2‐3

 たしかに。静馬は思った。自分も珍しい化石や鉱物の標本をそれなりにいい値段で購入したことがある。植物にもそういう類の取引があっても何ら不思議ではない。事実、希少価値の高い植物を売買するプラントショップは都内だけでも数十はあった。

 しかし、それでもやはりどこかにしこりがある。岡安が転売目的で植物を育てるとはどうしても思えない。過去を美化しているだけなのではないか。不意にそんな事も思った。

 彼と飲み明かした夜や、下らない話に花を咲かせた日々は思い出と言う名のフィルターを越してみた幻なのだろうか。


「いや………こんなのは見たことないね………」

 今日、18件目に訪れたプラントショップの店主の言葉に、静馬はどこか安堵を覚えていた。店主はイオテリスの写真をじっくりと見た後、蓄えた髭を弄びながら写真を突っ返してきた。

「ただまあ、これぐらいデカくて、成長してるとなるとねぇ……もしも個人取引したとしても都内ぐらいの輸送が限界じゃないかね」


 都内か― 礼を言って外へ出ると静馬は路肩に停車しているニカのハスラーまで歩いた。

 岡安探しを始めてから既に1週間ばかり。ニカは相変わらず毎日付き合ってくれていた。


「ダメだ。ここもなんの手掛かりなし」

 助手席に乗り込むと、静馬はドリンクホルダーに置いてあったペットボトルに手を伸ばす。ニカは運転席でスマホを弄っていた。

 二、三口水を口へ運びながら次はどこへ行こうかと考えた。少し傾いた太陽がアスファルトを焼き、ビルの隙間から巨大な入道雲がこちらを覗き込んでいる。手掛かりは依然無し。足取りも動向も未だ掴めない。岡安はその気配すらどこにも漂わせていない。気になってスマホのニュースサイトを見ると、また武蔵野で殺人事件が起こっていた。嫌な予感が想像を掻き立て、静馬はあの日見損ねた彼の寝室を思い出した。

 強い力で引き千切られたような跡。激しい損傷を受けた遺体。ニュース記事に唾棄したくなるような言葉が並んでいる。


「先輩、」

 スマホをから顔を上げ、ニカを見る。

「私、実店舗で販売してないんなら、オークションサイトとかフリマサイトとかで売ってるんじゃないかって考えたんですけど………これ」

 ニカは焦らすようにスマホの画面を静馬に見せた。そこに映っていたのは紛れもなくあの植物。

 イオテリスだった。


「これは………」

「ヤフオクとか℮Bayとかは全滅だったんですけど、オークション、植物、珍しいって検索かけたらこのブログがヒットしたんですよ。どーやら、何らかのオークションサイトで購入した物らしいですね」

 イオからスマホを受け取り、もう一度まじまじと写真を見る。こじんまりとしたプランターにイオテリスがしっかりと蕾をつけるまで成長している。撮られた場所は何処かのベランダらしく、後ろには樹木が群生し影を作っていた。

「これをどこで買ったか分かるのか?」

 ニカは首を振った。

「ブログにはオークションで買ったとしか書いてませんし、ブログの更新も二週間前でストップしてます。ただ………」

 彼女は静馬からスマホを取り返すと、少し得意げな顔で彼を見つめた。

「場所なら分かります私。これ井の頭公園ですよ、多分」



 井の頭公園に着くと、ニカは何かに導かれるようにして、公園の中を進んでいった。彼女は時折、立ち止まり、辺りを見回し先へ進む。静馬には黙ってそれに着いていくことしか出来なかった。

 しばらく、公園を進み、ニカは突然声を上げた。

「先輩、これですよ!」

 彼女はブタの形をした滑り台へ駆け寄ると、その表面をバシバシと叩いた。日光と風雨に晒されたピンク色の表面は白っぽく色あせていた。


「ごめん。よく分からないんだけど」

 ニカは再びスマホで、例の写真を見せてくる。

「これです。この雑木林の奥のとこ、ピンク色の塊が見切れてません?」

 確かに注意してよく見れば、画面の奥。木々のほんの少しの隙間から、オブジェクトの臀部が迫り出している。

「なんか見覚えあるなーって思ったんですよ。この形と色。ほら、やっぱこの曲がり方と色味、そっくりじゃないですか!」

「ってことは……」


 静馬は林の奥を眺めた。ニカはその視線を追い越すように遊歩道から、雑木林の中へとぐんぐん入っていく。果たしてアパートはそこにあった。

 正確には井の頭公園の境界線を越えたすぐ向こうに白塗りのアパートが一棟立っている。写真の位置から考えて、写真が取られたのはアパートの一階。目星の部屋はすぐに見つかった。


