第4話 母の秘密と娘の決意
「わたしが、王宮の侍女に……?」
告げられた言葉を、イレーネはオウム返しに繰り返した。父のウィンクルム伯が、重々しくうなずく。
「そうだ。正確には第2王女クラウディア殿下がお住まいになられている、王女宮で奉公することとなる。読んでみなさい」
「は、はい」
そう言いながらウィンクルム伯が差し出した手紙を、イレーネは受け取った。隣に座るアンセルと共に、目を通す。
挨拶や社交辞令を読み飛ばし、本題に入る。間違いなく、祖父の筆跡だった。書記に代筆させず、わざわざ直筆で書いてくれたらしい。今しがた父が言っていたこととほぼ同じ内容が、巧みな文飾を凝らして書き綴られている。
「……本当だ」
「それで、お前はどうする? 大変に名誉な話だが」
父の問いかけに、イレーネはハッと我に返った。
「む、無理に決まってます! わ、わたしみたいな辺境育ちの田舎娘なんかに、王女殿下付きの侍女とか、できるはずありません!!」
首と両手を大きく振りながら、イレーネはそう否定した。すると今度は、母のマリアが軽く小首を傾げる。
「本当にそうかしら? わたくし、イレーネは侍女に向いていると思いますよ」
「え?」
「そう言えば母上も、結婚なさる前は王宮の侍女をしておられたそうですね」
戸惑うイレーネに代わり、アンセルがそう尋ねた。
「そうですよ。もうずいぶんと昔のことになりますけど」
その話は、イレーネも知っていた。今から20年ほど前、マリアが今のイレーネと同じ16歳の時に、行儀見習いの侍女として王宮に上がったのだという。
「それは、母様みたいな淑女なら、王宮での奉公だって難なくこなせたでしょうけど……」
「あら、その頃のわたくしって、手の付けようがない我が儘娘だったのですよ」
さらりとマリアが口にした、思いがけぬ一言。それを聞いたイレーネとアンセルは、兄妹揃って目を剥いた。
「えええっ!? まさか母様が?」
「本当ですか、母上!?」
「あの頃のわたくしは侯爵家の長女として、甘やかされて育ちましたから。贅沢三昧は当たり前。すぐに癇癪を起こして使用人に当たり散らす。自分より格下の家の令嬢を取り巻きとして周囲に侍らせて、ちやほやされて悦に入ったりもしてました」
驚く子供たちの前で、遠い目をして妙にしみじみとかつての黒歴史を語る母。中々にシュールな光景である。
「あの頃のわたくしは、
「ひょっとして『悪役令嬢』ですか?」
「そう、それです。思い返せばわたくしは悪役令嬢そのものでしたよ。色々と悪評が立った結果、当時の婚約者から婚約破棄までされてしまいましたし」
「か、母様が婚約破棄されたんですか!? 嘘でしょう!?」
「あなたと違って、完全にわたくしの自業自得でしたけど」
「信じられません……」
そうつぶやきながらイレーネは、目の前の母を見つめる。頭の天辺から足の爪先までどれだけ観察しても、非の打ち所のない貴婦人の鑑にしか見えなかった。
悪行の挙げ句に婚約破棄されたという、
「さすがに父――あなたのお祖父様もお怒りになりましてね。『修道院に放り込まれるか、王宮への奉公で性根を叩き直すか』と迫られて、侍女になったのです」
「……そんな話、私も初めて聞いたぞ。以前の婚約者と破談になったことくらいしか知らなかった」
夫であるウィンクルム伯まで、唖然としていた。
「旦那様と出会った頃には、もう王宮でのわたくしの矯正――もとい教育がほぼ終わっていましたから。出会いが1年早ければ、何もかも違っていたのかもしれませんわね」
「そう言えばあの頃の王宮で、お前の悪評を聞いたこともあったな。大方、元婚約者とやらが嫌がらせで流した根も葉もない噂だろうと思い、無視していたのだが」
「実は根も葉もあることだったのです。黙っていて申し訳ありません」
「い、いや、今さら謝るようなことではない。過去がどうであれ、私と出会った時のお前は素晴らしい淑女だったし、今のお前は掛け替えのない私の妻だ。そう、何も問題はない。問題などないのだ」
何やら自分に言い聞かせるように、ウィンクルム伯はそう繰り返す。
「問題はないはずだ。はずなのだが……うむむむむ」
何やら唸りながら葛藤している夫をさておき、マリアは娘に熱弁を振るった。
「とにかく、このお話しは是非とも受けるべきです。広まった悪評を打ち消す手っ取り早い手段は、それ以上の箔付けで塗り潰してしまうこと。『王宮の侍女』という箔には、それだけの価値がある。わたくしもそうやって、人生を仕切り直せました」
(……本当かなあ?)
