第115話 黒い衝動
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街が騒めいている。
でも、いつもの騒がしさではない。いつもはもっと、活気があるというか。明るさに満ちている。
今は違う。恐怖や、怯えが伝播して、動揺が広がっている。まるで街全体が震えているようだ。
いつも通っている道も、雰囲気が違う。知らない街に来てしまったみたいだ。と言っても、わたしの場合は、最近この街に来たばかりだけれど。それでも、やっぱり違って見えた。
「ソラちゃん!突っ立ってないで、早く行こうぜ!」
「あ、はい…」
コウタが急かすようにわたしを呼んだ。わたしは、コウタ、ゲン、ミコトの背中を追うように駆ける。
わたしたちは、街の住民に混じって外へ避難している途中だった。
ハルカと別れた後、コウタと一緒に宿舎へと戻ったら、先に着いていたゲンとミコトがいた。彼らに事情を話して、ハルカの言うとおり、とりあえず街から非難することにしたのだ。
「にしても、街に魔物が出るなんてねぇ…」
ミコトが不安げに溜息を付いた。
「ああ。こんなでっけぇ防壁があったって、防げないこともあるんだな」
ゲンは近づいてきたアルドラの街の象徴ともいえる防壁を眺めた。
「今回は仕方ないよ。だって、転移魔術を使ってるんだから。物理的な攻撃じゃない限り防壁は無意味だからね…」
先ほど、わたしが黒い球体から魔物が出現したことをミコトに伝えると、それは転移魔術だと彼女は断言していた。あんな禍々しいのが転移魔術なんて、想像もしていなかった。そもそも、わたしは記憶も無いから、考えようもなかったのかもしれないけど。魔術って、だいたいあんなものなんだろうか。
あの、何でものみ込んでしまいそうな真っ黒い暗闇。ちょっと怖いな、と思う。
「なんだよ、転移魔術って。そんなどこへでもぽんっと行けるぐらい便利なのかよ?俺たちも依頼場所に一瞬で行きてぇんだけど」
コウタが羨むように呟くと、ミコトがばっと振り返る。
「そんなことないよ!転移魔術ってすっごーく繊細で難しいんだからね!!わかってる!?」
ミコトがコウタの肩をがしっと掴んで顔を近づける。コウタは慌てて「わかった、わかったから顔が近ぇよ」とミコトを制した。
「そうなんですか?」わたしは興味本位で訊いてみると、ミコトは少し嬉しそうな顔になった。
「うん!魔術の中でも最上級に難しいと言っても過言じゃないよ!そもそも空間魔術の扱い自体が簡単じゃないからね。それを別々の場所に固定して、異物を転送させようとするんだから、考えただけでも頭が爆発しそう…!えっと、まず、目的の場所に設置した空間魔術の術式を全く同一にしなきゃいけないでしょ?それをずっと維持することも必要だし、それだけ<
「あーあ、ソラ、簡単に興味本位で魔術のこと訊いたら駄目だって。こうなるから」
ゲンは呆れ顔で首を振る。
「そ、そうですね…、すごく複雑だってことはわかりました…」
「…とにかく!!」
ミコトは一人でぶつぶつと呟き終わった後、ぱん、と掌を合わせた。
「モノならまだしも、生物を転移させられるような人だから、相当な術者だよ…。問題はなんでそんな人が、魔物を街に転移させたかだよね…」
コウタが後ろ頭を掻きながら応える。
「さぁな。この街に恨みでもあるやつがいんじゃねぇの?知らねぇけどさ。でも、いくらすげぇ魔術を使える人でも、他の人に被害を加えるようじゃあ、ただの犯罪者だな。勿体ねぇ」
わたしはコウタの言葉にどきっとして、心臓を抑えた。この街を襲った人間。本当に、コウタの言う通り、ただの私怨なのだろうか。それだけで、こんなに大規模な騒動を起こすのか。
分からないけれど、さっきから胸騒ぎが止まらない。何なんだろう、これは。
「まあ、世の中お前みたいに単純なやつらばかりじゃねぇってことだよ」
ゲンがどこか遠い目線で言った。
「何だよ、喧嘩売ってんのか?」
「違ぇよ。良い意味で言ったんだ、気にすんな。それよりも、そのことをなんでユウトが知ってたのかの方が気になるな…」
「うん、宿舎から起きてきて急に教えてくれたんだ。びっくりだよね…」
「…え?」
ミコトとゲンの言葉にわたしは反応してしまった。
「ユウト、わたしには偉い人からそのことを聞いたって教えてくれたんですけど…」
「えっ?」ミコトは不思議そうに首を傾げた。
「あたしたちにはそんなこと言ってなかったよ…?それに、起きてすぐ教えてくれたから、誰かから聞くことなんてできるのかな…?」
わたしたちは顔を見合わせて戸惑った。どういうことだろう。ユウトが嘘を付いたとでもいうのか。でも、ユウトが皆を騙して、何か得があるのか…?