 しかし、ニカも静馬もその異様な雰囲気に思わず足がすくんだ

 写真が撮られたと思わしき、部屋の窓が大きく破砕している。そこから覗く室内は酷く荒れ果て、人のいる気配はない。ベランダに置かれた園芸ラックには写真で見た鉢とゆっくりと土に還ろうとしているイオテリスが植えられていた。間違いない。写真が撮られたのはこの部屋だった。


「どういうことだ………」

 ニカはスマホを片手に、部屋を背にしてたった。画面と実景を何度も見比べ、彼女は眉をしかめる。数歩右へ左へ位置を調整した挙句、彼女は首を傾げた。

「先輩。この写真ちょっと変かもしれないです」

 部屋に見とれていた静馬は彼女の言葉で振り返った。

「ここアパートの窓から真っ直ぐ見ると、さっきの遊具が映るはずですよね………? でも、ここに立つと………」

 ニカに習って静馬もアパートを背にして前方を見据えた。そこから視点をどう調整しても遊具の影すら見えない。写真では遊具の手前に一本の木があるが、それも視界を遮るような大きさではない。原因は直線上に佇む、それとは別の障害物の所為であった。静馬は視点を絞りながら漫然と障害物へ近寄っていく。


 それは巨大な樹木であった。樹齢を考える時もが冷えそうになる幹の太さ。眼前にあると、それは円柱ではなく一つの壁に見えた。

 木の表面に手を這わせ、静馬はゆっくりと木を見上げた。まっすぐに伸びた太い幹には枝が一切ついていない。雄に四十メートルはあるだろうか。巨木は頭を限界まで仰け反っても途切れることが無かった。

 突き抜けた先の空が薄暗く淀み始めている。静馬の頭にあったシグナルが不穏な空気を巧みに感じ取っていた。


「どっひゃあーッ、めっちゃでっかい木ですね! 先輩ッ!」

 ニカも首を上げて、その木を見つめていた。樹冠をみようとして、首を上げながら後退しているニカは、静馬が危惧した通り、何かに足を取られその場にすっ転んだ。

 ニカを抱き起こそうとした静馬だったが、その興味はたちまち、彼女の足元にあったに移らざるを得なかった。彼は一度、視線を周囲に向け、辺りを見回した。

 違和感。そのベールが剥がれて来ると、それは決定的なものになった。巨木だけではない。周囲の木々、そして植物はどれも異様ななりをしていた。見たこともない在らざるべき植物が巨木を起点として辺りに広がっている。

 一巡するようにして、静馬の視線がニカの足元へ戻ってきた。岩のようながそこにはあった。イタチやテン。まして犬や猫の物とは似ても似つかない巨大な糞。ニカはそれに足を取られ、転んでいた。


 彼女が踏んだ糞の割れ目から、強い刺激臭がする。肉食性の動物の糞。それも糞の巨大さから考えて、人間よりも大きい体躯を想像させる。

 それに触れようとした静馬を、堪らずニコが制した。

「ちょっと先輩ッ! そんなものまじまじと見なくていいですから!」

 彼女のラバーソールにべっとりと糞がこびり付いていた。

 冷たい風が吹く抜け、湿った空気が臭気をかすめ取っていった。二人の間には深い影が落ちて、ポツポツ雨が降り始めた。

 次第に勢いを増す雨に、二人は束の間、植物も糞のことも忘れて夢中で車に走った。


「ど、どうします………?」

 バッグから取り出したタオルで頭を拭きながら、ニカが尋ねた。静馬は濡れた髪を手で拭い、肺から空気を絞り出した。エアコンから流れ出る冷気が首筋に当たって妙にむず痒い。彼はスコールのような雨に打たれるフロントガラスを見て、少しの間逡巡した。あの巨木、そして辺りに自生した無数の植物。見たことはなかったが、見覚えがあった。だが、だからこそ意味が分からなくなった。


「あの巨大な木。あれはレピドデンドロン、石炭紀に群生していた大木だ」

 バックミラーを見やると、林の中から頭一つ抜きん出た例の巨木が見えた。

「ただし………数億年前に絶滅している。それから、辺りに生えていたあの植物。名前は知らないが、どれもその………なんというか原始的なんだ。石炭紀よりももっと古い、例えば白亜紀、それぐらいの植物の特徴を持っている感じがした」

 ニカは頭を拭く手を止め、目を細めた。

「分かってる。あり得ないっていうのは。だが………とりあえず、さっき撮った写真を教授に送って―」

「そうじゃなくて、ここからだと先輩の家の方が近いですよね?」

「は?」

「先輩の家で私、シャワー浴びますから」



つづく


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