2‐2
2日間、彼の家を見張った後、探さなければと静馬は思った。誰もいない部屋や既読の付かないLINEが不安を掻き立てたからではない。直感的にそれとは別の、切迫する気持ちが彼を急き立てたからだった。
それは零れた何かを拾い集めるのに似ていた。
拾い集める― 例えば、あの夏の日を。
家を出た静馬は駅へ向かう道中、一軒の家の前に張られた規制線に目を止めた。家の門に渡された黄色い一枚のテープの向こうで、警視庁と書かれたジャケットを羽織った人間が忙しなく動き回っている。
昨年の夏―8月12日が、今そこに帰ってきていた。
なにも見なかった。通り過ぎよう。その考えは所詮本心の上に掛けられた一枚のベールに過ぎなかった。あの夏を想起させる黄色いテープは静馬の足をその場に打ち付け、彼は硬直して動けなくなってしまった。
粘ついた冷たい汗がこめかみを流れ落ちた。
彼を再び現実へ連れ戻して来たのは
「うわぁ………またですかぁ?」
という底抜けた聞き覚えのある声だった。
手でパタパタと顔を仰ぎながら、ニカがすぐ後ろに立っていた。
「最近、この辺り多くないですか? 殺人事件。前は駅前のアパート、先週は武蔵野公園沿いの家。どれもグッチャグチャらしいですし………猟奇殺人ってやつですかね、先輩?」
口内に沸いてきた唾液を、何とか飲み干すとやっと体が楽になっていく感じがした。
「なんで、ここにいる?」
「なんですか、その言い方。先輩から何の連絡もないから、家まで来てみたら、道のど真ん中で突っ立ってる先輩を見かけて心配して声掛けたのに」
相槌を打って、再び規制線の中を見た。黄色く機械的に立ち入り禁止とだけ伝えるテープが世界を分断し、その向こうにはどうやってもたどり着けない様な感じがした。
「で、先輩はお出かけですか?」
「いや……岡安を探しに行こうと思って」
「なるほどー、どっか心当たりとかあったりするんですか?」
心当たり。そんなものはほとんどないと言ってよかった。
その店から出ると、静馬は左右を見てニカの姿を探した。先ほどまで店先で何かを物色していた彼女は、いつの間にか通路を挟んだ向かい側の店前に座り込んでいた。
ガラスケースを覗き込む彼女は背後に静馬の姿を見止めると、呟いた。
「どーでした?」
静馬は首を振った。岡安とはそれなりに深いつながりを持っていると自分では思っていた。しかし、彼の行きそうな所と言われると案外思いつくものはなかった。彼と何かをするときは、必ず自宅であったし、自宅でもゲームをしながら下らない話をするぐらいだ。そう、ゲーム。取っ掛かりの一つ目はそのゲームだった。彼が中古のゲームを購入する店はいつも決まっている。その店の店主であれば何か知っているのではないかと、思ったのだ。
「先々月、ゲームを買いに来て以降、見てないらしい」
静馬は腕を組み、俯いて唇を噛んだ。探さなければいけない。そうは言っても、手掛かりも痕跡もないのだ。彼は部屋に残されていたあの植物たちのことを考えた。
「でも、ちょっと驚いたなー、先輩がこんなとこ来るなんて」
「こんなとこ?」
「中野ブロードウェイですよ」
岡安とどこかへ出かける時は植物園か中野ブロードウェイぐらいだ。静馬にはよく分からなかったが、彼はいつもそこで古いゲームソフトや本を漁っていた。歩き疲れると絵夢に入りホットケーキを食べた。
「よく来るのか?」
「来ます来ます来ますとも!」
興奮気味に立ち上がりながら、ニカが言った。確かに彼女の懐古趣味を考えると、好きそうな物に溢れている。
「いーですよねぇ………この独特の雰囲気と匂い。懐かしーよーな、くさいよーな。小さい頃パパに連れてこられてたからですかね。この匂い、ノスタルジック掻き立てられるぅー」
静馬も鼻を動かしてみたが、油と消毒の混じった様な匂いがするだけでよく分からなかった。彼女は構わず続ける。
「匂いが記憶と直結してるんですかね? なんか、そーゆーのありませんでした? クレヨンしんちゃんで」
