第92話 おかえり
あれから一週間。
おれたちの仕事が変わることは無い。
魔物が巣食う辺境に赴き、魔物と戦って、死にそうになって、毎日ヘロヘロになりながら帰ってくる。
そうでもしないと生きていけないのだから、仕方がない。お金を稼がなければならないから。
でも今思うと、生きていくために死ぬ思いをしなければならないというのは、少し矛盾してないかと感じるが、それを言い出したらキリがなさそうなので、一旦その思考は止めておく。
そう、この世は理不尽なのだ。その理不尽に盾ついたって、虚しいだけだ。そういうのは考えない方が良い。それはそうなのだと割り切って、上手くやっていくしかない。
しかし、そんな理不尽な世の中だからこそ、日常のちょっとした出来事が幸せに感じたりすることがある。
今日は天気が良いな、とか。食材が安くなってる、とか。蒸かしイモが上手に焼けた、とか。
些細なことが、虚しさに塗れた心を満たしてくれる。たぶん、幸福に対して、敏感になっているのだと思う。たった少しの良いことで、虚しさが和らぐ。
そして、そんな日常の中に、一番大きな変化が一つ。
「あ、おかえりなさい!」
黒髪の彼女の明るい声音が中庭に響いた。
こうやって、帰ってくると誰かが「おかえり」と言ってくれるだけで、なんだか気持ちが穏やかになる。我ながら、どれだけ心が廃れてるんだって思うけど。仕方ない。心も体も疲弊しているんだから。そういうのを補充しないとやっていけない。
「…た、ただいま」
おれは一瞬返事がどもってしまった。自分で言うのもだが、ただいま、って恥ずかしいよね、何か。言い慣れてないと、こっ恥ずかしい。むず痒くなる。
「はい、本日もお疲れ様でした。ごはんできてますから、座って待っててくださいね!」
「あ、ありがとう」
黒髪の彼女ははにかみながら、エプロンを靡かせて台所に向かって行く。おれはその後姿を目で追っていくと、食事を持ってきたハルカがやってくるのが見えた。
黒髪の彼女はソラだ。
訳あって、彼女はもう白髪ではなくなった。でも、なぜか黒髪も似合っている。というか、前からずっと黒髪を見ていたかのように馴染んでいる気がする。不思議だ。まだ会ってそう時間が経っていないのに。
「ふぁああああ!じがれだぁああああ」
装備を倉庫に片付け、中庭に戻ってきたコウタがテーブルに突っ伏してぼやいた。後ろから談笑しているミコトとゲンもいる。
「ちょっと、あんた今からそこに食事を置くんだからね!邪魔だからどきなさいよ」
ハルカは両手に料理を持っているので、コウタの脛のあたりをごつんと蹴ってどかせた。
「いってぇ!お前、それが仕事から帰ってきてくたびれた功労者にすることか!暴力女!バカ!アホ!マヌケ!」
「ダサ…」おれは無意識に呟いてしまっていた。コウタの言いたいことは分かるけれど、非常に罵倒の仕方がダサい。ダサすぎる。ガキかお前は。
コウタはぎろっとおれを睨んだ。
「おいユウト!聞こえてんぞお前!ユウトのくせに!ユウトのくせに!」
「悪い、つい口が…、って、今の二回も言う必要あった?」
ハルカは熱くなることなく、すんとした態度で食事を並べる。
「なーにが功労者よ。どうせあんた、スライム相手にひぃひぃ言ってたんじゃないの?想像でき過ぎて、私の想像力が怖いわ」
「ふっふーん!そんなことねぇし!今日の俺は一味も二味も、いや、百味も違ったぜ!!味のバラエティーが豊富過ぎてもはや何が何だかわかんねぇぐらいに凄い活躍をしたんだぜ!?」
「何言ってるんだろこの人…」
「こらユウト!お前は少し黙ってろ!」
「黙るのはお前だこの大ホラ吹き野郎」
「いってぇ!」後ろから近づいてきたゲンにコウタは後頭部を殴られた。
「適当なこと言いやがって。俺たちは“物質型”相手じゃ、ミコトがいなきゃ始まんねえだろ。自分で功績上げたみたいに言うな。もっと謙虚になれ。そしてミコトを崇めろ」
「あ、崇めろ…?」意味が分からなくて、おれは首を傾げていた。ゲンは真顔で応える。
「そうだぞ。ミコト相手にお前たちは図が高い。身分をわきまえて祈れ。誰のおかげで今日は稼げたと思ってるんだ」
ゲンはそう言ってミコトに祈りを捧げた。何か知らないけど、コウタもやっている。「明日大量のお金が降ってきますように…」とか言っている。何の神なんだ。でもおれもやった方がいいのか。ハルカは突っ込まないし。とりあえずやっとこう。
「えへへぇ~。なんか照れちゃうなぁ~。褒めても何も出ないよぉ」男三人に祈られているミコトは何だか嬉しそうだ。なんだこの絵面。ハルカも淡々と食事を並べてないで、さっさと突っ込んでくれ。
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