第105話 焦燥
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廊下だ。
夜の廊下。左側には、規則的にはめ込まれた窓と、右側には、引き戸式のドアが、ずっと奥まで伸びている。ここからでは、突き当りが見えない。
窓から差し込む月明かりは弱く、ただうっすらと進むべき道を照らしている。
何故か、焦燥感が心を満たした。
何かに追われているような。焦っているような。早く、やらないといけないのに。
早く?
分からない。その原因が何なのか分からないが、とにかく、立ち止まっていられなかった。
まっすぐ伸びている廊下を小走りで進んでいく。
でも、一向に廊下の突き当りに行きつかない。進んでも進んでも、目の前に続くのは先の見えない廊下ばかり。
余計に、焦燥感が胸を突く。その衝動で、走っていた。
早く、ここから出ないと。
なんで?
おれが、何とかしないと。
何を?
知らねえよ。でも、このままだといけないんだ。
どうして?
息が乱れる。肺が痛い。息苦しい。
何でこんな苦しい思いをしなければならないんだろう。何のために、おれはこんなに必死になっている?
知らない。分からない。思い出せない。
気持ちだけが、おれを突き動かしている。思考が全く追いついていない。
廊下からも抜け出せない。暗い。足も痛くなってきた。
くそっ、くそっ、くそっ。
なんなんだよ。なんでこんなに焦ってるんだよ。教えてくれよ。
誰か。誰か。誰か。
『──あなたが、』
その時だった。薄暗闇が満ちた廊下に、反響して女の声が響く。その声は、廊下の奥の方から聴こえている。
『あなたが、守ってあげなさい。約束だからね』
その声は反響して、重なって、おれの耳朶を叩く。
おれは足を止めていた。
──守る。
そう。おれは守るために、こんなに一生懸命になってたんだ。守る。そうだ、守りたかったんだ。
でも、まだ何を守ればいいか分からない。どうすればいいんだろう。それが分からないと、この気持ちを、今にも張り裂けそうな気持ちを、抑えられない。
だから、また走る。
声のした方へ。
誰か知らないけど、教えてくれ。何をすればいいんだ?一体何を守ろうとしてるんだ?何をどうしたら、おれは守れるんだ?
教えてくれよ。
走りながら、手を伸ばす。必死に。無駄かもしれない。でも何か変わるかもしれない。とにかく、手を伸ばしたら、掴めるんじゃないかと思った。
伸ばして、伸ばして、伸ばして。
その先に在るのは───。
「…───はっ!?」
目の前には、木製のベッドの底。そこに向かって、おれは手を伸ばしていた。
ゆっくり体を起こして、周りを見渡す。向かい側に、もう一つの二段ベッド。質素な狭い部屋。窓から差し込む、太陽の光。
おれたちの、寝室だ。
「…そうか、おれ、寝てたのか」
さっきの夢がリアル過ぎて、夢と現実の区別がつかない。心臓が、今でも早く脈打っている。
昨日のことを思い出す。中々寝付けなくて、中庭に行ったらソラがいて。話していたらなんか泣いちゃって。慰めてもらって。もう遅いからって言って部屋に戻って、すぐ寝ちゃったんだ。
『…死ぬなよ』
その時、ショウの言葉が思い出された。そうだ。寝た後、ショウの世界に呼び出されたんだ。
そこで、おれはまた指示を──。
ぞわっと、全身の鳥肌が立った。
思い出した。思い出してしまった。
「…今、何時だ?」
おれは窓の外を見る。太陽はもうしっかりと顔を出していて、澄み切った青い空が広がっている。
寝過ごした。
昨日寝るのが遅かったからだ。こんなところで、裏目に出るなんて。
ゲンとコウタはもういない。なんでおれを起こさなかったんだ。
色々と、出遅れている。
おれはベッドから飛び起きて、部屋から飛び出し、廊下を翔けた。中庭に着くと、そこには朝ご飯を作っていたハルカとミコトがいた。
「あ、おはようユウ君!」
「あんたが寝坊なんて珍しいわね。まあ休みだから別にいいんだけど」
「や、休み!?そうか、そうだった!」
おれは、奥歯を噛みしめた。てっきり今日も仕事に行くかと思っていたが忘れていた。どおりで、ゲンたちに起こされなかったわけだ。
「ゲンとコウタと、ソラは!?」
おれは彼女らに近づくなり、居ない三人について訊いた。ハルカは、少し驚いた表情で口を開く。
「…ゲンは武器と防具の調整に。コウタは休日だから、朝早くからどっかに遊びに行ってるんでしょ。ソラは、職場の方に、仕込みを教えてもらいに行くって、さっき…」
「くっそっ!!」
おれは無意識にテーブルを叩いていた。
最悪だ。何もかも遅い。遅すぎる。
でも。宿舎から見える街並みは、いつもと変わらない。まだ、起きていないのか?おれの、気が急いていただけ?じゃあ、そんなに急ぐ必要は無かった?
『…死ぬなよ』
また、ショウの言葉が思い出される。いや、死ぬかもしれないことが起こるんだ。これから。まだ起きていないだけで。
何が起こるか分からない。だけど。
今のおれにできること。
まだ、間に合うのか?
おれは、武器と防具を仕舞っている倉庫の方を見やった。
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