Episode2 02

「あっ、タッチさんじゃん」



 バレッタが固有名詞を口にする。それはオリンポスでデフォルト使用できるアバターの一つだ。棒人間に最低限の肉体を纏わせたような情報量の少ないアバターで、主に触覚テストに利用される。ただ、そこから聞き慣れた声が聞こえてきた。



「バレッタとあまゆーで合ってる? それと、そっちはコウか?」

「じゃあ、ルリなんだな」


 コウの言葉にタッチさんがうなずいた。


「みんな、よくできてるな。こだわりを感じる」


 タッチさん自体は無機質なデザインなのに、ルリの声が入ると、一気に個性が生まれたように思える。デフォルトのアバターだからこそ余計にそう感じる。



 オリンポスを楽しむ人間がタッチさんを選ぶことはめったにないから新鮮だった。そのタッチさんは女子二人のアバターをあれこれ褒めていた。案外タッチさんが無機質に感じられたのは、デフォルトのアバターであるがゆえに声のイメージがつかなかったせいかもしれない。


「そのパレットナイフ、コウらしいな」


 気づけば、ルリの視線はコウの腰のところを向いていた。



 その時。



 コウの嫌な記憶がフラッシュバックした。







 ――どこが? ヘタクソだろ。伸びしろだってない。無責任に評価するのはやめろよ。



 コンクールに応募した絵をルリに褒められた時のことだ。


 賞に値しない。そんな事実を突きつけられたあとに褒められて、頭に血が上った。とても嬉しいだなんて思えなかった。

 なにせ、廊下に貼られているコウの絵には賞を表すマークが何もついていないのだ。敗者として晒されているのと同じ気分だった。




 アバターをルリに褒められたせいで、また思い出してしまった。




 せめて、そこで止めておくべきだった。なのに余計な一言が口をついて出てしまう。




 ――才能のない奴にとったら、才能のある奴に関わられるのが一番こたえるんだよ! 無視されたほうがマシだ!




 あれは最悪だった。自分が言われて嫌だったからといって、相手を否定していいことにはならない。それは完全に正当防衛を逸脱している。


 あれを言った時点でコウは加害者だった。才能のないザコの上に、他人も傷つけるクソ野郎になってしまった。


 あのあとコウは職員室に行って、退部届の用紙を手に取った。逃げることにすら事務的な手順を踏まないといけないことに絶望を感じつつ、帰宅後、その用紙を埋めていった。






「ん? 回線切れたか?」



 そのルリの声でオリンポスに引き戻された。


「あっ、悪い。ちょっと、ぼうっとしてた……」

 VRでじっとしていれば、心ここにあらずというより、通信障害を疑われる。

 しかし、ルリは聡明だった。過去との関連に気づいた。



「コウって褒められるのが嫌だったりするのか?」



「あっ……そういうこともあったけど、アバター褒められたことは素直に嬉しいから……」

 ルリにとったらわけのわからない理由でキレられたのだ。そのあと仲良く喋っていたわけでもないのだから、記憶にあるほうが普通だろう。それでもすぐに思い出されるというのは、やりづらい。



「その……結構前のこととはいえ、絵のことで変なこと言って……悪かった。俺が全面的に悪い……」

 形だけでもここで謝罪できたのはまだマシだった。アバターだと謝罪も口にしやすい。高校で面と向かってより、ずっと楽だ。


「全然気にしてないって。それに今も絵を描くの、好きなんだろ?」


 小さくコウはうなずいた。


 好きじゃないと答えれば変な空気になるし、かといってはっきり「好きだ」とウソをつくのもおかしいと思った。


 ルリは本当に過去のことを気にしてないらしく、話をあまゆーのほうに振っていた。



 あまりにシンプルなデフォルトアバターは少しその場から浮き上がって見える。

 そういえば前にモデリングの練習をしていた時、クータに頼まれてルリをモデルにしたものを作ったことがあった。


 とはいえ本人には見せられるわけがないのだから、どうでもいいことだ。




「まだクータは来てないんだね」とバレッタが尋ねてきた。


「あいつはこの位の時間は毎日忙しいからな。地上波の深夜アニメやらアイドルが出るバラエティやらのチェックと録画予約をしてからログインしてくると思う」

「うはー。クータって骨の髄までオタクだねー。そこまでいくとその道を究めようとしてるみたいで、一周して格好よく見えそう」


 バレッタが褒めてるのか、あきれてるのかわからないことを言った。

 コウも似たような感想を抱いている。

 いったいいつそんな大量に視聴するのか本当に謎だが、とくにクータが高校で眠そうにしてるわけでもないので、実生活との両立はできてるのだろう。


「遅れてすみませ~ん!」

 その時、聞き覚えのある声がコウの耳に入った。


 けれど、声の主のほうを向くと、何も声は変わってないはずなのに、いつもコウが聞いているものより、その声はずっと高いトーンのように感じる。


 頭についたピンクのリボンの両端がウサギの耳みたいに上に突き出ている。一方、髪の毛はグリーンで、衣装も赤とライトグリーンが基調だ。コンセプトがリンゴのウサギの女性アバターだからだ。