それとも他に何か理由が?
その時だった。
「うわぁああああ!!魔物だ!魔物がこっちに来るぞ!」
後ろの方から叫び声が聴こえた。
街の外へ逃げようとしていた人間たちが一斉に声の方向を向く。すると、魔物が、こちらへ向かって走ってくるではないか。
背中に悪寒が奔った。あの魔物、転移魔術から出てきた魔物だ。でも、最初と比べると幾らか小さくなっているし、何より。
たくさんいる。
魔物の群れが、避難しようとしていた人の群衆に襲い掛かってくる。
「くそっ!!コウタ!ミコト!俺たちが皆を守るぞ!!」
ゲンが担いでいた大盾を持ち上げて、コウタとミコトを呼びかける。
「しゃあねぇな!」「うん!!」
コウタとミコトが槍と式紙を手に取り、魔物たちを迎え撃とうとしている。
「あ、あのっ、皆さんっ…!?」
「ソラちゃん!ソラちゃんだけでも皆と一緒に逃げててくれ!ここは俺たちに任せろ!!」
コウタがへへっと鼻をすすって槍を担いでいる様子を見て、ミコトがくすっと笑った。
「えぇ?コウタ君それ言いたかっただけじゃないの?」
「う、うるせぇな!いいだろカッコつけたって!とにかく、ここは何とかすっから!」
「うん、そうだね!ソラちゃんは皆と外へ!」
「で、でもっ…!」
わたしは胸がきゅっと締まる気持ちに襲われる。ユウトに言われた時もそうだった。ユウトや、皆が頑張ろうとしているのに、何も出来ないことが、悔しくてたまらない。
かと言って、自分が居たとしても皆の邪魔になるだけだ。
だとしたら、わたしは何のために。
わたしに、何ができる?
考えても、何も思い浮かばない。心では分かっている。無力だって。それでも、諦めたくない。諦めちゃ、いけない気がする。
“力を貸してやろうか?”
その時、声が聴こえた。空耳じゃなかった。はっきりと聴こえた。その声が聴こえた方へ目を向けると。
一匹の魔物が、わたしに向かって突進していた。どうやら、路地裏から急に飛び出てきた一匹だったようだ。
「ソラちゃん!!?」
気付いたコウタが慌てた声音で名前を呼んでいるのが背後から聞こえた。
訳が分からない。魔物と目が合う。真っ赤だ。血走っていて、わたしを殺そうと。牙を剥いて。噛みついて。殺そうと迫って。
ああ、嫌だ。殺されたくない。死にたくない。痛いのは嫌だ。助けて。誰か。間に合わない。わたし。
わたしは──。
魔物が飛び掛かってくる。わたしは目を瞑って、手を前に出した。反射的で特に意味は無い。ただ、こっちに来てほしくなくて、手を前に出しただけだった。
その手が、魔物の体毛に触れた刹那。
心の片隅で、黒い衝動がどろりと蠢く感覚。
そして、その魔物の存在が、ふっと消えた気がした。
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