第72話 それぞれの日常

今は皆、それぞれつかの間の休息を自由に過ごしている。


コウタは朝っぱらからもう宿舎にはいなかった。こういう時だけ起きるのがずいぶん早い。たぶん、稼いだお金で、食べたり遊んだりしているのだろう。使いすぎて一文無しにならなければいいけれど。まあどうでもいいか。


ミコトはソラの看病をしながら、読書に勤しんでいる。読書好きな彼女にとっては、願ったりかなったりというところか。


ゲンは装備や武具の調整へ。このパーティ最大の防御力を誇るゲンの装備が駄目になったら、いざという時どうしようもなくなるので、ゲンが武具屋に通うのはよく見る光景だ。


おれも行くべきだったかな、と今になって思ったが、正直今ここの宿舎から外へ出るのは億劫だった。


そうだよ。せっかくの休みなんだからさ。


普段出来ないようなだらだらした生活をしたいじゃないか。有意義に時間を使えているかは微妙なところだけど、たまにする程度なら、悪くないだろ。


だらだらする行為を頑張る日。つまり、そういうことだ。


なんだそれ。


その時、また声が聞こえた気がした。


今度は空耳じゃなかった。下の方から聞こえてくる。おれは身体を起こして、そっと下を覗きこんだ。


ハルカだ。


彼女は休日になっても、自主練に励んでいた。毎日動かないと、身体が訛ってしまうのだとか。殊勝なことだ。


ハルカは宿舎の広い中庭を使って<技術スキル>“投擲スロウ”の訓練をしていた。中心に赤い点を描いた丸い的を地面に突き立てて、それを狙っている姿がある。


ハルカが太腿に装備した一本のナイフを、片手に収める。瞬時に狙いを定めると、人差し指と中指に挟んだナイフを、腕だけでなく、身体全体を弓のように撓らせて、一気に抜き放つ。ナイフは一直線に的へと伸びていき、カァン、と軽やかな音を立てて突き刺さった。


ハルカは間髪入れず、身体を回転させる最中さらにナイフを抜き、もう片方の手でナイフを握る。


それも同じような直線を描き、的の中心へと吸い込まれていく。ナイフを放った瞬間には、もう次の動作に移っている。無駄の無い動きで残りの三本のナイフをそれぞれの指の間に挟み込んで、三本をまとめて抜き放った。


カカカカッと軽快な音が耳朶を叩いた。見事、五本のナイフは全て的に刺さっている。おれは思わず舌を巻いた。


…すごい。


やはり、ハルカの<技術スキル>はこのパーティ内で一線を凌駕している。

他の皆が劣っているというわけでは無いけれど、ハルカの身体捌きは研ぎ澄まされているというか。


どこか、鋭利な印象を与えられる。


でも、当の本人は納得していないようだった。顔を歪めて、的を凝視している。確かに、最初に放った二本のナイフは的の中心を捉えているが、最後に同時に放った三本のナイフは、的に当たってはいるものの、中心から僅かに逸れていた。


と、上から高みに見物を決めていると、急にハルカがこちらに振り向いた。おれは視線を逸らすことができず、ハルカの赤い瞳がおれの瞳を貫いた。


嫌な予感がした。


「ユウト、あんたそんなとこで何してんのよ」ハルカが声を張り上げて、身体ごとこちらに向き直った。


「…えーっと」


視線を空に移して、うなじに手を回す。何て言えばいいのだろう。どうせめんどくさいことを言われるんだろうなと察してしまったので、おれは必死で言い訳を探した。


「あ、あれだよ、ちょっと空を眺めて精神統一してたっていうか…」

「どうせただぼーっとしてただけなんでしょ?」


言い終わる前に図星を突かれて、言葉が続かなかった。

あ、もうダメだこれ。


「ねえ、暇なんだったらちょっと降りてきなさいよー」

ハルカは満面の笑みを浮かべている。


おれは溜息を溢さずにいられなかった。

今日は、何もしないって決めたばかりなのに。


下に降りると見せかけて逃げようかなとも思ったが、後が怖そうなので仕方なく止めた。

いや本当に、ハルカを怒らせるとマジで殺されかねない。余計なことをせず従うのが吉だ。


足取りが重いまま、おれは宿舎の中庭へ向かう。


「あ、きたきた」

ハルカも廊下から中庭に向かうところだった。さっきまで中庭にいたのに、どこに行っていたのだろう。


というか、おれを呼んで何するつもりだ?


絶対何かされるとは思っていたものの、それが何なのかまだ分からなかった。面倒なことじゃなければいいのだけれど。


「はい、これ」

「…うおっと」

ハルカはおれの方に長い棒みたいなものを放った。おれは慌ててそれを掴む。


「…これって」

木刀?


その瞬間、何をするかだいたい理解して、鉛が頭の上に落ちてくるような感覚に襲われた。


「そ。ちょっと私の練習相手になってくんない?」

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