Episode5 01

 風が全身に打ちつけてくる。


 いや、空気の壁を自分という刃物が貫くようにして落下している。

 コウは人生初の上空からの落下をそのように感じていた。相変わらずリアルな感覚だと思うが、こんな経験は人生であるわけがないので、実際の落下とどれだけ似通っているかはわからない。

 奇妙な気分だ。自分が弾丸にでもなったみたいに下降しているのに、手足には無重力の状態になったようにふわふわしているところもある。



 今、ルリやクータの姿は離れたところに見える。三人で固まって飛んだものの、雲を抜けると、それぞればらけて落下していた。


 このゲームの設計者がジ・ワンなのかどうかはわからないが、天才がその力を発揮したのは間違いない、そうコウは思う。各種フライト・シミュレーションのVR体験は今時、珍しいことではないが、ここまでの迫真性あったとは。


 だが、落下の感覚がリアルだということは――




 地面に叩きつけられる感覚もリアルということじゃないのか……?




 恐怖心が心を塗り替えた。


 もう地面は迫りつつあった。


 広かった俯瞰視点の視界が急速に地上の一点に収斂していく。


 あっ、もう地面が見えた。コンクリートじゃなくて、草原のようだが、この高さでは同じことだろう。


 ダメだ。



 ぶつか――





 落下の衝撃の追体験をする勇気がなくて、コウは目を固く閉じた。

 死ぬはずの出来事を味わうのは、脳に衝撃を与え、それこそ視界ジャックテロに遭うようなリスクがある。目を閉じるのは自然なことだ。そのおかげか、幸い、自分には確固たる意識があるし、「自分が異常な心理状態にあるわけじゃない」という意識ぐらいはある。


 ただ、目を開けるのは怖かった。自分のアバターが肉片になっていたりはしないだろうか?

 このゲームの作り手なら、そんなところまでこだわって作り込んでいそうな気がする。生身の自分の体は無事ということはわかっていても、楽しい確認作業ではない。

 かといって、ずっと目を閉じたままでいるわけにもいかず、コウは少しずつ目を開いた。


 まず自分のアバターに傷はついていない。倒れてはいたが、それだけだ。顔は見えないが、手も足も変な方向に曲がったりはしていない。

 けれど、アバターが正常とわかった途端、次の問題に気づいた。


 そこは観覧車から眺めた景色とも、落下中に見下ろした景色とも違う光景だった。

 まず、足元がフローリングの床なのだ。


 だが、世界中にあるフローリングの床という気がしない。生々しさを感じる。この床を自分は知っているという確信めいた感覚がある。


 誰かの影が自分の体にかかった。


 コウは床にひざまずいたまま、ゆっくりと顔を上げた。


 そこには、コウの母親、父親、それと兄が、コウを取り囲むように立っていた。





「コウは本当に絵が上手ねぇ」

「あまりおだてるな。勘違いして、あとで苦しむのはこいつなんだぞ」

「コウは将来画家にでもなるの? そういう未来もいいんじゃない?」


 そんな家族の会話が耳に入ってきた。

 いつか、どこかで聞いたことがある会話だ。頭のどこかにこの記憶がある。

 家族は誰もコウには気づいてないようだ。コウはひとまず後ずさることを選んだ。

 どんな優秀なVRデザイナーでも過去の記憶を引っ張り出せるわけがない。まして肉体を過去に戻せるわけがない。だとしたら、これは夢か何かだろう。


 その時、ようやく気づいた。

 さっき、手や足を確認したが、これはアバターじゃなくて――



 子供時代の自分の体だ。



 後ずさった足が何か紙を踏みつけた感触があった。

 振り返ると、そこには大量の紙が散乱していた。

 それも何か絵の描いてある紙だ。


 紙は材質からして、スケッチブックの帳面から、印刷されてないチラシの裏から、バラバラだったが、共通しているのはコウの描いたはずの絵が載っていることだった。時期も幼稚園の頃のものから、絵をやめた高校一年の頃のものまで混ざり合っている。


「な……何だよ、これ……」


 気づいてしまった時、落下の衝撃以上の恐怖心がコウに襲いかかった。

 見てはいけない扉を開いてしまったような、絶望感があった。

 家族の会話は離れた場所でも変わらずに聞こえてきた。

 むしろ、なぜか音量が大きくなったような気さえした。


「まあ、あの子は変わってるところがあるし、こういう道もいいんじゃないかしら?」

「それは認めるが、だからといって、すぐに商売になるような才能があるわけもないし、勉強はできたほうがいいだろう」

「コウは集団行動は苦手なタイプだと思うし、黙々と一人でできることをやったほうが幸せだとは思うよ」

「それはまともじゃないだけだろうが」

「まともじゃない子供ぐらいいくらでもいるし、それで幸せになった子供もいくらでもいるわよ」

「『まともじゃない』は言いすぎだって。コウは集団行動が苦手なだけの『普通の子』だよ。すごい才能とか、無茶苦茶努力ができるとか、そういうのはないんだから」


 心臓の鼓動が激しくなっていた。

 それがわかると、かえって呼吸も荒くなった。


 父親は自分をすべて否定する。それをなだめるような母親も、距離を置いて客観的に見ているつもりの兄も、結局は自分を否定している。表面上は否定してない態度をとっているだけで、諦めている。


 これ以上、自分抜きで自分の評価が決められていくのが、耐えられなかった。


「ふざけるなよ! 何様のつもりだよ! 俺が『まともに育ってない』だなんて、俺が一番わかってるよ!」


 何事においてもずば抜けてできるというものがなかった。成績だけで見れば、ことごとく兄から劣化した結果しか残せていなかった。


 だから、自然と絵のほうに重心を移していったのに、高校のコンクールですら入選しないレベルだった。美大を目指しますとか、まして芸術方面で働きたいとか、自分ですら恥ずかしくて言えないレベルだった。


「どうせ、この家の中で俺だけが突然変異種なんだろ! しょうがないだろ! そういう出来損ないだっているんだよ! 迷惑かけないように隅っこで生きてるんだからいいだろ! 優秀なあんたらにはわからないかもしれないけど、極端に劣ってるわけじゃない、どこにでもいる普通の人間なんだよ!」


 頭を抱えながら叫んでいた。そんなことで事態が好転するなんて思っていなかったが、じっとしているのが耐えられなかった。


 影が動いた。


 父親が体をコウのほうに向けたらしい。


「何を言っているんだ」


 父親がはっきりとコウを認識している。

 そして、父親はこう続けた。




「お前はいつからウチの子になったんだ?」

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