第3話 宴、そして……

 ウィンクルム伯爵家は、領内におよそ100名ほどの騎士を、家臣として召し抱えている。その大半は半農の郷騎士か、平民から取り立てた一代騎士で、平時から城に詰めている者はそれほど多くない。


 だが今晩の宴には、家臣のほぼ全員が、妻子を伴い登城していた。皆それぞれ、精一杯の一張羅で着飾り、城の大広間に案内されている。


 運び込まれ整然と並べられた長テーブルには、清潔なテーブルクロスが掛けられている。宴の始まりを待ちわびる客人たちに、お仕着せ姿の使用人が酒杯を配っていた。


「さて、皆に行き渡ったようだな」


 広間の奥に立つウィンクルム伯が、酒杯を手にそう言った。傍らで背筋を伸ばすアンセルの肩に手を回す。


「今宵、我が息子アンセルの帰郷を祝う席に、これだけの者が集まってくれて感謝に堪えぬ。心ゆくまで、宴を楽しんでもらいたい」


 短い挨拶に続いて、宴の主役であるアンセルが、乾杯の音頭を取る。


「ウィンクルムの地に栄えあれ! そして我らの血に誉れあれ――乾杯!」


「乾杯!」


「乾杯!」


「乾杯!」


 唱和する声。

 掲げられる酒杯。

 飲み干される葡萄酒。


 それを切っ掛けに、次々と料理が運び込まれる。


 急な宴だったため、手の込んだ料理はそれほど多くない。林檎とすももプラムを詰めたガチョウの丸焼き、羊肉と根菜のシチュー、香料を効かせた豆と臓物の煮込みくらいだ。


 あとは茹でた塩漬け肉に、サッと火で炙った燻製肉ベーコンや干し魚、様々な種類のチーズに腸詰め肉ソーセージなど、貯蔵していた保存食が中心となっている。


 とはいえそれらの料理も、付け合わせの卵や野菜を添えて華やかに盛り付けらされており、なかなか大した御馳走に見える。城主夫人であるマリアの差配と、台所頭のアマンダたち使用人の工夫によるものだ。


 各テーブルに付いた使用人が、大皿から料理を取り分けていく。参加客は好みの皿を取って手近な席に座り、酒と料理に舌鼓を打った。あるいは立ったまま酒杯を手に、周囲との会話を楽しんでいる者もいる。


 中でもアンセルの回りには、大きな人集りができていた。


「さあさあ若、是非とも王都ゼノンでのご活躍をお話しくださいませ!」


「昨年の大会で挙げられたという三冠の栄誉、我らもウィンクルムの者として鼻が高いですぞ」


「南方の戦では敵の大将首を取られたとも聞き及びましたが、真でありましょうや!?」


 詰めかけた騎士たちが口々に、手柄話を求める。


「分かった分かった。ではまず、馬上槍のトーナメントから――」


 そう切り出したアンセルの言葉に、聴衆は息を呑んで聞き入った。最初は淡々と抑えた語り口だったのだが、そこはアンセルもまだまだ若い。話が進み盛り上がるに連れて、段々と声に熱が籠もっていく。


「――次なる俺の相手は、エスターラントの騎士ギュンター卿。前大会の優勝者で、身の丈6フィート半(約198cm)を越える豪傑だ。黒一色の甲冑を纏い、同じく黒鹿毛の巨馬に跨がった姿は、まるで山のように大きく見えた」


「おお、何と」


「そ、それで若は、如何にしてその難敵を打ち倒したのでありましょうか?」


「まあ待て。ギュンター卿との決着を話す前に、とある御婦人のことを語らねば片手落ちとなってしまう。実はだな――」


 ついには派手な身振り手振りを交えた、一大独演会になってしまった。


「もう、兄様ったら」


 人集りから少し距離を置いた、壁際の席。イレーネは兄の武勇伝に耳を傾けながら、小さく笑った。


  ○  ●  ○  ●  ○


 宴は続く。


 辺境のウィンクルム城では、お抱えの楽団を雇うような余裕はない。その代わり、宴に参加していた家臣やその家族の中で心得のある者が、持ちこんでいた自前の楽器を手に取った。


