今はもう誰も
2‐1
小さい頃から、恐竜が好きだった。見た目のカッコよさた巨大さは勿論心惹かれる要因の一つではあったが、それよりも化石や古代の痕跡が伝える果てしない時の流れを夢想するのが好きだった。
自分が決して触れること、見ることも出来ない世界が想像を掻き立て、いわれのない寂寥感をもたらしてくれる。
大学でも恐竜について研究する為、古生物のゼミへ入った。
昨年、ゼミの実地調査で発見したのが件の植物であった。
直径わずか4mm。氷に包まれた状態で発見された円錐状の物体は、放射年代測定によって、およそ1億2千万年前、地上に自生していた裸子植物の種子であることが分かった。植物は発見した場所にちなみ、イオテリスと名付けられた。
1億2千万年前、つまりそれは白亜紀だ。人類がまだ極小の哺乳類で、地上を跋扈する大型の爬虫類たちに怯えながら暮らしていた時代。人類の夜明けよりもはるかに遠い、暗く真夜中の時代であった。そんな時代をイオテリスは氷穴の中、ひっそりと氷に身を守られながら旅をして来たのである。
奇跡ともいえるその旅路にゼミ生だけでなく、古生物界隈も期待と興奮のまなざしを送った。
しかし、時間は冷徹な裁判官として、何者にも平等に情状酌量の余地を与えてはくれない。地上を数億年に渡って支配していた恐竜たちも時間という、一方向性の強力な力の前に滅び去った。たとえ、幾多の奇跡を乗り越えてきた数奇な植物であったとしても、それは同じだった。
保存状態こそ良かったものの、慎重に解凍された種子の遺伝情報は半分近くが消失してしまっていた。事故でも作為的な損傷でもない。遺伝子は自然劣化し、失われてしまっていたのだ。
太古の植物復活に揺れた界隈も、やがて落胆といくからの嘲りで満たされた。
そう。その植物は存在しない、存在できないもののはずだった。あり得ないことだが、でもそれは岡安の家にあり、蕾まで付けていた。
あの花、咲いたらきっと綺麗だろうなぁ。ねぇ、静馬もそう思うでしょ?―
耳元でささやかれたような気がして、静馬は身震いした。目をしぱたかせて大きく息を吸う。彼は大学の研究温室にいた。顔を上げると、ドーム状の天蓋から午後の陽光が漏れている。一定の温度に保たれた温室は暑くも、寒くもなかった。奥まった場所に人工の小川が流れ、アクアテラリウムを構成している。バードバスに集まった小鳥達を猫屋敷 澪が愛でていた。
彼の前には白髪で初老の男性が立っていた。
「で、これが岡安君の家にあったということか」
彼は唇をクムクムと動かし、声にならない唸りを上げている。それは渡会が何かを思案している時の癖だった。
「でも、先生。この種子は本来、発芽しないはずです。欠損があったし、こんな形で復元するのは………」
「静馬君。えー、君がゼミに来るのは殆ど一年ぶりだったな」
「………すみません」
「いや、別にそれは構わん。君も……いろいろ大変だったんだろうから」
「いえ、自分の身に何かあった訳ではないので……」」
「とにかく、この種子のDNAが億年かけて傷付いたように、君のいない一年で様々なことが前へ進んだというわけだよ」
静馬は眉根を上げた。
「君は犬歯を知っているか?」
頷いて、舌で歯をなぞった。
「それは本来、我々が肉食動物であった時の名残だといわれている。霊長類に分派するずっと以前のね。生物の遺伝情報とは不思議なものでね。進化の過程で失われた体の器官や構造、そしてその機能を内包した遺伝情報は全て、細胞の中にストックされているんだよ。細胞が持つ、記憶とでも言おうか。我々はこの1年でイオテリスの近親類と言える植物から、幾つかのDNAを補完し、人工的に復元させたんだ。まだ、あくまで実験段階だがね」
静馬はもう一度、プランターに植えられたイオテリスを見つめた。結局、岡安の家にあったその植物は全部で17株。その内のいくつかは既に枯れかけ、既に種を落としていた。
「もし、この植物の種子がばら撒かれたら、土壌汚染の可能性は?」
「心配はいらんよ。いくら人類が動植物の生死を操れるようになったとしても、生物の摂理まで壊すことは出来ない。復元した植物が子孫を残せるのは一代までだ。それ以降は雄性不稔で繁殖することは不可能だ」
渡会はそう言うと、温室内の小型テラリウムの前へ歩いて行った。1.5m四方のガラスで覆われたケースの中には、自動噴霧器で水を与えられる植物の萌芽が植えられていた。隣のケースにはガラスソケットに詰まった無数の種子もある。
「現段階では発芽するのはここにあるものだけだ。きっと岡安君もここから種を持ちだしたのだろう。ならば、彼の家からばら撒かれた種も一度は実をつけるだろうが、それまでだよ」
ひとしきり説明を終えると、渡会は讃嘆ともとれるため息をついて、小さく笑った。
「それにしても、岡安君の腕は流石だよ。人工のテラリウムでも発芽し、蕾の段階まで成長させることが出来たのはたった一つだというのに」
岡安には植物に関して独特のセンスと才能があった。植物を一つの物ではなく、自分と同等の生物だと捉えてるような感じが彼にはある。単なるコレクションや観賞対象ではない。家族、そんな言葉を使っていたこともあった。彼のマニアぶりには、ただの好きを越えた変愛的ないびつさがあるような気がした。
「感心している場合ですか? 盗んだんですよ? 彼。 大学の物、それも厳重管理物を」
澪が2人の間に割って入った。立ち上がった彼女の手に止まっていたインコはその名状出来ない殺気めいた気配を感じてか、サァッと飛び上がった。
「まあ、そうだが。彼ぐらい研究熱心だと、自分で育ててみたいと思っても不思議ではない」
「じゃあ、先生は彼の行動を認めるんですか?」
「いや、そうではないが……肝心の岡安君は………今、どこに?」
「それが全く連絡も取れないままで。家にも人のいる気配はありませんでした」
静馬は言った。
「逃げたんです。きっと」
果たしてそうだろうか。冷たく言い切った澪の言葉を、大人しく呑み込むことは出来なかった。マズいことがあったら逃避するタイプの人間ではないし、第一何処かへ姿を眩ますのであれば植物を見捨てて行くわけがない。彼にとって植物こそが恋人であり、例え人間とは童貞であったとしても植物の中ではプレイボーイだったのだ。
つづく
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