Episode1 02

 春日部のように眩い人間を見ると、自分の情けなさ、ふがいなさと、自然と向き合う羽目になってしまう。



 自分は一年の時に美術部を退部してからは、なかば帰宅部と化していた。


 PC部に籍だけは置いていて、だらだらとVRゲームなどで遊んでいるが、我ながら灰色の高校生活だと思う。



「ま~た、幸せのほうから逃げていきそうな辛気臭い顔をしてますね」


 コウの席のすぐ隣に高草空太そらたが立っていた。


 メガネでチビで、それとオタクだが、座っているコウからは空太が少し大きく見えた。空太は割合、堂々としているのだ。その点はコウと大きく違っている。


「もう少し楽しそうな顔をしてるほうが人生、得をすると思いますよ。休み時間にゲームに熱中でもしてるほうがまだマシですね」


「別にいいだろ。朝からやたらと楽しそうな顔をしてる奴だって不気味だし」


「それはそうですけど、コウ氏は極端なんです。陰があるタイプと暗い奴はまた別ですよ」

 笹倉と苗字で呼べとコウは思わなくもなかったが、自分も空太と呼んでしまっているので、そのままにしていた。


「ほら~、僕は楽しそうじゃないですか」

「それは否定しない」


 コウは空太が魔法少女の横にいる二頭身ぐらいのマスコットキャラに見えることがある。


 ああいうのが口うるさかったら、こんな感じだろう。というか、実際に空太に忠告したことがある。「空太、お前、あと三割ぐらい喋る量を抑えたほうがいいぞ」と。



 基本的に空太は喋りすぎだった。早口でまくしたててるわけじゃないが、一言や二言多くて、それで知らず知らずのうちに反感を買っているところを見ることもある。大半がコウからのものであったので空太はお構いなしだ。


 コウは一切の壁を設けずにゲームの話をしてくる空太に恩義を感じていた。なので、あえて人間関係にヒビが入るリスクも飲んで、本心から直言することもあった。その時、空太は笑ってこう返してくる。


「これが僕らしさなんですよ。だから直りはしません。でも、コウ氏がそう言ってくれたことは本当に感謝しますよ」


 そんならしさ 、、、 なんてあるのかよとコウは思ったが、空太の確固たる意志を感じもしたのだ。想像以上に空太は自分がどう見られているかぐらいわかっている。



 メガネのチビは女子から人気が出ることはないが、かといって拒絶されるわけでもない。クラスの中で楽しく生きていた。それにむしろ、空太よりはるかに孤立しがちなコウにも目を向けてくれていた。



「まっ、コウ氏が暇そうにしてるのはいつものことと言えば、それまでですしね。じゃあ、今週のアイドルニュースで一押しのものをいくつか教えましょう」

「俺、アイドル、興味ないし。ていうか、空太は一押しと言いつつ、三つも四つも喋るだろ」

「そりゃ、一押しって一個しかないって意味ではないですから。でも、コウ氏ってアイドルに限らず、邦画とか舞台とか三次元のコンテンツは全部興味ないですよね」

「空太が広範囲に押さえすぎてるだけだろ」

「じゃあ、二次元寄りの話題にしましょうか。PC部のコウ氏、このゲームはご存じですか?」

 空太がスマホをコウのテーブルに置いた。



 画面は霧でぼやけた塔の背景。



 その下にアカウントを入力する横長の四角がついている。


 はっきり見覚えがあった。デジャブのようなものさえ感じた。


「ああ、《AVENA》か。ジ・ワンが作ったかもってやつ」

「そうです、そうです。挑戦の方法は簡単。VRサービスオリンポスにログインして問題の答えを出し続けるだけ。正解し続ければ、どんどん先へ進めるというアレです」

「そのくせ、サービス提供元すらいまだに一切不明ってアレだな」

 改めて口に出してみると怪しすぎる。そりゃジ・ワンの関与も噂されるというものだ。


「一問目に解答できればオリンポスにあるVRワールドに入れる『鍵』を手に入れられます。そこからさらに間違えずに答え続けると――」

「――新たなワールドに入れるとか、億単位の賞金がもらえるだとか、いろいろ言われてるけど真相は不明。ついでに言うと、問題を間違えた時点でワールドから追い出されてやり直し」

「さすがコウ氏。いちいち話すまでもないですね。間違いなく、今一番キテるゲームですよ。有名ゲーム実況者もこぞって参加してますし」

 概要を日が変わって今日になってから知ったコウとしては、多少気恥ずかしさもあったが、その分、話はよくわかった。


「そりゃ、盛り上がりもしますよ。公式にはまだクリアした人が現れてないんですから。誰だって一番になって、目立ちたいですよ」

 その空太の言葉が耳に残った。


 そんなゲームをクリアしたら、誰だって自分を特別な存在だと見てくれるだろう。


「もっとも、クリアした人がいないので、クリアという概念があるのかすら謎ですけどね。しかし、古今東西、謎は人を引き付けるものです。人間の心の一割は探求心でできてますからね」