「さて、曲は何から入るかね?」


「何でも良いさ。陽気で気分が沸き立つやつを頼む」


「了解了解。それじゃあ、まずは――」


 たちまち軽快な調べが奏でられ、広間に流れる。


 情熱的なリズムに後押しされた若い騎士が、決死の覚悟で意中の娘に右手を差し出した。娘は満更でもなさそうな様子で隣の父親に伺いを立て、父親は渋い顔でうなずく。かくして若い2人は手を取り合い、軽やかな踊りのステップを踏み始めた。


 そんな組み合わせが、大広間のあちこちに出来ている。手拍子を合わせる者、声を上げて囃し立てる者、我関せずとばかりにひたすら酒や食い物を腹に詰め込む者。


 洗練された華麗で優雅な宮廷文化とは程遠い、素朴で陽気な喧噪。だがこれこそが、イレーネたちの生きる辺境の宴というものなのだ。


「楽しんでるかしら、イレーネ?」


「ええ、とても」


 マリアの問いかけに、イレーネは笑顔でうなずく。


 嘘ではない。まだ自分から騒いだり踊ったりする気にはなれないが、それでも皆が楽しんでいるのを見るだけで気が晴れてきたし、心が浮き立ってきた。


「ねえ母様。ひょっとして父様って、わたしを元気づけるために、この宴を開いてくれたのかな?」


「さあ、どうかしら。ですが旦那様は無骨に見えて、あれで中々気の回る方ですからね」


「きっとそうだよ――そうだといいな」


 重臣たちと何やら話し込んでいるウィンクルム伯に、無言で感謝の眼差しを向ける。イレーネの視線に気づいた父は、鹿爪らしい顔でわざとらしく咳払いをした。どうやら照れているらしい。


