50 (アラン)

 ジゼルが今日、旅立った。十三になったばかりの娘に、たった一人で旅をさせるなんてビルセゼルトはどれほど悩んだ事かと思う。


 いつか僕はジゼルの許へ行くことになる。地上の月としてジゼルが目覚めた今、そしてその加護を得た僕はジゼルが僕を必要としたとき、必ず馳せ参じることになる。


 あの日、多分、僕は一度死んだ。ほっ、と最後の息が肺から抜けて、それきり肺は息を吸うのをやめたと感じた。それとも単に、気を失っただけだったのだろうか?


 気が付くと周囲には数人の魔導士がバタバタと動き回り、その中に父がいた。父が僕を抱き起していた。しっかりしろ、と泣きながら父が叫んでいた。


 自分では動けず、やっとのことで見渡すと、落雷で命を落としたむくろが三体、それを眺める魔導士の中にビルセゼルトがいて、いつも以上に怖い顔をして立っていた。少し離れて立っているのはジゼルで、ガタガタと震えているのが僕のところからでも判った。


「気が付いたか?」

ビルセゼルトがこちらに気が付いて歩み寄る。


 父に支えられ、やっと上体を起こしている僕のかたわらに膝をつき、僕のひたいてのひらを当てた。記憶が読み取られていくと感じる。


「ビリー、こいつに何が起こった?」

父がビルセゼルトに問う。


「うん、月の加護を獲得している。ジゼルが与えたようだ」

「ジゼルが?」


「何かがジゼルの封印を解き、私が探っても判らなかったもう一つのジゼルの得物を露わにした。『月』だ。ジゼルは地上の月だ」

アウトレネルが目を丸くし、ちらりとジゼルを見る。


 そんなアウトレネルを無視し、ビルセゼルトが話を続ける。


「アランは月の加護を得、それにより得物に『光』が加わった」

「それは……つまり、どうなる?」

ビルセゼルトが父を盗み見たように感じた。


「月の加護により、体力が強化された。私の思惑とは違う方法だが、まぁ、こうなったからには仕方ない」

「いいことなのか? それとも?」


「落ち着けレーネ、アランは高位魔導士の仲間入りを果たした。精進次第で最高位魔導士も夢じゃない。良い事だと思うぞ」

「こいつが、高位魔導士? 最高位魔導士?」


「魔導士学校卒業前に高位魔導士を獲得したのは初めてだろう。だが、不足している知識を補わなくてはならない。きちんと卒業してもらうぞ」

「うん……うん……」


 戸惑う父を気にすることもなく、ビルセゼルトは再び僕に手を伸ばし、掌で僕の目をおおった。


「……ただ、代償を支払わされている」

「代償?」

父の声が震える。


「治癒術ではどうにもならないようだ。神秘契約だ、諦めるしかないか」


それからビルセゼルトは、僕の手を取ると、裏表、右左と、じっくりと見、なにか調べているようだった。


繊細せんさいで、器用な手だ。これならば色まで感知できそうだ」

「色まで感知?」


 父を無視してビルセゼルトが僕に語り掛けた。僕の両手をぎゅっと握った。

「アラン、キミはもうじき目が見えなくなる。命を救う代償だった」


「ビリー! どういうことだ」

叫ぶように言う父を、落ち着け、とビルセゼルトがたしなめる。


「どうやら、それを補うため、ジゼルが月の加護をキミに与えたようだ。結果、得物に光が加わり、キミは目が見えずともすべてを見渡すことができるようになった。もともとキミは感知することには長けている。それを生かせ。さらにこの手は、多くの物を読み取れるようになる」


「それは……」

僕の声は聞き取り辛かっただろう。

「見えているのとはどれほど違うのでしょうか?」


「ふむ……」

ビルセゼルトは僕を見詰めた。


「実のところ、得物に光を持たない私には、その問いに答える言葉を持っていない。影はいても光を持つ魔導士は今までいなかった。そして光を扱える魔女はいるが、魔女の力と魔導士の力は異質で、どこまで共通するか判らない」


 僕はいつものように笑って見せた。でもきっと、いつものようには見えなかっただろう。

「なるようにしかならないってことですね」


 むくろはジゼルの仕業と確定され、だが、それは殺人ではなく、罪人を処分したに過ぎないと認定された。罪人の処罰は魔導士に与えられた義務でもある。つまりジゼルは当然の義務を果たしたに過ぎない。けれどジゼルは震えていた。自分が人を殺した事実を消せずにいた。


 動けるものならジゼルのそばに行って、大丈夫だよ、と抱きしめてあげたかったが、父に支えられてやっと上体を起こしていられる僕には叶わないことだった。


 なぜ、ビルセゼルトは恐怖に震える娘を抱き締めてやらないのだろう? 疑問と、きっとこれは怒りだ、を感じながら僕は眺めているしかなかった。


 ビルセゼルトがジゼルに近づいたのは、ジゼルが手にしているあの剣、どこで手に入れたか判らないが銀色に輝き、美しい装飾がほどこされた剣を検分する時だけだった。


 やがてむくろは片づけられ、僕はギルドの管轄地にある住処に戻され、ジゼルは魔導士学校に連れて行かれたと父に聞いた。


 ジゼルは必要な知識を取得後、街の魔導士として旅立つことになった。


 旅立つ日の二日前からジゼルは食堂で食事を摂る事が許されて、シャーンや僕たちとの交流も許された。グリンはジゼルがいることに気が付いていたようだったが、見ないふりをして遠ざかっていた。


 ジゼルは……僕以上に変わっていた。髪の色も瞳の色も以前と変わりはなかったが、何しろいきなり大人びた。


 あの、すがるような眼差しは消え、すべて知っているとでも言いたそうな、そんな目つきになったとシャーンが僕に教えてくれた。


 そう、髪の色と言えば、僕の髪だが、陽光の下では今までと変わらず、闇の中では揺れる光を放つようになった。その明るさは、月の満ち欠けによって変化するらしい。


 らしい、と言うのは厳密には僕には見えないからだ。


 感覚を研ぎ澄まし、得た刺激を脳裏に絵のようにイメージする。目から入る刺激とは違うものに戸惑い、うまくいかない。


「もう一度、その目で見たいものはないのか? それをイメージして手掛かりにするといい」

と、ビルセゼルトが僕を励ます。校長は、目に変わる感覚を僕に持たせるため、多くの時間と、魔導士学校の一室をレッスン室として僕にくれた。


 もう一度見たいもの、そう言われて僕はシャーンの顔を思い浮かべた。おぼろげな輪郭りんかくが浮かぶ。


 ふと、誰かが僕の手に触れた。その途端、朧げだったものが、パッと輝き、シャーンが微笑んでいた。


「シャーン?」

「そうよ、シャーン」

僕の手を取り、頬に触れさせる。


「キミのお陰で感覚がつかめそうだ」

「良かった。頑張ってね」


次の講義に行くから、とシャーンの足音が遠ざかる。


 父に家に連れ戻された翌日、キミは僕の見舞いに来てくれた。きっと僕の気持ちを察した父が、キミに来てくれるよう頼んだのだと僕は思った。


 あの日、キミはやたらと笑い、僕のつまらない冗談に笑い転げ、僕の気持ちを軽くしてくれた。その笑顔を僕は忘れたくないと思った。


 けれど不思議だね。僕がキミを思うとき、心に浮かぶのは別の顔なんだ。


 尻尾が切れてもトカゲは死なないと、知った時のキミの顔。あの嬉しそうな笑顔なんだ。あの笑顔を僕は忘れない。忘れていない。


 忘れられないんだ ――



<完>

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