第71話 休日
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一陣の強い風が、びゅうと唸って、身体をすり抜けていく。耳元で誰かが囁いた気がして、おれは顔を横に向けた。
目に映ったのは、薄汚れた屋根瓦の群れと、向こう側まで広がる移住区の家屋。一番端にはアルドラの街の外壁が無機質な存在感を放って佇んでいた。
誰もいないか。おれは向けた視線をもとに戻して、もう一度寝転がった。
宿舎の屋根瓦が少し背中に刺さって痛い。居心地のいい場所を背中で探しながら空を仰げば、群青色の空に点々と真っ白な雲が散らばっているのが窺えた。
良い天気だ。風は肌寒いけれど、降り注ぐ陽光は温かくて、身体がじんわりと熱を帯びる。
雲は意識しなければ分からないほどゆっくり流れていき、それをずっと眺めていると、なぜだか瞼が重くなってきた。
おれは躊躇わずに目を瞑った。
瞑れば、訳も無く、瞼の向こう側に、一昨日の出来事が思い出される。
今考えても、あれほど強烈なことが同時に色々起こる日なんて、そうそう無いだろう。
あの日、おれたちは霧が晴れた後、森を抜けるための目印を見つけ、何とかアルドラの街に帰還した。その夜のことは、疲れすぎてほとんど何も覚えていない。
最近、疲れて泥のように眠ることが多い気がするな、と感じて、嫌気が刺したけれど、まあ、それほど充実しているってことだろう。良く言えば。
しかし、今日はこうやって何もせず、ごろごろ出来ている。
休日だからだ。
以前休日だったのは、おれが二日間昏睡状態だった日だから、そのことを知らない。ということで、今回実質初めての休日を過ごしている最中だ。
傭兵は、絶対に毎日仕事をしなければいけないという縛りが無い。
自分たちの好きなタイミングで仕事を選び、それを遂行することができる。おれたちは貧乏だから、ほとんど毎日仕事をしているだけで、休みを取ろうと思えば簡単に取れるものなのだ。
それもそうだろう。例えば仕事で怪我をしてしまって、毎日仕事をしたくても、できない日はある。そこで絶対に仕事をしなければならないという縛りがあれば、こんな仕事やっていられない。疲れた身体を休めるのも、立派な仕事の一貫、というわけだ。
ただ、傭兵には時々招集命令が下される場合があるらしく、その時は休日を過ごしていたとしても、傭兵ギルドに赴かなければならない。
さらに、一ヶ月以上仕事をせず、放置した状態になると、強制的に傭兵ギルドの登録リストから削除されるらしいので、定期的に仕事をしなければならない。まあおれたちが一ヶ月以上仕事をせずに休むことなんてたぶん無いだろうから、そこを気にする必要はないのだが。
今回、休日を取った理由は二つある。
一つは、素材を売って金を稼げたことだ。おれたちが苦労して取って帰ってきた化物の素材が、思いのほか高く売れた。
昨日、素材を売るためにアルドラの街の、よく商人たちが出入りする市場に立ち寄った。
するとやはり、あの化物のような素材は出回っていないらしく、その硬度や傷の有無、希少価値を鑑みて、高額な値段で売ることができたのだ。その時はコウタが上手いこと取り合ってくれて、少々傷がある素材でもそこまで価値を落とされずに済んだ。
そんなこんなで、一稼ぎできたことが理由の一つだ。
二つ目は、ソラのこと。
彼女は今、おれたちの拠点である宿舎のベッドで眠っている。
本来は傭兵じゃない人間を宿舎に入れることはできないが、おれたち以外誰もいないし、使っていない部屋はいくらでもあるから、別にいいじゃないかということで、部屋の一室を彼女の部屋にしている。
ソラは窪地で意識を失ってからずっと眠っている状態だった。またミコトが治癒魔術を施したけれど、彼女の意識が戻ることは無かった。なんでも、ミコトの治癒魔術は、傷を癒せても、精神的なものには影響がないらしい。
そこでおれたちは、いつ彼女が目覚めるか分からないので、彼女が起きるまでは休暇を取ろう、という話になった。
幸い、素材を売って金を稼げたおかげで、当分は何とかなるだろうし、もし無理だったとしても、一人は宿舎に残って彼女の看病をすることになっていた。
そうして、今に至る。
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