第82話 役割
「やっぱり、光太があんなシリアスな展開にギャグぶっこんだからいけなかったんじゃない?」
遥香は怪訝そうな顔で光太を見返した。
「いやいや!ずっとシリアスじゃハリがねえから、あそこはギャグを入れるべきだったんだって!」
光太は遥香に箸を向けて反論する。
いつもうるさくて適当な光太だが、この中で一番漫画を読んでいるだけあって、それなりに説得力がある。ていうか、人に箸を向けるな。
「そういう遥香こそさあ、急に恋愛展開に繋げるの止めた方が良いと思うぜ?突拍子もなさ過ぎて読者が置いてけぼりになっちまうからな。少女漫画の読み過ぎなんじゃね?」
「はあ?あんたこそギャグ漫画読み過ぎなのよ!全然シリアスに合ってないのよ!」
「…あれ?でも遥香ちゃん、この前スマホに大量の少女漫画をダウンロードしてるの見た気が…」
「…実琴?いい?女の子は誰でも秘密を持っているものなの。そう簡単にバラしちゃだめよ?」
「は、遥香ちゃんの目が笑っていない…」
「まあ、でもなんで駄目だったんだろうな。勇人はなんか分かる?」
「おれは…」
急に聞かれると、何て応えてよいか分からない。さっきも言っていたように、今回はかなりいい出来だったし、問題無かったような気がするが。
ただ、強いて言うなら。
「画力、なのかな…」
やはり、キャラの動きが硬いように思う。それに背景もどことなく質素で、殺風景な気がするのだ。
「画力ねえ…。まあそれはすぐ身に着けられるような技術でもないし、あんなにカクカクになっても仕方ないんじゃない?」
「ぐはっ」
「遥香ちゃん!元君が精神ダメージを受けてるよ!」
殺風景な風景という言葉から、そういえば、葵なら、と頭を過った。
最近はずっと、あの河川敷を通って下校しているから、必ずと言っていいほど葵とも会っていた。まあさすがに雨の日は居なかったけど、それ以外はだいたい絵を描いている。
昨日葵と話したことが思い出される。
「そういえばさ、なんで葵はこんな風景を描いてるの?」
いつもは、学校でこんなことがあってとか、あの先生ウザいよねーとか、そんな他愛もない話ばかりしていたのだけれど、おれはたまたま気になっていたので訊いてみた。
「うーん?そうだなあ…。なんでだろ?」
「いや、なんでだろって。自分でも分からないの?」
こんなにすごい絵を描いているのに、目的も無いなんて。おれはさすがに呆れながら質問する。
葵はスケッチブックから目を離すことなく口を開く。
「うん。でもね、わたしの役割は分かってるんだ」
「役割?」
「そう、役割。わたしはね、自分がこの絵を描いている意味は分からないんだけど、この絵がね、わたしに“描け!”って命令してくるの」
「…命令?この絵が?」
おれは葵が描いている絵に目を落とす。でも何も意思らしきものを感じない。そりゃそうか。
だって、絵は絵でしかないんだから。
「そうそう。んで、わたしはただの、絵を完成させるためだけの道具。わたしが絵を描いてるんじゃなくて、絵がわたしを描かせてるんだよ」
「はあ…」
おれは分かったような、分からなかったような返事をした。時々、葵は変なことを口にするけど、今回のは特に意味が理解できなかった。
「んじゃあ、ここから見える風景と、葵が描いている風景が違うのは?」
おれは何か理解できることを探そうとして、もう一つ質問してみた。何故なら、葵はいつもこことは違う別の風景を描いているからだ。
おれはてっきり、この河川敷から見える風景を描いているものだと思ったけれど、葵は毎日違う場所の夕日の絵を描いている。
「ああ、これ?そりゃそうだよ、わたしの頭の中の風景を描いてるんだから」
「そうなの?」
「うん。さすがにね、自分の想像だけで絵は描けないから、本物の夕日を見て、見よう見まねで描いてるんだ」
「夕日以外の部分は?」
「これは完全にわたしのオリジナル。んでも、建物や草木や山々は、ここから見えるものをモチーフにして自力で描いてる」
「…ふーん?」
おれはまた曖昧な相槌を打った。やっぱり、葵の考えていることはよく分からない。
でも、妙に、言葉には出来ない、心が引き込まれるようなことを言ってくる。
「この風景たちがね、夢に出てくるんだ」
葵が何か思いついたように口を開いた。
「わたしは、その夢の中で旅をしてるの。ここじゃない、どこか。山を越えて、谷を越えて、色んな街に行って。そこから見える風景が、これなんだ」
ここじゃない、どこか。不思議な言葉だった。この平凡な日常を掻き消してしまいそうな、心惹かれる言葉。
「…それで、その風景たちが、葵に“描け!”って?」
「そうだよ。何のためにわたしは描かされるのか分からないけど、わたしはそれに抗うことができない。だから、彼らを描き続けてる」
「………」
おれは最早、相槌すら打てなかった。
でも、その時一瞬だけ、鬱屈とした日常ではない、ここではないどこかを想像することができた気がしたんだ。
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