第106話 嫌な予感

宿舎の出口から勢いよく飛び出すと、通路を歩いていた商人とぶつかりそうになった。


「…っ、すみません!」

なんだこいつ、みたいな顔で睨まれたが、どうでもいい。そんなことを気にしている余裕は無い。おれはソラの職場がある方向を見て、足を踏み込んだ。


もう通路はそれなりに人が行き来していて、あまり早く走ることができない。人と人の間をすり抜けながら、酒場を目指して突き進む。


通り過ぎる人々を見ていると、皆落ち着いていて、慌てた様子の人物はいない。焦っているのはおれだけだ。場違いなんじゃないかと、恥ずかしくなってしまう。


おれが、おかしいのか?


一応、仕事に行くときみたいに防具と武器を装備して出てきた。しかし、街の状態は平穏そのもので、これから何かが起きるとは思ないぐらい、いつも通りだ。


そんなに、焦る必要ないんじゃないか?と自分に問いかける。理性では分かっているんだ。でも。本能と言うべきだろうか。それが警告を鳴らしている。


勘だ。ただの勘でしかない。自分の勘なんて、そんな信用できるものではないけれど。こういう嫌なことが起こるかもしれない時の勘は、よく当たる。


傭兵稼業を続けてきて、ある程度死線を潜り抜けて。何となく、こんな時は、こうだろうな、みたいな、予測が立つようになってきた。死にたくないからこそ、危険を察知する感覚が研ぎ澄まされたのだろう。


昨日のスライムと戦った時も然り。水ブレスをもらう直前、背筋がぞくっとした。あ、これはヤバいやつだ、と直感する。だから、事前に回避行動をすることができた。


おれも、そうなりたくてなったわけじゃないが、今はその類からくる勘が、何かを察知している。


これから何か来るぞ、と。


もちろん、そんな勘外れてほしい。むしろ、外れてくれ。ショウの指示で脅されただけで、ただ臆病になっているだけかもしれない。危険が無いのなら、無いに越したことはない。杞憂であってほしい。


でも、もし今この時にも、ソラが危険な目に巻き込まれてしまっていたら。


そう思うと、悠長に構えていられない。

いくら、今街が平穏でも、おれだけはそれに流されては駄目だ。

そう思いながら、目的地へと急ぐ。


大通りの突き当たりを、右側へ進む。もうしばらく行くと、酒場は目の前だ。

すると眼前に、見覚えのある後ろ姿を捉えて、少し安心する自分がいた。


「…ソラ!!」

おれは声を上げて名前を呼んだ。ソラはそれに気付いて、黒髪を揺らしながら振り向いた。


「…ゆ、ユウト?どうしたんですか?こんなところで」

ソラは立ち止まって、怪訝そうな顔で言った。


「良かった!!大丈夫!?何か、変なことはなかった?」

おれはソラに近づきながら、周りを見渡した。彼女の周りにも、危なそうなものはない。ないよね?ないことを願いたい。


「変なこと?ちょっと、言っている意味がよく分からないですが…。いつも通りですけど」


おれはソラに追いつくと、大きく息を吸って、大きく吐いた。つ、疲れた。全速力で走ってないとはいえ、武器を背負ったままずっと走ったから、さすがに堪えた。


特に何もなさそうなソラを見たら、安堵感がどっと押し寄せてきた。

間に合ったのか…?

ソラに追いつくことができたけど、特に変化はなさそうだ。


「さっきから、慌ててどうしたんですか…?なんか、仕事に行く格好だし。今日はお休みじゃなかったんですか?」


「あー、それなんだけど」

おれは右手で後頭部を掻きむしった。何て言うべきだろうか。ショウから指示があったからとは言えないし。全然考えてなかった。


「えっと。さっき、傭兵ギルドの偉い人がさ。これから、その、街で大変なことが起きるかもしれないって言ってて。とりあえず、おれたちに教えてくれたんだよ」

「そ、そうなんですか…!?」


ソラは驚いた表情で口元を抑えた。嘘を付いてしまったので、ちょっと心が痛むけれど、この際仕方がない。


「うん、だから呼び止めに来たんだ。一度、一緒に宿舎に戻ろう」

さっき、宿舎を出る前に、ハルカたちにもゲンとコウタを探して宿舎に戻るよう言ってある。これで全員揃えば、とりあえずは大丈夫なはずだ。


「さ、ソラ、早く行こう」おれは彼女に催促した。でも、ソラはキョロキョロと周りを見渡しておれを見つめる。


「で、でも…。もし大変なことが起きるなら、街の皆さんに言わなくても大丈夫なんですか?」


おれは返答に困った。確かに、その通りだ。その懸念はある。ただ、今は何が起こるかも分からないし、たぶん、これは憶測だが、ソラを連れて逃げろ、という指示からして、狙われているのはソラだろう。彼女さえ街から逃げることができれば、街への被害はない、と思う。


「…ソラ。こういうのは、あまり皆に広めちゃ駄目なんだ。皆に知れ渡ったら、街中がパニックになる。まずは動ける人だけで、準備しておくんだ」


正直、これもまるっきり嘘だ。嘘なんて付きたくないけど、今はこう言うしかない。

ソラはまだ不安げな表情だが、こくりと頷いた。


「…わかりました、では宿舎に戻ります」

おれも頷いて、宿舎の方へ踵を返す。


よし、何とかなった。あとはゲンとコウタさえ帰ってきてくれれば、皆で街を出られる。どう言って皆を街の外へ出すかだが、それもまあ、今みたいに適当に嘘を付いておこう。まずは、ソラを連れて街を出ることが最優先だ。その後のことはその時になって考える。


そう、一つ一つ、目の前のことを確実に。

おれは高鳴る心臓を抑えて、ソラの手を引いた。


ほら、大丈夫じゃないか。ショウが不安にさせるようなことを言うから、翻弄されたおれが馬鹿みたいだ。おれの勘も、全然当てにならない。そりゃそうだ、傭兵をやり始めて一ヶ月程度なんだ、外れて当然だ。


そう、大丈夫。大丈夫なはずだ。だい──。


「…きゃあああああっ!?」

後ろの方で悲鳴が聞こえたのはその直後だった。

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