「それは完全に初耳だぞ」

「信じるか信じないかはコウ氏次第です。ちなみにウソです。僕が勝手に作りました」



 じゃあ、信じようがないだろとコウは思う。



「というわけで、一緒にやってみませんか、コウ氏」

 空太はスマホをコウの視線の正面に来るように手でスライドさせた。


 当然、そこには《AVENA》のスタート画面が映っている。


「マジかよ。まあ、マジなんだよな」

「仮に何かデータを盗み取るプログラムがあったとしても、僕のスマホを使うからコウ氏は安全です。無害ならいいじゃないですか」

 空太が笑いながら言った。筋は通っている。コウにリスクがなく、空太もリスクを負う覚悟があると言っているなら、問題は残ってないことになる。


 心にわだかまるものがあるとすれば、空太がリスクを負うとはっきり言ってしまえることが眩しいぐらいか。


 コウにはそういう強さがなかった。


 その強さがあれば美術部もやめずに済んだことだろう。


 結局、そのわだかまりを放っておけなかった。


「いや、俺のスマホからやるわ」

 コウは適当にスマホで《AVENA》を検索する。すぐに空太と同じ画面に飛ぶことができた。



「じゃあオリンポスのワールドに入るための最初の問題だな」



 それを解かないことには何もはじまらない。

 スマホをタップして問題を表示させる。


 大量のアルファベットと記号だけでできた数式が並んでいて、空欄の式の箇所に何かを入力する問題だった。


「なんだこれ……。数学……? それとも物理? それすらわからん!」

 難しいとかそういった次元じゃなかった。自分のスマホで検索するというズルもこれではできない。


「別にリロードすれば無害ですよ。解けるまでやればいいんです」

 空太が手を伸ばしてスマホをリロードする。


 次の問題も似たようなアルファベットと記号の羅列だった。

 むしろ、さっきより難しい気さえする。



「これもダメだ、次!」

 三度目の正直は通用しなかった。



 式の雰囲気がさっきより違っていたが、だからといって手掛かりすら掴めない。ロシア語が読めないと言ったら、アラビア語に切り替えられたようなものだ。


 第一歩が踏み出せない。

 四度目も五度目も同じだった。

 延々とリロードすればいつかは自分でも解ける雑学問題でも出ないだろうか? だが、自分がハッキングソフトめいたことをするのもバカらしい。



「なあ、空太、これは挑戦権すら得られそうにないぞ……」

「ですね……。クリアした人間がいないというのもわかるかもです……」

 コウも空太も、とくに成績が悪いことはないのだが、高校生の知識ではどのみち無理な話のようだ。


 これはどうしようもない。

 匙を投げて、入り口のページから出ようとした時――



「なんか唸ってるみたいだけど、どうかした?」



 春日部がスマホを上から覗き込んでいた。



 どうやら女子同士の話を終えて、自分の席に戻ってきたらしい。

 春日部の席はコウの隣なのだ。


「ええと、ああ……その……クイズが解けなくてさ……」

 いきなり女子がすぐそばにいたせいで、声がどもってしまう。


 恥ずかしいと思うが、そう考えるとかえって悪循環に陥ってしまい、言葉がまったく頭に浮かんでこない。


 空太に助け舟を出してもらおうかとも思ったが、こっちは輪をかけて「るるるる、ルリ様……!」と不審者じみた反応をしていた。


 そういえば、そうだった。


 空太が春日部を苦手なのは知っていた。

 ヤンキーぽいから苦手という意味じゃない。


 どうも空太にとって春日部のカリスマ性は空太の信奉するアイドルという概念に含まれるらしいのだ。

 だから空太は春日部を前にすると、全力でへりくだってしまう。


 空太からルリに説明させるのは不可能だ。

 なのでコウは、スマホを春日部に押しつけた。それが理解してもらうには一番早いと思ったからだ。



 その時、始業のチャイムが鳴った。



 そんなことは気にせず、春日部はスマホに視線を落とし、「ふうん」と興味の薄そうな声を漏らした。


 ただ、右手で何か入力してはいるから、試そうとはしているんだろう。

 そこに一時間目の数学の教師が教室に入ってくる。


「お前ら、席つけよ~。はじめるぞ~」

 教師の声がかかると同時に、春日部はコウの手にスマホを戻した。



「ん」



 その「ん」が返しますという意味だろう。


 もうちょっとちゃんと喋れよと思うが、礼儀知らずっぽい春日部のほうがはるかに交友関係は広いのだ。

 礼節が足りれば友人が増えるなんてこともないだろう。

 授業がはじまるわけだし、もう考える時間もないから、返却されたに違いないと思ったのだけど――



「えっ? これ、解けてる……?」



 画面には「CLEAR」の文字と鍵のアイコンが表示されていた。


 春日部が何か言う前に教師が「スマホはやめろよ~」と間延びした声を出した。すでに春日部は着席していたし、空太は人間に見つかった草むらのトカゲみたいに、そそくさと自分の席に戻っている。




 どうしよ、これ。




 コウは手の中のスマホがやけに重いように感じていた。

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