「父様かわいい」


 イレーネのつぶやきが、笑いのツボに入ったのだろうか。危うく吹き出しかけたマリアは、口元に手を当てて体裁を取り繕う。


「あなたも踊ってきたらどうかしら」


「まだちょっと、そういう気分じゃないかな。……でも、笛を吹くくらいならやってみようと思う」


 母から習った横笛は、イレーネの特技の1つなのだ。


「あら、それはいいわね。ちょっと待ってなさい」


 笛の準備を命じるため、マリアが使用人を呼び寄せようとした時だった。


「納得がいかん!!」


 突然の大声が、広間に響き渡る。そう怒鳴ったアンセルが、酒杯を床に投げ捨てたのだ。相当に酔いが回っているらしく、据わった目で周囲を見回している。


 正直、かなり怖い。


「わ、若? 一体、何のことでありましょうか!?」


「何事だと……? 決まっている、イレーネの婚約が破談になったことよ!」


「――――」


 アンセルの声に、周囲はしんと静まりかえった。


 イレーネの婚約が破棄されたという報せは、既にウィンクルムの領内に広まっている。家臣たちのほとんどが、理不尽な婚約破棄に憤りを感じていた。


 とはいえ今夜はめでたい宴の席、そういう・・・・話を持ち出さぬだけの分別は、皆が持っていたはずなのだが――


「おのれステファンめ! 俺の妹を捨てて、どこの馬の骨とも知れぬ男爵家の娘に乗り換えるだと! 絶対に許せん!!」


 よりにもよって宴の主役であるアンセルが、そのタガを外してしまったのだ。


「お、おう! そうだそうだ!」


「いかにも、若の仰る通り!」


 たちまち周囲から、同意の声が上がる。


「ノルト伯もノルト伯だ! たとえ王家からの縁談とはいえ、古くからの婚約者であるイレーネ様を袖にするとは! このような辱め、見過ごせませぬ!」


「これは姫お1人のことにあらず! 我らウィンクルムそのものが、侮辱されたに等しい!」


「舐められたら殺す!! それこそが騎士の本懐ですぞ!」


 騎士たちは次々に拳を突き上げて憤慨し、盛大に気炎を上げている。放っておけば、このまま武器を手に取って、隣のノルト領に攻め込みそうな勢いだ。


「ええい静まれ! まずは落ち着かぬか皆の者!!」


 執事のバートンが、家臣筆頭として皆を叱責するものの、まったく効果がない。


「イレーネ!」


「わ、分かってます母様。 ちょっと待って、みんな――待ちなさい!」


 唖然としていたイレーネだが、母の声で我に返り、慌てて割って入る。


「わたしの事は大丈夫だから! もういいの、ステファンとのことは納得してるから!」


 声を張り上げ、殺気立った家臣たちを静めようとする。


「こんなことでウィンクルムとノルトの争いになって、もしみんなの身に万一のことがあったらどうするの!? わたし、そんなのは絶対に嫌だからね!!」


「む、むう……」


 当の本人であるイレーネに諫められ、さすがに騎士たちも静まったように見えた。気まずい沈黙の中、アンセルが深々と頭を下げる。


「すまない、イレーネ。どうやら俺たちは、肝心なお前のことを蔑ろにしていたようだ。お前の気持ち、ようやく分かったよ」


「いいのよ、兄様。こうやって、ちゃんと伝わったんだから」


「つまりお前は、こう言いたいのだろう?『味方の犠牲を一人も出さない完璧な勝利でこそ、この恥辱は雪がれる』――と」


「ちがーう!!」


 全く分かっていなかったし、何一つ伝わっていなかった。


「となれば初動の一撃で、何もかも全てを終わらせる必要があるな。やはり奇襲、それも夜襲しかあるまい」


「次の新月は6日後、それまでに戦支度を整えませぬと。無論、ノルト側に気取られぬよう、密やかに」


「ノルト領の地図を持って参りました!」


「よし、でかした!」


「あああああああ…………」


 ついには、具体的な襲撃の算段を立て始めた男ども。イレーネはもはや、頭を抱えて呻くことしかできない。


「……旦那様、そろそろ」


「うむ」


 心底から呆れかえったマリアに促され、ウィンクルム伯は立ち上がる。文字通り雷鳴のような一喝が炸裂したのは、次の瞬間だった。


「いい加減にせぬか、貴様ら!!」


  ○  ●  ○  ●  ○


 幸いにも、と言うべきか。あるいは当然ながら、と言うべきか。どちらにせよノルト領襲撃の企ては、尻切れトンボで終わってしまう。


 賑やかな宴も夜半には果て、家臣たちもほろ酔い気分で家路についた。出された料理や酒はかなり残ってしまったが、これは宴の後片付けを終えた使用人たちに、夜食として下げ渡される。今日の一日中、宴の支度で忙しく働いた者たちへの、ちょっとしたご褒美だ。


 家臣の中には完全に酔い潰れてしまい、城内の客室の世話になる者もいた。アンセルも似たり寄ったりの有り様で、自室に運び込まれてしまう。


「すまん、イレーネ。醜態を見せた」


「本当だよ、全く。反省しなさい」


 寝台に寝転がったアンセルに、イレーネはぷんすかと怒ってみせた。だがその一方で、水差しのよく冷えた水をコップに注ぐ。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 上体を起こしたアンセルは、差し出された酔い覚ましの水を、一息で飲み干す。そのすぐ側、寝台の端にイレーネは腰掛けた。


「俺の部屋、留守の間も綺麗にしてくれていたんだな。ひょっとして、お前が?」


「うん、そうだよ。いつ兄様が帰ってきても言いように、ちゃんと掃除してたの」


 そう屈託なく笑うイレーネだが、不意にその表情が翳った。


「わたし、これからどうなるのかな?」


 ぽつりと漏れるつぶやき声。


「今までずっと、大人になったらステファンのお嫁さんになるんだって思ってた。そのために色々と勉強してきたし、料理や裁縫も頑張ってきた。そういうの全部、無駄だったのかな?」