 そこまでコウが知っているのは、本人から何度も聞かされているせいだ。



「遅刻というほどじゃないですよね~。セーフということでお願いします。沖縄で言うところのウチナータイムということで」



 やっぱり声が高いような気がしてくる。ヴィジュアルが脳に影響してくる。


 バレッタが「誰?」とシンプルに尋ねた。普通は誰なのかと思うだろう。それと、その質問が来るということは、バレッタもいつもと変わらないはずの声を別の誰かの声と解釈しているのだ。





「こんばんは、『バニー♥くりすぷ』こと、高草空太です!」





 しかし、アウェーになりそうな空気など気にせず、クータ(、、、)は自己紹介した。




「えっ? でも、声、なんか学校と違うよね~。でも、音質的にボイスチェンジャーも使ってない気がするし……」


 あまゆーはまだ混乱していた。


「声はいじってないですよ。男声も女声も出せる両声類(りょうせいるい)というのとも違います。僕は地声も割と高いんで、女性アバターだと違和感が減るんだと思います。そんなにいつもと違います?」



 はきはきと空太は自分の説明をはじめた。その姿が堂に入ってるせいで、女性陣は余計に別人のように感じているらしい。


「あと、もしかしたら性格も少しは変わってるかもしれません。アバターを通すと気分が上がるんですよね~。あ、オリンポスでは『バニー♥くりすぷ』からもじって『くりすぷちゃん』と呼ばれてるんですけど、ややこしいと思うので今回はクータで大丈夫ですよ!」



「と、まあ……テンションはともかく、外見はこいつなりのこだわりを追求した結果だからさ……」



 コウが横からクータを追認した。


 最低限の説明はした。あとは受け入れてもらえるかどうかだ。

 できれば否定しないでほしいなとコウは女子たちの反応を待っていたが――




「いいセンスしてるじゃない!! これって全身カスタムしてるんじゃない?」

 バレッタがクータに近づいてじろじろと衣装を眺めていた。物理的な意味では距離は縮まった。



「さすがお目が高い!! 自分なりにカスタマイズしているので既製品とは結構違いますけど、ブランドとかの方向性は意識して作ってます!! いやぁわかってもらえるとは嬉しいなぁ!!」

「へぇ……これって元は別の衣装だったってこと? 全部でセットのものにしか見えてなかったから全然気づかなかった」

「ルリルリがわからないのは無理ないよ~。VRでは皆自分らしさを出すために、コーディネートのほかに色や柄を変えたりもするから、まったく同じコーデの人を見つけるのって意外と大変なのよ~」


 あまゆーがルリに事情を話していた。二人もクータに近づいて、ブランドの話を続けた。


 ファッションが糸口になって壁は取っ払われたらしい。コウの中で懸念の一つはなくなった。



「この衣装はVRアバター用のファッションブランド『RinK』のものよ。このリボンみたいなのもそうなんだけど、ウサギの耳は自分でつけたのかしら? 全身リカラーして一部別のものと合成してある感じね」

「VRにファッションブランドなんてあるのか!」


 ルリの中のVRの認識はどの時代のイメージで止まっていたのかはわからないが、ここ最近で一番驚いた顔をしている。コウにはそう思えた。


「ルリ様、その通りです!!」

 クータはやっぱりルリにはとことん敬意を示すつもりらしい。


「アバターを持ってる人口も今では相当なものですからね。中にはプロのデザイナーだってたくさんいます。まずアバターでいろいろ試して、現実のデザインにフィードバックさせる人もいるぐらいですから」

 こだわりの強いクータは、専門家のようにたっぷりと語る。ルリだけでなく全員が聞き入っていた。




「いいなぁ」



 ルリがぼそっとつぶやく。



 その声は小さなものだったが、クータにも聞こえたらしい。


 しかしクータはルリにオススメのブランドの紹介をしたりするのではなく、代わりにコウのほうに来て耳打ちした。



「コウ氏、裏で作っていた例のアレ、ルリ様にお披露目しちゃいませんか」



 ルリに似たアバターのことだ。



「はぁ? できるわけないだろ。冗談で作ってたものを見せられるかよ!」

「ですが、コウ氏、あのアバターはルリさんにぴったりでしょ。少なくとも、タッチさんよりはずっといいですよ」

「おい、お前っ!」



 目の前にクータがいたらマジで殴っていたかもしれない。

 誤って傷口に触れてきたことは許してやらなくもない。しかし、その傷口をいちいちえぐってきたとしたら、それは話が違ってくる。


 いや、クータは傷口だとすら気づいてないのか。


 しかし、弱点だからそこは触らないでくれと言う時間もない。


「えっ? あたしにぴったりってどういうこと? 髪の色がかぶってるとか?」

 ルリは当然、興味津々だ。ルリにとったら、あなたにおあつらえ向きの商品があるんですと言われたようなものだろう。


「じゃあ、お見せしますね。コウ氏からアバターのデータはもらっていますので」

 その一言でコウは地獄に突き落とされた気持ちがした。



 しまった。データはクータに渡していた。



「百聞は一見にしかずと言いますからね。これです、これ!」




 クータのモデルが一瞬消えて――


 すぐに別のモデルがそこに現れた。

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