第83話 既視感
「…おーい、勇人?」
おれは元の低い声音で現実に引き戻された。
そうだった。そういえばまだ昼休みだ。
「あんたほんとさ、ぼけーっとしてること多いわよね?さすがに見過ごしてらんないわよ?」
遥香が眉を顰めて、おれを睨んでいる。
「あ、あはは、ごめんごめん…」
「もう、何度目よそれ。もう聞き飽きたんだけど?」
機嫌を悪くしてしまったようで、遥香はそっぽを向いてしまう。
「まあまあ遥香ちゃん。勇君もお年頃なんだから、もしかしたら最近いい子ができたせいかもしれないよ…?」
「ぶっ」
実琴が変なことを言い出すから、おれは堪らず噴き出してしまった。
あ。
やばいかも。
そう思った時にはもう遅く、さっきまで機嫌の悪かった遥香はにたりと不敵な笑みを溢す。
「…へぇえ?面白い反応するじゃない。まさか図星だったの?」
「い、いやそういうわけじゃ…」
「えー、でも今のはちょっと怪しかったわよね?実琴?」
「うんうん!これはもう間違いないよ!勇君、もう素直に白状しちゃいなよー?」
「だ、だからそういうんじゃないんだって…」
じりじりと詰め寄ってくる遥香と実琴。やはりこの年頃の女子にとってそういう話は格好の餌食だ。おれは助けを求めるように元に目線を送った。
「…勇人」元は咀嚼していたカツサンドを呑み込むと、真剣な目でおれを見つめる。
「俺はな、お前のことを親友だと思っていたが…、それは何かの間違いだったようだ」
そして、突然の裏切り。合いの手を加えるように、光太も「そうだ!リア充は爆散しろ!」とかなんとか箸を指しながら言っている。だから、箸を人に向けるな。
「そ、そんな…」
「さあ、そろそろ観念しなさい?」
遥香の眼光が怪しく瞬く。実琴も手をわきわきしながら接近して来る。
あ、終わるのか。ここで。何も出来ず、何も残せず、ただ散っていく。哀れな花のように。…って、そんな余計なこと考えている場合じゃないんだけど。
本当にどうしよう。
と、思った時だった。
ブーッ、ブーッと、机の上に置いていたスマホが鳴りだした。細かく振動しながら、机の上を自力で移動している。
それだけじゃない。同じくバイブレーションが鳴り響いて驚く者や、けたたましくアラーム音が響く音まで、同時に色んな警告音が教室内を満たす。
そして、その後合唱するように響いた声は。
『地震です。注意してください。地震です。注意してください』
直後、ぐらり、と大きな揺れが教室、いや、学校全体を襲う。
慌てる者。奇声を上げる者。机の下に隠れる者。何もせずじっとしている者。それぞれが、それぞれの行動を取り、揺れが収まるのを待つ。
一分も経たないぐらいだったろうか。
揺れは収まった。
「…今のは割とビビったな」
机の下から顔を出した元は額を拭いながらふーっと息を吐く。
「そうね。驚いてしまうぐらいには大きかったわね…」
「こ、ここここ、怖かった…」
同じく机の下に潜っていた遥香と実琴は、地べたに膝を付けていたようでぱんぱんと埃を落としている。
「あれ、光太は?」
遥香がきょろきょろしながら周りを見渡している。
「ああ、光太なら」一部始終を目撃していたおれは教室のドアの方に指を差す。「一目散に教室から出てったよ」
最初の揺れがきた瞬間、何を思ったから知らないが、急に起立して、人目を綺麗に避けながらドアの方へ向かって行く姿は、さながらプロサッカー選手のドリブルのようだった。どんなところで実力を発揮しているんだよ。
「そういうあんたも、なんで動かなかったのよ?怖くなかったの?」
遥香は不思議そうにおれを見返している。
「あ、なんだろ、怖くなかったというか…」
おれは先ほどまでのことを思い出した。確かに、恐怖は感じた。でも、恐怖を感じる前に、言葉には言い表せないような、既視感を覚えたのだ。
身体まで伝わってくる振動。逃げ惑う人々。入り乱れた声。
それは、なんだったっけ?
「どうせあれだろ、いつもみたいにぼーっとしてただけなんじゃねえの?」
元がよっこらせ、と椅子に腰を下ろしながら愚痴を溢す。
「えぇ?そんなんだったら早死にしちゃうよー?勇君?」
さっきの地震がよほど怖かったのか、実琴は涙目になって心配している。
「ああ、うん。そうだね…、気を付けるよ」
おれは苦笑いを浮かべて、そう応えた。でも、心の中では違うことを考えている。
ただ、その答えを見つけだす前に、もう既視感は消え去っていた。
まあ、何はともあれ葵のことについて追及されずに済んだことは不幸中の幸いだったなと、それだけが心に残った。
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