首を傾げる静馬を置き去りにして、ニカは素っ頓狂な声を上げた。
「あぁ! アイゼンボーグじゃん!」
彼女の興味は瞬転し、齧りつくようにしてガラスケースを覗き込んだ。ケースの中には、一枚のレコードがイーゼルに立てかけられていた。ジャケットにはアニメ絵と実写の奇妙な怪獣が映っていた。静馬は癖でそれが何の恐竜なのか、少し考えて止めた。恐竜にしては歪すぎる上に、詳しくはないがきっとこれは怪獣だ。隣にはボーンフリーと書かれた似た様なレコードも並んであった。
「古いな。こんなのも詳しいのか?」
「こんなのって………アイゼンボーグ面白いんですよ? 恐竜もいっぱい出てきますし。恐竜オタクの先輩なら絶対好きになりそうなのに」
「ってことはこれ、ティラノサウスか………」
背格好から考えて、二足歩行をしているらしきその怪獣をもう一度見た。
「ま、ジュラシックパークにくっっだらないツッコミ入れるロマンの欠片もない先輩には分かりませんよーだ。…………あッ、待って待って待って! たまのCDもあるじゃん、ここ!」
「たま?」
「なんか、独特の曲だな………」
戻った車の中でニカの買った「たま」を聞いた静馬は呟いた。
「いいですよねぇ、一番有名なのはこのさよなら人類ですけど、他にもらんちゅうとかオゾンのダンスとか、あ、あと学校に間に合わないもいいんですよ。そもそも、たまはですね―」
滔々と語るニカの話を聞きながら、静馬は空になったCDケースを手に取り、眺めた。元々のバーコードがあった場所へ上から張り付けるようにして、まんだらけの値札が貼られている。
思わず、声が漏れた。
驚いて顔を向けるニカに
「こ、これ、こんないい値段するのか………?」
「え、ええ。まあ」
平然とニカは答える。静馬は恐る恐るグローブボックスへとケースを戻した。
「驚きました?」
静馬は頷く。音楽に特段詳しいわけでもなければ、熱心なたまのファンでもない。だが、物には目安があり門外漢でも大凡の検討ぐらいはつく。しかしニカの購入したCDはその想像をはるかに超えていた。
「そのCD、もう廃盤になっちゃってて、手に入らないやつなんです。だから結構いい値段で取引されてるんですよ。ほら、あるじゃないですか。所謂レアものって。先輩にはただのよく分からない一枚のCDが好きな人からすれば垂涎の一品。私、古銭とかよく分かんないですけど、あれとかも好きな人からすれば、どれだけお金を積んでも手に入れたいものとかあるんじゃないですかね?」
車は中野から高円寺を抜けて、阿佐ヶ谷の交差点で信号に捕まった。横断歩道を汗ばんだサラリーマンが、タオルで首筋を拭いながら歩いていく。足取りは皆一様にあくせく、忙し気だった。
静馬はフロントガラスから差し込む日差しを避けるように、シートへ深く落ち込む。珍妙な歌が流れる車内で、彼の頭にある一つの推論が組み上がろうとしていた。
上空を抜ける飛行機の音が、一瞬何もかにもを遮ってしまった。
「レアものだ………」
「へ? なんですか、先輩。もしかして、岡安さんの居場所分かったんですか?」
図星だが、図星ではなかった。ニカの言葉である一つの可能性が彼の頭に浮かんでいた。
「例えば、岡安があの植物をマニアに売っていたとしたらどうする?」
ニカはハンドルに肘をついて口元を隠した。
「んー。つまり、岡安さんは転売の為にあのイオテリスを盗んだと。でも、岡安さんがそんなことするんですか?」
彼女の言う通りだ。彼が植物を金の為に売るとは考え難い。だが―
「ほかに手掛かりがない。可能性が少しでもあるものは全て潰した方がいい」
それを聞いたニカは少しの間、ポカンとしていたがすぐにニヤッと笑った。
「なんか、それっぽくなってきましたねぇ………私達、探偵みたいじゃないですか?」
呆れ顔の静馬と含みをもって笑うニカは、突然のクラクションで飛び上がった。既に信号は青に変わっていた。
つづく
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