第7話 王女との邂逅
王女宮の小庭園は、思った以上によく手入れされていた。丁寧に刈り込まれた芝生は柔らかで、まるで緑の絨毯のよう。腕の良い庭師が、丹念に世話しているのだろう。
とはいえ人の仕事である以上、全てが完璧とは行かない。遠目には均一に見える芝の生え方にも粗密はあり、そこかしこの隙間から雑草が顔を出していた。
「農業とは雑草との戦い、と」
故郷のウィンクルム領で身に付けた農法の基本をつぶやきながら、イレーネは草取りに取りかかっていた。農業と園芸とでは色々と勝手が違う気もするが、まあ何とかなるだろう。
左手でつかんだ雑草の根元に、右手の鎌の先端を突き立てて、根から掘り起こす。周囲の芝を傷つけぬように注意。畑の麦や野菜に比べて密生しているため、かなり神経を使う。
(やっぱり、この広さを1人でやるのって大変……)
額に滲んだ汗を拭い、イレーネが一息ついた時だった。
「イレーネ様ぁ!!」
やたら元気な声と共に、小柄なメイドが駆け寄ってくる。朝方に、イレーネが水汲みの面倒をみた少女だった。
「確かアンナ、だったよね。どうしたの?」
「どうしたって、もちろんイレーネさまのお手伝いに来たんですよ」
そう言いながらアンナが見せたのは、イレーネが使っているのと同じ、園芸道具の一揃いである。
「朝はイレーネ様のお世話になりましたので、ご恩返しをしに来ました! ちゃんとメイド頭様の許可は取ってますので」
「え、いいの? 草取りってけっこう大変だよ」
「大丈夫ですよ。朝はイレーネ様のおかげで水汲みを極めましたから。昼には草取りを極めてみせます」
(本当かなあ……)
自信満々で意気込んでいるアンナを、イレーネは不安げに見やる。とはいえ手伝ってくれるのは、正直ありがたい。
「じゃあ、お願いするね。一緒に頑張ろう」
「任せてください!!」
○ ● ○ ● ○
それからしばらくたった、昼前のこと。
「
すっかりへばって音を上げたアンナの有り様に、イレーネは生温かく苦笑した。そのまま、雲1つない青空を見上げる。
「まあ、そうなるよね」
まだ6月だというのに今日は、真夏並みの猛暑だった。太陽が燦々と照りつける下、土からの照り返しを受けて、肌が火傷しそうなほど熱くなる。
「イレーネ様は、なんでそんなに元気なんですか?」
「わたしは、
「実家の花壇の水やりとか、菜園の芋掘りの手伝いくらいしかしたことありませーん……」
やはり庭園の手入れは、メイドの仕事ではないようだ
「なんかこう、撒いたらあたり一面の雑草が枯れちゃうような、すごい魔法のお薬とかないんですかね?」
「そんな薬を撒いたら、芝や畑の野菜まで枯れちゃうでしょう」
「それは――その、芝とかお野菜とかは平気で雑草だけ枯らしてくれるお薬なんですよ。魔法ですから」
「……あったらすごく便利だろうね、そんな薬。ついでに害虫まで追っ払ってくれたら言うことなしだよ」
草取りの戦力としては今一つ頼りないアンナだが、こうやって話し相手をしてくれるだけでも、イレーネとしてはずいぶん気持ちが楽になる。
「麦の畑ですることは――腰を折り折り草むしる――
むしった草の始末なら――畑にすき込み土肥やす――」
自然と、ウィンクルム領の草取り歌が、口をついて出てきた。農民たちは畑仕事をしながら、作業に合わせてこういう歌を歌うことで、疲れを忘れて働く気力を奮い立たせるのだ。
「暑い暑いお日様の――あ」
調子よく歌っていたイレーネだが、聞いたアンナが目を丸くしているのに気づいて、ハッと我に返る。
「ご、ごめんね、変な歌を聞かせちゃって……」
「――いや、そんなことはないさ」
不意に、第三者の声が割り込む。まるで鈴を転がすような、美しい声音だった。
「素朴な良い歌で、良い声だった。できればもう少し、聞かせてもらいたいかな」
イレーネは、声の方を振り向いた。小庭園を囲む小さな石垣、その上に1人の少女が腰掛けている。
見たことがないほど、美しい少女だった。
年頃はイレーネと同じ。人形のように整った白い顔を、銀の髪と紫の瞳が飾っていた。信じられないほどほっそりとした肢体は、ゆったりとした長衣に包まれている。