「この件が片付いたら、きっと父上がお前の新しい嫁ぎ先を探してくれるはずだ。ただ――」


「ただ?」


 僅かに迷ったアンセルだが、言葉を続ける。


「円満な婚約解消とはいえ、お前が婚約者のステファンから捨てられたの変わらない。何らかの悪評が立つのは避けられないだろう。理不尽だが、貴族社会というのはそういうものだ。下手をすれば、新しい縁談に差し障る可能性もある」


「そうかな?……そうだよね――。……ああ、もう、めんどくさーい!!」


 大声を上げたイレーネが、そのまま後方に倒れ込む。柔らかな寝台の羽毛布団が、その体を受け止めた。


「いっそこのまま、ずっとウィンクルムに居ちゃおうかな。今まで通り畑を耕したり、父様のお仕事を手伝ったりして、ずっと、ずっと……」


「…………」


 寝台に寝っ転がったまま、イレーネはぼやき半分にそう言った。そんな取り留めのない言葉に、アンセルはむっつりと無言のまま聞き入っている。


 それに気づいたイレーネが、慌てて両手を振った。


「じょ、冗談だよ。そんなのって、兄様だって迷惑だろうし――」


「――本当に、それでいいのか?」


「え?」


「もし本当にお前がどこにも嫁ぎたくなく、この先もウィンクルムに居続けるというのなら、俺はそれで一向に構わない。いや、それならむしろ――」


 いつになく真剣な、アンセルの目付きと声音。それを見てイレーネは戸惑う。


「に、兄様?」


「イレーネ。いっそ、俺がお前を――」


 決定的な言葉を口にする、その寸前。


「いるのだろう、アンセル。入るぞ」


 部屋の扉が、強く叩かれる。廊下から聞こえた声は、ウィンクルム伯のものだった。


「ひゃうっ!?」


 寝台の上で跳ね起きるイレーネ。アンセルはそんな妹から、さり気なく距離を取る。


 ほぼ同時に扉が押し開かれ、ウィンクルム伯が入室する。その背後に、マリアも付き従っていた。


「イレーネもいたのか」


「はあ、つい先ほどまで酔い潰れた介抱をしてもらっていました。醜態をさらして申し訳ありません、父上」


 しきりに恐縮するアンセルを見て、ウィンクルム伯は愉快そうに笑う。


「なに、構わんさ。若いうちに、羽目の外し方というものを覚えておけ。それに2人が揃っているのは、ちょうどいい」


「実はあなたたちに、話がありましてね」


 そう言いながらウィンクルム伯とマリアは、ちょうど部屋に2つあった椅子へと座った。寝台に腰掛けた、イレーネとアンセルに向き合う。


「父様、お話しって何ですか?」


「うむ、アンセルが舅殿――リグニッツ侯爵閣下から預かっていた手紙のことでな」


「お祖父様のお手紙、ですか?」


 マリアの実家であるリグニッツ侯爵家は、代々法務院の高官を輩出してきた、宮廷貴族の名門だ。イレーネの外祖父にあたる現当主ハインリヒは、法務院の長である大法官として、大臣の1人に名を連ねている。


「実は俺も今回の件を、まず侯爵閣下から聞いたんだ。どうやらステファンの新たな婚約について、法務院への根回しがあったらしく、それで不審を感じたらしい。ウィンクルムに戻って事の次第を確かめるよう、頼まれた」


 小首を傾げるイレーネに、アンセルが説明する。


「これが舅殿の手紙でな。少々、思いがけぬ事が書いてあった。アンセル、内容は聞いたか?」


「いえ。必要ならば父上が話してくださるだろう、との事でしたので」


「そうか。ならば今ここで話しておこう」


 咳払いしたウィンクルム伯が、じっとイレーネを見つめる。


「舅殿はこう言っておられる。もし噂が真であり、婚約が破棄されたのならば、イレーネを王都に寄越す気はないか――とな?」


「わたしが王都に、ですか?」


 確かに思いもよらない話である。目を瞬かせるイレーネに、今度はマリアが言葉を続けた。


「イレーネ、お祖父様はあなたに、侍女として王宮に奉公するよう勧めておられるのですよ」

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