Episode3 02

《AVENA》へのアクセスはウェブ上にある問題を解いた時にもらえる鍵を使えばよい。


 この時、一定人数までなら同じインスタンスに入ることになる。


 インスタンスとは、大雑把に言えばオンラインゲームのマッチングのように同時アクセスした者が入る、共通の小部屋のようなもののことだ。


 設定によってはフレンドのみ等の空間にもできるが、パーティーを組むような手順も、仲間に合流するような手順も踏まずに同じ場所に出られたのでおそらくそういうことなんだろう。




 アバターのコウたち一行が降り立った先は、一言で言って真っ白な空間だった。


 もっとも白一色で塗りつぶされている奥行きも何もない空間とは違う。

 どちらも白いとはいえ地面と空の区別ぐらいはつくし、目を凝らせばかろうじて遠景に何かがあるような、ポリゴンのわずかな濃淡の縁取りが見えた。


 空間自体は広く見えるがユーザーは一カ所に固まっている様子で、広い空間の中央に人だかりができていた。ざっと見たところ百人ほどだろうか。


「何これ、杏仁豆腐みたいな場所だね~」

 あまゆーが料理研究部らしい比喩を言った。


「確かに、白すぎるな。テクスチャの読み込みエラーでも起こしたのかと思った」

 コウもそう言って、一歩、その真っ白な空間に踏み出すと、靴の先が着地したところから波紋が浮かんだ。


「これ、ただの白い床じゃなくて、水が薄く敷いてる仕様になってますね。なかなかオシャレじゃないですか」

 クータが肯定的に評価する。


 ただその声は、余裕のあるものからすぐ驚愕のものに変わった。


「この波紋、何かの図案になってますよ!」

「うわ、なんかマジカッコイイじゃん! この鳥の絵……なんだろう? 麦と……カラス?」


 そう言ったのは同じように波紋をつくっているルリだった。

 バレッタも前に一歩踏み出して、波紋を作る。

 同じようにあまゆーも波紋を作っていた。


「なんでカラスって思うの? ただの創作上の鳥のモチーフにしか見えないけど」

 尋ねたのはあまゆーだ。波紋越しに浮かぶ図案は、鳥が麦に向かうような絵柄を蔦模様が囲っているもので、見ただけではカラスとは思えない。


 確かAVENAについて調べた時に床の模様についての話もまとめられていた気がするが、それを思い出すより先にルリが自分の考えを述べた。


「あー、オリンポスって、カラスムギのことなんだ。そのまま名前から考えるとカラスなのかなって。安直すぎたかな?」

「……そういやジ・ワンじゃないかって考察サイトにもそんなことが書いてあったな……」


 コウがぼそりと言った。


「ジ・ワン?」

 ルリが知らない固有名詞に反応した。コウはつい専門用語を口にしてしまったと、ばつの悪い顔をしてしまう。


 しまった。


 VRに詳しくない人間にとったら、謎の単語だろう。

 誤魔化すこともできそうにない。


「ええと、ジ・ワンっていうのは正体不明で伝説的なVRデザイナーの名前で、抽象な表現なんだけど、いかにも意味深でメッセージ性のありそうなVRアートや映像コンテンツを作ってるクリエイターっていうか、アーティストっていうか……その人が、このアトラクションを作ったんじゃないかって噂があって……」


 そこまで言って、我ながら説明が抽象的すぎるとコウは反省した。

 ルリもぽかんとしている。

 なにかしらの参考画像でもなければ、伝わるわけがないだろう。


 いや、具体例なら足元にいくらでもある。


 コウは靴で足下を突いて、波紋を作った。


「えーと、たとえばこの波紋で出てくる図案だと、ネットで書かれてた考察を一つ借りると、『無い場所に有る』ってことを表現している様に見えるらしいんだ。それで、俺たちが歩かないと波紋は出ない。ってところにまた別の意味が込められているかもしれなくて」

「おっ、なんか哲学的だな」


 ルリが哲学的という便利な単語でまとめた。乱暴と言えば乱暴だが、実際哲学的視点でのジ・ワンの考察はいくつもあるから、間違いではないだろう。


 バレッタはそんなコウの説明の間にやたらと前方に走っている。ただ走り続けている割には、ほかの一行との距離が開かない。


「バレッタ、何をしてるの~?」とあまゆーが尋ねる。


「この白い空間、遠景がちょっと違うでしょ。だからあそこまで行ったら何かあるかなと思ったけど、走っても奥のほうが逃げていく感じで、風景も変わんなかった。あくまでも、ただの背景なんだね。ちょっとガッカリ」


「どことなく蜃気楼っぽいですね」とクータがまとめる。

 続けてルリがコウに質問した。


「じゃ、これも演出の一つってわけか。なあ、波紋とか蜃気楼とかの演出の解釈に正解ってあるのか?」

「正解があるかないかで言えば――ない。海外の有名な評論家とかが解説してたりするけど、それすら人によってかなり意見も違うし。『無い場所に有る』っていうのも、そういう言葉でよく表現されてるジ・ワンの作品がいくつかあるだけで、本当にそういうとらえ方でいいのかも謎だ」


「つまるところ、禅の世界みたいなものですよ。決まってる正解を見つけるのではなく、自分で確信の持てる解釈を作れというわけですね」


 クータがアバターの見た目に似つかわしくない、小難しいことを言った。禅とジ・ワンの作品が似てるというのも乱暴だと思うが、明快な答えがないところは近いかもしれない。



 確かにジ・ワン作品の無意味なものにあとから違う要素を足すことで意味のあるのものにしたり、見る角度を変えるとまったく別の何かに見える騙し絵のような手法を使ったりしているところは、世界を自分の見慣れた視点だけで見ようとするなという警告のようにも思える。



「よくわかんないけど、難しそうに見えたらだいたいジ・ワンぽいって言えば合ってるってことか」


 ルリの割り切り方は案外合っている。コウだって厳密な鑑定作業のようなものを通して、これはジ・ワンだと考えているわけじゃないのだ。


「それでいいと思う。そもそもこのワールド自体、ジ・ワンっぽいって言われてるだけで本物かどうかもわからないしな。真相は謎だから」

 そう言いながら、またコウは靴の先でちょいちょいと波紋を作っていった。



 これがジ・ワンだと条件反射で飛びつきたくなる《AVENA》のユーザーがいてもおかしくはない。コウもまとめサイトで制作者ジ・ワン説を見ていなければ、ジ・ワンで間違いないと熱くなっていたかもしれない。


 その時、眩しいほどに白重視の空間が、夕暮れが差し迫るように暗くなりはじめた。映画の開始前のあの感覚に近い。



「おっ、いよいよスタートか。ワクワクするな!」



 ルリが期待を込めて、笑いながら言った。

 そのルリの判断は正しかった。


「1stステージスタート」という文字が暗くなった空間に白い文字でフワッと浮かび上がる。


 直後に一問目のクイズも白い文字で出題された。

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