第88話 分からない

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引っ張られる。


感情に。それが欲しいと。でもそれが何なのか分からない。分からないから余計気になる。気になり出したら止まらない。感情はおれを待ってくれない。待っていても何も始まらないんだろうけど。だけど、それが欲しい理由が分からないと、おれだって付いていけない。引っ張られると、苦しいんだ。胸が、締め付けられる。


だから、教えてくれよ。


なんで、おれ自身がそれを求めているのか。

教えてくれよ。


「…おい!来てるぞユウト!」


野太い声で、おれは我に返った。


そうだ。えっと、ここは。


こびり付く汗。水の湿気た匂い。重たい足元。心臓の高鳴り。

今まで遮断されていた情報という情報が、一気に流れ込んでくるみたいだ。


そうだった。

今戦闘中だ。


何やってんだ、おれ。こんな時に。違う。そうじゃない。“衝動”だ。いつの間にか、意識、飛ばされていたんだ。


あの“声”を、思い出しちゃったから。


「ユウ君!上!上!」

ミコトの甲高い声がおれの耳朶を叩く。


確かに、急に自分の周りが暗くなったような。いや、それは気のせいじゃない。上。上に何かいる。これは影だ。丸い形をした影。その影がどんどん大きくなって。


「…どわっ!?!?」

おれは慌てて頭から滑り込むように緊急回避した。すると、おれが立っていた場所に、ずどぉん、と大きな地響きを立てて丸い何かが着地した。


おれは改めて、その丸い何かを凝視する。


見た目は、とてもシンプルだ。丸い。丸いとしか言いようがない。そして大きい。幅も高さも、二メートル前後あるんじゃないか。風船みたいに膨らんでいて、ぷよぷよしている。触ったら気持ちいいのだろうかという場違いな気持ちが沸き出てくるほど、ぷよぷよしていて、本能的に触りたくなる。


それに、色も綺麗だ。碧、いや、磨き抜かれたエメラルド色。その魅惑的な色も相まって、ぜひとも触ってみたい。


でも残念ながらそれはできない。悔しいことに。触ったら触ったで、大変なことになる。


だって、こいつは魔物なんだから。

スライム。このミルス湿地帯に生息する魔物だ。


「ひぃいいいいいっ!こ、こっちに来んじゃねえ!!」


目の端で、コウタが槍をぶんぶん振り回しながら叫んでいるのが見えた。周りには、人間の赤ん坊ほどの、小さなスライムが大量にいる。


一、二、三、…おれは数えようとして、止めた。本当に、数え切れない。数えるのが嫌になるほどいるからだ。


そのうちの一匹が、ぽよん、という効果音でも付きそうな勢いでコウタに飛び掛かった。


「こんにゃろっ!!」

コウタは飛び掛かってきたスライムに槍を突き刺した。槍はスライムの中心にあるエメラルド色が濃くなった部分にずっぷりと突き刺さっていた。


すると、時間差で、風船が割れるように、ぱぁん、とスライムが弾け飛んだ。


「うえっ、気持ち悪ぅ!」

コウタは弾け飛んだスライムの液体がかかりそうになって、後ずさりする。


「コウタ君、その調子だよ!そんな感じで核を狙って!」

そう言ったのはミコトだ。ミコトもコウタと同じようにスライムに囲まれているが、式紙を手に取って周りのスライム目掛けてそれらをばら撒く。


「アイシィル・ウォ・リ・エル・イェルス!」


ばら撒かれた式紙は、ミコトの<呪文スペル>によって淡い水色に色めき出すと、地面に触れた瞬間、氷の杭が空に向かって突き出していた。


周りのスライムたちは、それに貫かれたり、杭から発せられる冷気で、連なる様に氷漬けにされていく。そして出来上がったのは、不可思議な形の氷のオブジェだ。


「ゲン君!」

「おう!!」


ミコトが叫ぶと、ゲンがそのオブジェに向かって突進した。


「うおっらぁ!!!」


当たる直前、持っている大きな盾をオブジェに叩き付ける。すると、ビシッという音とともに亀裂が入り、その亀裂が伝播していって、数秒もしないうちにものの見事に全て瓦解した。


すごい。あんなにいた小さなスライムたちが、一網打尽だ。


「ないすぅ!ゲン君!」きらきらと細かい氷の破片が舞う中で、ミコトとゲンがハイタッチしている。


「うぉおおおおい!?そんなんしてる暇があるんだったら、こっち助けてくれよ!?」

相変わらず一匹ずつ地道にスライムたちを突き刺しているコウタが叫ぶ。

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