何もかもが華奢で、繊細で、そして美しかった。まるで、この世のものとは思えないほど。
(この人――ううん、この方は……)
実際に顔を合わせるのは初めてだが、ウィンクルム城やリグニッツ邸で何度も絵姿を見せられている。イレーネが仕えることになった、この王女宮の主――
「お初にお目にかかります、クラウディア殿下。わたくし、イレーネ・ウィンクルムと申します。昨日より、この王女宮で奉公することとなりました。以後、お見知りおきを」
立ち上がったイレーネは、背筋を伸ばしたまま深々と腰を折り、臣下の礼を取る。何とか口上は、間違えずに済んだ。
「――――!!?」
悲鳴じみた声を辛うじて飲み込んだアンナが、まるで平蜘蛛のように這いつくばった。そんな2人を見た少女――クラウディア王女は、ニンマリと笑う。
「いかにも、僕の名はクラウディア・アントーニア・ブレーデル。この国の第2王女なんてものをやっている」
そう言うなりクラウディアは、石垣から地面に飛び降りる。そのまま軽やかな足取りで、頭を下げたままのイレーネに近づく。
「2人とも、楽にしていいよ」
「はい――って!?」
顔を上げるイレーネだが次の瞬間、思わず仰け反りかけた。クラウディアがすぐ間近から、イレーネの顔をのぞきこんでいたのだ。
目を白黒させるイレーネを見て、クラウディアは吹き出しかける。
「素直なんだね君は。なかなかいいよ、今の反応」
「そ、その、殿下へのお目見えは後日になると、女官長が仰っていたのですが?」
「イザベラからはそう言われたんだけど、ちょっと我慢できなくなってね。奉公初仕事の初日から庭仕事の罰を受ける侍女、さすがに初めてだし」
何とか取り繕おうとしたイレーネだが、あっさり後背を絶たれてしまう。立ちつくすイレーネを見て、クラウディアはもう一度だけ笑った。
「草取りはこれまででいいよ。どうせ明日には庭師が来るんだ。彼らから仕事を奪うわけにもいかないからね」
「承知しました。では――」
余計なことを言いそうになった口を、寸前で閉ざす。
(まさかクラウディア王女殿下から直接、次の仕事の指示を伺うわけにはいかないよね)
そんなイレーネの内心を察したのかどうか、クラウディアは言葉を続けた。
「王女宮の浴室を貸すから、汗を洗い流しておくようにね」
「承知いたしました。お心遣い、感謝いたします」
「そう畏まらなくていいよ。これも大事な仕事さ」
一呼吸おいてクラウディアは、とんでもないことをサラリと告げる。
「君には今宵の夜会で、僕の付き添いをしてもらうからね。身支度は、完璧に調えておくこと。これは命令だよ」
「……夜会?――ってわたしが!?」
今度ばかりはイレーネも、素っ頓狂な声をこらえられなかった。
○ ● ○ ● ○
「クラウディア殿下」
王女宮へと引き上げたクラウディア王女に、イザベラ女官長が話しかけた
「一応は申し上げさせていただきます。昨日今日、王宮に入ったばかりで勝手の分からぬ侍女を夜会の付き添いとするなど、前例がありません」
「それはそうだろうね。でももう、僕が決めたことだから」
忠実な女官長の苦言を、クラウディアはどこ吹く風と受け流す。
「なんならついでに、小間使いの役もあのアンナってメイドにしようかな? うん、それがいい」
「せめて理由を、お聞かせ願えませんか?」
「だって、面白いじゃないか」
「面白い、ですか?」
わずかに顔をしかめたイザベラの前で、クラウディアは笑う。
「あのイレーネって子、リグニッツ侯爵の孫なんだろう? あの大狸の秘蔵っ子というから、どんな曲者なのか楽しみにしてたら――まさかまさか、あんな変なのが来るなんて……」
うつむいたまま口元を両手で押さえ、クラウディアは肩を震わせる。そんな主の
「あとは気まぐれが半分、ってところかな。とにかく僕の言ったように、取り計らって欲しいんだ。頼むよ、イザベラ」
「殿下の御意のままに」
辺境令嬢の王宮奉公~元・悪役令嬢の娘ですが母と同じく婚約破棄されたので第2王女殿下の侍女になって人生ロンダリングします albine @albine
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