Episode2 01
――PM08:48
コウは部屋の時計に数分おきに視線を飛ばしていた。
場所は勝手知ったる自分の部屋だ。コウ以上にこの部屋に詳しい人間は存在しない。ホームグラウンドと言っていい。
なのに、こんなに落ち着かなくなるものか。
コウだって自分の心理状態が平常のものじゃないこと、その理由が羞恥心を刺激するものであることも承知している。
だが、自覚があることと、平気でいられることとは別の話だ。
卓上の中心に鎮座しているパソコンの画面はすでにVRサービスオリンポスのログイン画面になっている。
ログインIDとパスワードも入力済みで、エンターキーを押せばオリンポスにログインできる。
ただ、あと十分と少し待たないといけないが。
休み時間に変に盛り上がって、ルリにHMDを約束した日から三日後の今日夜九時。
コウたち五人で《AVENA》に挑戦すると約束をしていた。
鍵は主にルリの活躍であっさりと人数分揃っている。もはや努力の賜物ってレベルじゃない。ルリはさくさくと鍵をそれぞれのメンバーのスマホで入手した。ああいう人間をギフテッドと言うんだろうか。
それにしても落ち着かない。
クータ――空太をこう呼ぶのはまだ慣れない――はいいとして、残り三人は女子なのだ。そのせいでそわそわしている自分がいる。
ルリはアバターがないらしいが、残り二人は経験者のはずだ。どんなアバターなのだろう?
常識的に考えれば、二人とも女性アバターだと思う。とくにバレッタは絶対ゴスロリだろう。現実のほうでもそういう片鱗が見られるぐらいだし。あまゆーがどんなので来るかはいまいち読みきれない。
それともう一つ、厄介な「女性」アバターのことを思い出した。
クータのアバターは当人と似ても似つかないゴリゴリの女性アイドルのスキンなのだ。
それだけならまだしも、若干振る舞いも女性アイドル的なものになってしまっている。
男が女性アバターを使うこと自体は珍しいことじゃない。
現実で女装するよりははるかにハードルが低いし、アバターになら男っぽい肩肘の張った骨格など現実では捨てきれない性差を完全に無視できる。
なのでクータが特殊というわけではないのだが、それがライト層の女子にまで市民権を得ているのかは謎なのだ。
ゲームじゃないところでぎくしゃくしたりしませんように……。
そんな建設的じゃない悩みで身を焦がしているうちに、デジタル時計が21時に近づいていると示していた。
コウはエンターキーを押した。
五分前行動はしたほうがいい。
◇
横長の四角いタイルを敷き詰めた道の上にコウは立っていた。
腰に大きなナイフをしつらえた鬼の青年のアバターだ。
クータはファーストインプレッションで「遊び心が足りないです」と評してきた。コウも自覚はあったので、強くは言い返せなかった。
その通りの奥には、「オリンポスへようこそ!」とデジタルの横断幕が宙に浮いているいる。ここがオリンポスのエントランスだ。
VRネームは本名のコウのままだ。あんまり本名を使うべきじゃないかもしれないが、幸い、本名に検索性がなかったので、そのまま使用している。
アバターが三人や四人ずつの固まりをわちゃわちゃ作っている中を、かき分けるようにしてコウは進んでいく。
クータのアバターは知っているので、とりあえずあいつを探すことにした。
頭に結んだリボンからリンゴのような赤と黄色のウサギ耳を生やしているのがクータだ。
つまりウサギっぽいアバターを探せばいいので、見つけるのは比較的簡単だ。逆に言えば、それで見つからないならまだ来てないんだろう。
と、コウのアバターに二人組のアバターが近づいてきた。
とくにアバターの一人がやけに堂々としているので、誰だか察しがついた。黒の喪服めいた、ダークなゴスロリ衣装にコウモリっぽい要素も入っている。
「見晴さんで合ってる?」
「ブブー! 違いまーす!」
コウの質問に明らかに正解のはずの声でそのアバターは返す。
「バレッタって呼んでって言ったでしょ!」
これはコウのほうに非がある。そもそもVR内で相手が望む「設定」を知っておきながら、それを守らないのは道義的に悪なのだ。他人の承認がなければ誰もアバターに成りきることができなくなる。もっとも、バレッタは現実でもそう呼んでほしいといつも釘を刺しているので、なおさらだ。彼女はことさらセルフプロデュースに余念がないように思える。
「ごめん。バレッタだったな。THEゴスロリっていうアバターなんだ。そのあたり、徹底してるんだなって思った」
「なに当たり前のこと言ってるのよ」
バレッタは少し自慢げに鼻を鳴らした。
「本当なら学校でだってこんな格好で通いたいけどね。いくら自由な校風でも制服をまったく着ていないのはダメなんですって! いっそ私服登校にしてくれたら良いのに!」
バレッタがとくにこだわっている服装の話題に触れてしまったため、彼女のテンションがヒートアップしてしまう。
「あ~……っと、そしたら隣の犬の獣人(じゅうじん)が――」
話題を変えるために隣にいる、獣の要素がかなり強い、鼻まで犬っぽいアバターに視線を向けた。
「あまゆーだよ~、よろしくねぇ、コウ君!」
あまゆーの獣人アバターがぺこりとおじぎをした。垂れ下がっている犬耳がそれに連動して動く。巨大な尻尾はアバター一人分が立てるぐらいのスペースを後ろにとっていた。
「服の感じもあるんだろうけど、なんかRPGでいそうなアバターだ」
多分、だぼだぼのジャケットのせいだろう。文明がそこそこ進んでるタイプのRPGでこういうキャラはたまにいる気がする。飛行艇とか操縦しそうだ。
「そうかも~。これはゴールデンレトリバーがモチーフなの~。あとね、こういう獣アバターだと、ぽっちゃりしてても違和感少ないでしょ~?」
そういえば、あまゆーのアバターの太腿はかなり太い。太っているという印象まではないが、ぽっちゃりしていると言われれば、その通りだと思えてくる。
「ええと……少し、そうかもな……?」
「なに気をつかってるのよ。アバターなんだから好きなサイズを選べるわけで、太ってるって言うのが失礼ってことにはならないわよ。それが嫌ならやせてるアバターにするだけ!」
バレッタの言葉はもっともなのだが、相手が女子なせいもあって、コウは反応に迷ってしまった。
「ほんとに気にしないでね~。わたし、現実でもやせてはないから、VRで極端なアイドルみたいな骨格にするのもかえっておかしいなって思って。それでこういうのにしたのよ~。このほうが自分らしいって思うしね」
あまゆーのアバターがその場でくるっとターンする。大きな尻尾もぐるんと回った。
「うん、似合ってると思う」
どちらのアバターも製品として出回っているものを自分なりに少しカスタマイズして使っているようだ。
確かバレッタのドレスは「アーデルハイド」という球体関節人形を彼女なりのセンスでさらにゴスロリ化したもので、あまゆーの獣人アバターは「マリーゴールド」というシリーズをアレンジしたんだろう、とコウは自然に分析をはじめてしまったが、ふと我に返った。
一言ごとに相手のことを考えて会話をするって、必要なこととはいえ気苦労が多い。その点、クータには何を言っても許される空気がある。
と、コウたちのところにアバターというより作成途中のモデルと呼んだほうが近い見た目のアバターが近づいてきた。
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