てようと口を開きかけた時、屋敷の奥から娘を呼ぶ声がする。彼女は手のひらを返したように駆けていった。

 秋人は美冬が戻ってこないことを確認して、そっと息をついた。最後にもう一度、確認して門を出た秋人の鼻に銀杏の香りがすべりこんできた。癖のある臭いだが、嫌いというほどではない。

 落としていた目線を上げれば、地面にも空にもやわらかい黄色が広がっていた。

 異邦人の髪を思い起こした秋人は脳裏のものを蹴散らそうと目を閉じる。

 異能の習得は歯がゆいほどに行き詰まっていた。頼る相手を見誤ったと思うこともしばしばあるが、異能のことで頼れるのは父と伯母、異邦人ぐらいだ。父は忙しく、伯母は首を縦にふることはないだろう。

 異邦人のことは知れば知るほど頭を抱えたくことばかりだ。人をあざむくことが天下一の奇人は、目的のためならば、同情した素振りで仏に手を合わせ、全てを見透かす姿を装い本性を暴いた。研究者と自称するだけあって、あらゆる知識を持つことは確かだが、秋人の異能を使って実験を始めると何にも興味を示さなくなる。

 放置された秋人は秋人で、手持ちぶさたに洋館を燃やすわけにもいかず、散らかった部屋の片付けをすることが多かった。手始めに握り捨てられたごみを集め、部屋の隅に投げられた布で扉や窓の拭き、本棚の埃まではたいてやっている状態だ。親戚相手ではないが、空いた時間は世話を焼いていることに偽りはない。

 鼻に届く香りのせいで、葉の色を思い出し、苦々しい笑顔を思い出す。どうしても思考を閉め出すことができなかった秋人は幻影を断ちきるように足早に進む。まだ大人になりきれていない背中は新しい世界に気を取られ、嘘を重ねていることに気付けていなかつた。


⊹ ❅ ⊹


 洋館についた秋人が求められることは至って単純だ。異能を使うこと、それだけである。

 抑えたり、操らなくてもいいとわかれば、秋人にとっては朝飯前だった。腹の底や胸から沸き上がる力は全身に巡り、いつだって外の世界に飛び出そうと機会を窺っている。指先の神経をゆるめれば簡単に白い炎が出てきた。

 それを自称研究者に見せれば、あなたは息をするように異能を使えるのですね、と言われた。秋人にしてみれば、異能を使うのに努力がいるのかと驚いたが、それはもう過去の話だ。気がふれているのかと思うほど、白い塊を求められた数はもう覚えていない。

 いつものように黒い瓶が秋人に差し出される。

 白い炎を黒い瓶に近付ければ、飲み込まれるように瓶の中に収まった。瓶は黒水晶を混ぜた特注品だ。内側にはまんべんなく術が施されているようで、異能は黒水晶に引かれるが吸わない仕組みになっている。白い炎は芯も油もない状態で燃え続けた。呼気があたらなくなり、雫の形でとどまり、蛍の光のようにぼぉと瓶を透かす。

 くすくすと異邦人の笑い声が響く。機嫌がいいらしい。いつもなら白い炎を手にいれるとすぐに実験を始める異能狂いの顔が、春の空のように穏やかだ。瓶に収まる白い炎にわざと息を吹きかけ、ゆらぎを楽しむ。まるで炎に話して聞かせるように語りだした。


「前に、体が術式だと言ったでしょう。将来、異能者になる赤子を細い小枝としましょう。細い小枝が異能に耐えれると思いますか? 時間と水と大地の力をもらい、やっと、立派な木になります。体ができてから、異能が使えるようになると言ったのはそういうことです」


 木に例えましたが、花の一族でしたね、と可笑しそうに笑った顔が小首を傾げる。


「葛西さん。木はそのままで使えますか?」


 急に問いを投げられ、秋人は押し黙った。あまり物語らない瞳に困惑が揺らめく。


「切って薪にしたり、削り取って道具にしたり、組み立てて家にしたり。木はそのままでは使えませんよね。使い方を知らなければいけません。蛭子は例外みたいですけどね」


 両手の指を組んだ異邦人は間を取った。猫のように細めた目を秋人に向ける。


「例えるなら、葛西さんは窯で育てられた炭、それから火打ち石を持っている状態です。恐らく、生まれた時からそういう体だったのでしょう。ちょっとコツさえ掴めば簡単に異能が使えます」


 使い方はわからないみたいですけどね、とおまけのように付け足された。

 人魂のような白い炎が空の瞳にも映りこんでいる。

 秋人はいたたまらない気持ちになり、瓶の炎に目を移した。

 上機嫌の異邦人は瓶の底を見るようにかかげ、論じ始める。


「瓶を閉じれば、空気がなくなり、消えます。でも、開けた状態だと三日は燃え続けます」


 炎がいつ消えるかは予想がつかないのだ。すぐに消えることあれば、三日間燃え続けるものもいる。秋人にも力加減の問題なのだろうとは予想ができたが、わかっていてもできない、悩みの種だ。


「使うのが楽な分、止め方がわからないのでしょうね」


 穏やかな言い方が何処か馬鹿にしているようで、秋人は嫌気が差してきた。やる気が下がるにつれ、瓶の炎が縮んでいく。


「おや? コツが掴めましたか?」


 人懐っこい子犬のように空色の瞳が輝く。

 消すことを意識するのではなく、士気を下げれば力が落ち着くみたいだ。秋人は無表情の裏で、消したい時は異邦人の顔を思い出そうと決めた。




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