第112話 嘘付き
おれは、声を出せなかった。
修道服に身を包み、背中には長い棍棒を背負っている。白髪交じりの短髪に、キレのある鋭利な双眸。整えられた口髭からは威圧的な雰囲気を感じる。
この人は。
知らないわけがない。この傭兵ギルドに所属している者ならば。
アルドラ支部長。
もっとも、話したことはない。というか、アルドラ支部のトップと話す機会なんて、下っ端のおれたちじゃあるはずもない。遠くから見たことがあるだけだ。
近くで見ると、もっと高圧的だ。身長は二メートルあるんじゃないか。ゲンよりも大きく、修道服では隠し切れないほど立派な身体をしている。
その巨漢が、ずんずんと近づいて来て、おれの、いや、赤髪の男の前で立ち止まった。
支部長の鋭い視線にも怯むことなく、男は悠々と見返している。
…すげぇ。
ただお互い睨み合っているだけなのに、こっちまで気迫を感じる。
その時、すっと支部長の視線がおれに向いて、身体が無意識にびくっと震えた。
「…<
しゃがれた、心臓に響く低い声音がおれの名前を呼んでいた。「…は、はいっ…!?」おれは驚きが表に出て、少し上擦った声で返事してしまった。
でも、なんでおれの名前を知ってるんだ?おれの職業も。話したことないはずだけど。
「<
さらに支部長は後ろに視線を送った。その先には見覚えのある姿があった。
ハルカだ。少し不安げな表情のハルカが、傭兵たちに紛れて佇んでいた。
「ここまでよくやってくれた。あとは私に任せなさい」
「…!、は、はいっ…!」
おれは返事をしながら、支部長の後ろに退いた。そして、そそくさとハルカの方へ駆け寄る。
見覚えのある仲間が居るのと、支部長の言葉と、やっとあの魔物と男から離れられたという気持ちから、どっと安堵感が押し寄せてくる。
「…もう、あんたがあの魔物をここまで連れてきてるから、ひやひやしたわよ」
「ごめん、心配させて…。でもなんでここに?他の皆は?」
ハルカは重い溜息を一つ付くと、支部長と対峙している赤髪の男を見やる。
「あんたが宿舎を出たあと、言う通りコウタを呼び戻してたら騒ぎがこっちまで聴こえてね。私だけ様子を見に行ってたの。そしたら、あの男と話しているあんたを見つけて。傭兵ギルドへ案内するって分かったから、先回りして支部長に伝えてたのよ」
「そうだったのか…!助かった…」
そうか、あの場にハルカもいたのか。<
もし、これでハルカが傭兵ギルドの人間たちに事情を伝えてなかったら。おれは魔物を連れてきた裏切り者として扱われていたかもしれない。危なかった。改めて自分の浅はかさに冷や汗が止まらない。
「騒動の中でソラも見つけて、コウタと一緒に宿舎に帰らせてるわ。たぶん、ゲンとミコトもいるはずだから、とりあえず皆は無事。うまく合流できたら避難するようにも言ってるわ」
「さ、さすがすぎる…」
もう言うことがない。おれだけじゃできないことを、全部やってくれている。いやそれ以上だ。ハルカが仲間でいてくれて良かったと、これほど切実に思ったことはない。
でも、ハルカの赤い瞳がおれを見据えた時、一瞬、冷たいものを感じた。
「…正直、あんたには訊きたいことがたくさんあるんだけど」
「…え?」
「まあ、それはこの問題が解決してからね」
そう言うとハルカは、支部長の方を見た。
「…私は」支部長の声が、沈み切った雰囲気の大通りに響き渡る。
「傭兵ギルド、アルドラ支部長のジンドウだ」
ジンドウ。支部長の名前を初めて聞いたが、全然名前負けしていない。名前だけでも重厚な印象を受ける。
「ほう。あんたがこの傭兵ギルドのお偉いさんか。そりゃあ、手間が省けて助かったぜ」
対して、赤髪の男は飄々とした態度で、ジンドウの圧力を全くものともしていない。ある意味それはそれですごいというか。底が知れない不気味さを感じる。
ジンドウは、赤髪の男の後ろに入る黒い魔物を目の端で見やりながら続ける。
「聞いた話では、我々の傭兵ギルドに用があって、ここに訪れたとか。いったい、何用で、こんな魔物まで連れて来たのかね?」
「そこまで話がついてんなら、俺が何しにここに来たのか予想できてんじゃあないのか?」
「さあな。思い込みほど、怖いものはない。はっきりと言ってもらわねば、こちらも返答しかねる」
「じゃあ、はっきり言ってやんよ」赤髪の男は、にやりと歪な笑みを浮かべた。
「お前たち、傭兵ギルドは白髪の、瞳が銀色の女を匿っているだろう。俺はその女を連れ戻しに来た」
おれは、頭を殴られたような衝撃を受けた。
想像はできていた。こいつは、ホワイトやネイビーの仲間なんじゃないかって。でも実際にその言葉を聞いて、初めて悪寒が全身を襲う。
やっぱり、ソラを。連れ戻しに来たんだ。
「…はて?私はそのような容姿の者を知らぬ。何かの間違いではないのかね?」
ジンドウは顎髭を摩りながら、首を傾げた。
「何ィ?」
赤髪の男は眉を顰めてジンドウを睨み返す。
おれは身体の芯が震え出すのを感じた。そりゃあそうだ。ソラを助けたことは傭兵ギルドには言っていない。支部長がそれを知るはずが無い。
「お前たちが女を匿っているという情報は得ている。俺に嘘は通用しないぞ」
赤髪の男はそう言うと、また目を瞑って、かっと見開いた。
「女はどこだ?俺に女を引き渡せ」
男の瞳は、赤い炎が宿ったかのようにゆらゆらと揺れていた。まただ。こいつの瞳は何なんだ?この瞳を見た後、不思議なことが起きている。
やばいと思っていても、どうなるかが分からない。動けない。動いちゃいけない気がする。おれたちがソラを匿っていることがバレそうで。じっと身体を強張らせる。
しかし、今度はいつまで経っても不思議なことは起こらなかった。
「だから、知らぬと言っているだろう」
静寂を断ったのは、ジンドウの声音だった。赤髪の男は、そこで初めて、動揺の表情を見せた。
「何…?嘘を付いていないだと?」
「そうだ。何が目的か知らんが、私はその者を知らない」
「おいおい、まじかよ…」
赤髪の男は、自分の頭を押さえて、地面に目を落とした。
「あの時、あいつも嘘を付いてはいなかった。だったら何故こいつも嘘を付いていない…?どちらが真実なんだ?いや違う…、俺は正しい、正しいんだ…。そ、そうか」
フラフラとした足取りで、ぶつぶつと何かを呟いたあと、場を凍らせてしまいそうな、狂気じみた微笑を浮かべて空を見上げた。
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