第110話 今の私にできること

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「…ったくよぉ、人の休日ぐらい勝手にさせろよなぁ」

コウタを見つけて、宿舎に戻る途中。コウタはぶつくさと愚痴を溢している。


「文句だったらあとでユウトに言いなさいよね」

私はちらりと後ろを振り返ってコウタを見た。自分の時間を取られて、明らかにテンション低めだ。


「だってよぉ、“やばいことが起こるかもしれない”って、何だよそれ?やばいことってだけでも曖昧なのに、起こるかもしれないってんだから、起こらないかもしれないんだろ?そんなん信じられるか?」


「うっさいわね!私だってそう思うわよ!」

「んじゃあなんでお前はそんな言葉信じてんだよ?」


「それは…」

私は少し言葉に詰まった。確かに、今思えば、なんでユウトの言葉を信じたんだろう、と馬鹿馬鹿しくなる。そりゃあ、誰の情報かも分からない、信憑性もまるでないものを頼りにするのは、傭兵として、<暗殺者アサシン>として、愚行そのものだろう。


でも。


あの顔。やっぱり、あのユウトの顔が、頭から離れないんだ。私を黒い化物から助けたユウトの顔と同じ表情をするから、すんなり信じてしまった。信憑性など通り越して、それが嘘ではないと錯覚してしまった。


たぶん、他のやつらだったら、いきなりユウトがそんなことを言い出したとしても信じないだろう。おいおい、朝っぱらから何言ってんだ?寝ぼけてたのか?と、コウタなら言いそうだ。


そう、私だから信じた。信じてしまった。


まあ、色んな意味でユウトが怪しいと思う部分もあるのだけど。

それも全部ひっくるめて、行動するべきだと、そう直感した。


「…まあ、女の勘ってやつ?」

私が適当に呟くと、コウタは「はぁあ?」と声を漏らした。


「それ前も言ってなかったかぁ?それで本当に当たってたらすげぇな、女の勘。最強だろ。女の勘サマサマだよ。というか、女の勘じゃなくて、野生の勘だろ、もはや。俺も欲しいよ、その勘。その勘でずっと俺を導いてくれよ」


「何よそれ。褒めてんの?貶してんの?」

「さぁな。どっちもだよ、どっちも。俺もそんなんがありゃあ…」


…ドォン。…きゃああああ──。


「…っ!?」

遠くで、振動。そして悲鳴。


いや、そんなに遠くはなさそうだ。あっちの方角は──。


背筋に冷たいものが流れた。

エルマの酒場がある場所だ。ユウトが、ソラを追いかけて行った方向。


「…おいおいマジかよ」コウタが驚きの表情で悲鳴が聴こえた方を向いている。

「ユウトのやつも女の勘ってあったのか?あいつ男なのに?」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!行くわよ!」

私は宿舎に行く方向からエルマの酒場へ行く方向に足を向けた。コウタも、ふて腐れた様子から一変して、慌てて私を追いかけている。


心臓が高鳴っている。


本当に、何か起こったってこと?いや、何かが起こる前触れ?

分からない。まだ悲鳴が向こうから聴こえてくるだけで、何が起きているか見えない。でも、これだけは確かだ。何かが始まろうとしている。


それがどれだけ“やばい”ことなのかは定かではないけれど。

ユウトの言っていたことが、現実になろうとしている。


声のする方へ走っていくと、もう反対側へ逃げようとしている人々とすれ違う。その表情は恐怖に満ちていて、その恐怖が伝播してくように、周りの人間が叫ぶ。


「魔物だ!魔物が出たってよ!」「みんな逃げろ!魔物だ!殺されるぞ!」


私は、耳を疑った。

魔物?こんな街のど真ん中に?どうやって侵入したんだ?


「は?おいハルカ!魔物が出たってマジかよ!?」後ろを付いて来ているコウタが叫んだ。


「聴こえてるわよ!とりあえず行ってみるわよ!」

盗み聞きしながら人々の間を縫って行く。逃げていく人間は、近づけば近づくほど増えていく。


いや、と私は走りながら考えた。知性を持たない魔物が、この堅牢な守りを誇るアルドラの街に侵入することなんて不可能だ。入ろうとすれば、確実に門番が知らせてくれる。しかし今回は、唐突に魔物が、街の中に現れた。ということは、理由は一つしかない。


誰かが、魔物を招き入れたのだ。

どうやってやったかは知らないが、転移魔術でも使えば、魔物を移動させられることが可能だ。実にシンプル。そうとしか考えられないだろう。


だとすれば、魔物を入れた黒幕がいるはず。

ただ、そうした理由が不可解すぎる。何のために魔物を街に?街を襲うため?それが黒幕にとって、何かメリットがあるのか?


それとも。

ソラを追う組織の存在と、ユウトの顔が過る。


彼らに関係があるとすれば、辻褄が合う部分はある。理由はどうあれ、ソラを探すために魔物を利用したという考えもできる。


それに、ユウト。

なんであんたはこうなると分かったの?あんたは、今回の事象とどう関係しているの?


くそっ。

もやもやとした憤りが、心臓の高鳴りと共に全身に広がっていくようだった。


「…あ!ハルカ!!あれ見ろ!」

後ろでコウタの声が聴こえた。


コウタを見てみると、左前方を指差している。その指差す方へ目を向けると。


「…ソラ!!」「ソラちゃん!!」

黒髪を靡かせて、急いで走ってくる彼女がいた。彼女は、私たちの存在に気付くと、一瞬安心したような表情を見せたが、すぐに険しい顔つきに戻った。


「ハルカ!コウタ!良かった!わたし、わたし…っ!!」

息を切らせて駆け寄ってきたソラは息つく間もなく話そうとする。


「大丈夫かよ?ソラちゃん!?」

「ソラ!落ち着いて。ゆっくりでいいから、何があったか話してみて」

私はソラの背中を撫でながら、息を整えさせる。すると彼女は泣きそうな顔で話し出した。


「…わたし、酒場に行こうとしたら、ユウトが追いかけてきて、やばいことが起きるかもしれないから、迎えに来たって。それでユウトと一緒にすぐ宿舎に戻ろうとしたんです。そしたら、何か黒い球体から、大きな魔物が現れて。ユウトは、わたしだけでも逃げてくれって…」


「なるほど、まあ何となく分かったわ。ありがとう」

私はソラの手を握って彼女の瞳を見つめた。銀色の瞳は潤んでいて、涙が零れそうになっている。


「コウタ!あんたはソラと宿舎に戻って、皆に状況を伝えて!それで、上手く避難できるようだったらそのまま避難するのよ!」


「わ、わかった!でも、ハルカはどうすんだ?」

「そうね、私は…」


腕を組んで、一瞬、逡巡する。

どうするべきか。一応武器を持ってきているから、ユウトのいる方へ向かえば助太刀はできる。でも、私が行かなくても、たぶん警備兵たちが集まっているだろうから、今更私が行くことに大きなメリットは無いかもしれない。


今の私に、できること。

この状況をある程度把握していて、まだ確証はないけど、なぜこうなったかの原因を考察できている。


それを、上手く活用する方法。


私は、傭兵ギルドの方に目を向けた。

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