半信半疑に揺れる眼差しで、イレーネは母を見やる。
「……母様、1つだけ聞きます。わたしが侍女に向いてるっていうさっきの話、本当ですか?」
「ええ、もちろんですとも」
やや不安げなイレーネの問いに、マリアは大真面目にうなずく。
「王女宮というのは、女の園ですから。話に聞く東方の
「うーん」
母の言葉に、イレーネはより悩んでしまう。
確かにイレーネは、汗水垂らして働くことが苦にならない、貴族らしからぬ気性である。とはいえ、まさか王宮で畑を耕したり、馬や羊の世話をするわけでもあるまい。掃除や針仕事なども、得意ではあるのだが。
「――――――――はぁ」
待つことしばし。うつむいていたイレーネが不意に顔を上げると、今度は天井を見上げたまま深く深くため息をつく。
まるで、魂そのものが口から抜け出しているかのような。
「分かりました。母様がそこまで仰るのでしたら、わたしも王宮の侍女になります」
「――それで良いのか?」
キッパリと言い切ったイレーネに、いつの間にか我に返っていたウィンクルム伯が、そう尋ねた。どうやら父なりに、己の過去との折り合いを、何とか付けることができたらしい。
「本当にわたしに王宮の侍女が務まるのか、まだ不安です。でも母様は、わたしを働き者だと仰ってくれました。わたしみたいな働き者なら、侍女としてやっていけると。その母様の信頼を、わたしは信じたい」
周囲の家族を見回しながら、イレーネは笑う。色々と吹っ切れた、いい笑顔だった。
「わたし、王都ゼノンに行きます。そして王宮で、クラウディア王女殿下に侍女としてお仕えします」
「正しい決断だと、思いますよ」
満面の笑顔を浮かべたマリアが、両手をパンと打ち合わせる。
「さて、明日からは忙しくなりますわね。色々と支度せねばならないことが、山ほどありますし。旦那様にも、父への返事の手紙をお願いしますよ。何事も、早め早めで回していきませんと」
急に生き生きしだした母の姿に、イレーネはポツリとつぶやく。
「……やっぱりちょっと、早まっちゃったかなあ?」
「とりあえず、やるだけやってみたらどうだ?」
ぼやくイレーネに対し、アンセルは気楽にそう言った。
○ ● ○ ● ○
それから半月ほどが過ぎた、5月の末のこと。
「父様、母様。それでは行って参ります」
ウィンクルム城の城門、旅立ちの日を迎えたイレーネは、両親に向かって深々と頭を下げる。その傍らには、休暇を終えて共に王都ゼノンへと向かうアンセルが付き添っていた。
「うむ。立派に勤めを果たしてくるのだぞ」
「体には、気をつけなさいね」
ウィンクルム伯もマリアも、平凡だが真心の籠もった言葉で、愛娘の旅立ちを見送っている。
ちなみに先日からしばらく夫婦関係がぎくしゃくしていたが、既にいつもの仲睦まじさを取り戻している。その間、毎晩のように夫婦の寝室から獣の咆哮のような声が漏れていたような気もするが、きっと恐らく何の関係もないだろう多分。
城主夫妻の他にも、城詰めの家臣や使用人たちが、イレーネたちの見送りに出ていた。執事のバートンが、深々と嘆息する。
「若君のみならず、姫様まで王都に行ってしまわれるとは。ウィンクルムも寂しくなりますなあ」
加えて街道沿いには、近隣の領民まで集まっていて、いくつもの人集りができている。2頭の馬を引いていたアンセルが、片方の手綱をイレーネに手渡しながら、ニヤリと笑った。
「相変わらず、領民から慕われているな」
「単に物珍しいだけだと思うよ」
イレーネも苦笑しながら、手綱を受け取った。
目指す王都ゼノンまでは2人旅だが、イレーネもアンセルも乗馬は達者だ。おそらく8日から10日ほどの日程になるだろう。旅慣れたアンセルが一緒なのは心強い。
「「「ひめさまー!!」」」
「あ、こら!?」
不意に上がった、甲高い声。領民の人集りの中から駆け出した子供が3人、警備の騎士をかい潜ってイレーネに駆け寄った。
「あなたたち、どうしたの?」
見覚えがある顔だ。アンセルが帰ってきた日、一緒にウサギを狩った子供たちである。
「これ、ウサギのおれい」
そう言いながら3人が差し出したのは、毛皮のマフラーだった。
「ウサギ、とてもおいしかった」
「だから、ひめさまにもおかえしするの」
「みんなでウサギのけがわ、なめしたんだよー」
「まあ、わざわざありがとう」
何事かと驚いたイレーネだが、すぐ笑顔になってマフラーを受け取った。3人の頭を、順番に撫でる。
「こ、これはとんだ御無礼を」
警護の騎士に引き連れられ、子供たちの両親もやって来た。ひたすら恐縮し、ペコペコ頭を下げている。
「そ、そのような粗末なもの、姫様のお好みではないでしょうが、どうかお許しくださいませ」
「そんなことないよ。今はもう春だけど、寒くなったら大事に使わせてもらうから」
そう言いながらイレーネは、試しにマフラーを巻いてみた。
「どうかな、兄様」
「似合うけど、今は外しておけ。汗をかいても知らんぞ」
ぶっきらぼうにそう言いながら、アンセルは馬に跨がる。
「分かってるよ、それくらい」
口を尖らせたイレーネも、それに続く。人集りに戻っていく子供たちとその親に、馬上から手を振った。
「じゃあ、もう行くぞ」
「ちょっと待って」
最後にもう一度だけ、イレーネは振り向いた。自分が生まれ育った城、そして見送ってくれる大切な人たちの姿を目に焼き付けて、無言のまま深々と頭を下げる。
(しばらくの間お別れだね、ウィンクルム――わたしの故郷)
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