第117話 鳥籠

その時だった。

バチッ、という何かが弾ける音。そして、視界に映った黒い雷。


「…っ!?」

どういうことだ?今日は雲一つない快晴。雷が落ちるような天気じゃない。雷も変だった。


黒くて、空から落ちてきたというより、地上から空へ向かって走っていたような…?

嫌な予感しかしない。心がざわついて、落ち着かない。


そっちは、ソラたちが居るはずの、避難している防壁の方向だったから。

魔物の仕業か?あの男?それとも、また別の何か?


早く、早く。


色々と駆け回って、肺が千切れそうだ。千切れそうだけど、それよも、もっと恐ろしいことが起こるんじゃないかって。


心が先に、千切れてしまいそうだ。だから、早く。

早く、彼女が無事な姿を。


「…ソラっ!!」

おれは曲がり角を勢いよく飛び出して、避難している人たちが居るであろう方向を見た。


…は?

視界に映ったのは、全く想像もしていない光景だった。


東門へと続く大通り。その道は見知っている。でも、その真ん中に、黒く穿たれたくぼみ。


その周りには逃げ惑う人々。恐れおののく表情。まるで、大通りに隕石でも落ちてしまったかのような。


くぼみの縁には、倒れた人まで。いったい、何が起こったんだ?


「…おい!ソラちゃん!!」

悲鳴や、怒声などが入り混じる中、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

コウタの声だ。


「どうしちまったんだよ!?返事してくれよ!!」

コウタは、黒いくぼみの縁に膝を付いて、懸命に叫んでいる。コウタだけじゃない。ゲンや、ミコトまで。


おれはただ走った。その途中で、何人かにぶつかったけれど、痛みすら感じない。感じる余裕が無い。


「…な、何が…」

「…!ユウ君!!」

おれの接近に気が付いたミコトが、真っ青な顔で見返していた。


「ソラちゃんが!!きゅ、急に変な雷を纏って!動かなくなっちゃったの!」

おれはくぼみの中にいる少女を見た。紛れもなく、ソラだった。でも、横たわっていて、顔がよく窺えない。ただ、苦しそうにしているようにも見える。


「…ソ、ソラ…」

「あぶねぇっ!!」

おれはソラに近づこうと、一歩踏み出した。しかし、割って入ったゲンに阻まれる。

瞬間、耳を劈くような衝撃音が奔った。


「…っ!!バカ野郎!急に近づくと、お前もやられるぞ!」

「…え」

びっくりして目を瞑ってしまったが、目を開けると、ゲンの大盾にバリバリと黒い雷が音を立ててこびり付いていた。


ミコトが、おれの腕をぎゅっと握る。

「ソラちゃんに近づこうとすると、この纏っている雷が、襲ってくるの…」

「な、なんでだよ…?」

「知らねぇよ!!」コウタが、だん、と拳を地面に叩きつけた。


「お、俺が、ソラちゃんを守れなかったから…!襲ってきた魔物の一匹が、ソラちゃんに飛び掛かったんだ。そしたら、急に現れた黒い雷が魔物をふっ飛ばして、ソラちゃんを纏い始めたんだ…」


「そ、そんな…」


おれはソラを見た。ソラは、動く気配を見せない。ただ、地面に倒れて、その周りをバチバチと黒い雷が火花を散らしている。まるで、鳥籠のように。彼女を捕らえてしまっている。


おれは燻った気持ちを抑えきれず、黒い雷を睨みつけた。


なんなんだよ。


いや、もとはと言えばおれのせいだ。彼女が特殊な何かを孕んでいることは、遺跡に居たことや、霧から抜け出した時のことを考えると想像できていた。でも、目を背けていたんだ。


もう普通の生活ができているから大丈夫だと。皆とも仲良くなって。仕事も見つかって、心配ないだろと。見えないように、考えないように、蓋をしていたんだ。


だから、もっと踏み込めなかった。もっとしっかりと、彼女を見てあげるべきだった。


ちくしょう。


「…んっ…」

その時、微かなうめき声が聴こえて、おれは顔を上げた。


すると、うっすらと、ソラが瞼を開いているではないか。刹那、憤った気持ちが少しだけ和らぐ。


「…ソラ!!」「ソラちゃん!!」

他の皆も、彼女を呼びかける。ソラはむくりと上半身を起こし、虚ろな視線が定かになってきた。


「わたし、は…」

ソラはゆっくりと辺りを見渡して、状況を確かめている。良かった、意識はあるみたいだ。じゃあ、あとはこの邪魔な黒い雷をどうにか…。


と思った瞬間。


「いやぁあああっ!!」

金切り声で、彼女は悲鳴を上げた。


「ど、どうしたんだよ!?おい!?」コウタが大声で叫ぶと、ソラは、涙目で、ひっと後ずさりする。


「だ、駄目!!近づかないで!!」

「どうしたんだ!?なんで駄目なんだ!?」

「わたし、わ、わたし、これ以上は…、ごめん、なさい…!」


がたがたと身体を震わせながら、必死に、命乞いでもするかのように、ソラが呟く。


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

ソラは、俯いて呪詛のように同じ言葉を呟いている。


一瞬の出来事で、おれたちは、それを見てることしかできなかった。なんて声を掛けてあげたらいいかも分からない。


ぼろぼろと。


崩れていくようだった。ソラと過ごした日常が。ひび割れて、砕けていく音が、心のどこかから聴こえてくる。


何が起きている?最早、理解不能だ。でも。


一つだけ分かることがあった。

彼女は、怖がっているだけなんだ。


あんなに怯えて、震えて。何に、かは知らない。でも、何かを恐れているのは確かだ。


だったら。


“あなたが、守ってあげなさい”

そうだ。おれが守らなきゃ。守るって決めたんだ。


昨晩のことを思い出す。ソラがそっと抱きしめてくれた、あの時の温もり。

忘れちゃいけない。彼女は、こうであってはならない。そんな姿を、もう見たくない。


そうだろ?


恐怖や、躊躇はなかった。


「…おまっ!?」瞬時に気付いたゲンがおれを引き留めようとしたのか、声を上げたがもう遅い。


おれは、ソラが蹲っているくぼみの方へ、一歩踏み出す。

同時に、脳天を突き抜けるような衝撃と、ノイズが奔り。


視界は、真っ暗になっていた。

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