第65話 振り出し

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静かだ。


どこまでも、静寂が続いている。時折聴こえる葉擦れの音は、さあっと聴覚を通り過ぎて、真っ白な世界に溶けていった。


そう、真っ白。

一瞬、ショウのいる世界を思い出したが、それともまた違う。何もかもを覆ってしまう水蒸気の群れが、目の前の景色全てを白に染め上げているからだ。


微かにちらほらと影を見せる木々は、現れては消え、流れるように景色を変えていく。自分はその場から動いていないにもかかわらず、ゆっくりと移動している感覚に捕らわれる。


その中で、特に目立つハルカの赤髪が揺れた。


こちらに振り向いたのだろうか。

霞んだ先に、ハルカの赤い瞳が宝石のように輝いている。その隣には、胡坐をかいて樹の幹に身体を預けているゲンの姿が見て取れた。


視界に、淡い緑色の光が映えた。ミコトの、治癒魔術だ。緑の光が、大気を覆う水蒸気に反射して、滲むように景色を彩っていく。


ミコトは腰を下ろして式紙を二人に掲げているところだった。二人とは、コウタとソラだ。


コウタは両足を伸ばして地面に座り込み、ソラは目を瞑ったまま、仰向けの状態で眠っている。


コウタは遺跡からの落下で受けた怪我を、ソラは擦り傷だらけの身体を、ミコトに治療してもらっていた。


おれはそれを遠目から眺めた後、隣にぽっかりと空いた洞窟に目線を寄越す。


洞窟は、もう水蒸気がなだれ込み白くなりかけているが、僅かにそこに闇があることを認識させている。


これは自然に出来た洞窟じゃない。洞窟のように見えるけれど、ミコトの魔術で岩に空いた、ただの大きな穴だ。


おれはさっきまでの出来事が、ずっと前に起きたように感じられて、深く溜息を吐いた。


そう、おれたちは遺跡を脱出することに成功した。

通路が塞がって遺跡の崩壊が迫る中、通路の壁から噴き出る微量の風を頼りに、最終的にミコトの魔術の最大火力で壁を吹き飛ばし、外へと道を繋げた。


煌々と輝く花のように目の前を照らす道を、進んだのだけれど。


待っていたのは、希望の光などでは無く。


霧だ。


口から飛び出した空気は、僅かに目の前の水蒸気を揺らして、混ざり合った後、見分けがつかなくなる。


今考えれば、当たり前と言えば当たり前だ。おれたちは、この霧からとりあえず避難するために遺跡に入ったのだから、まだ外が霧に包まれていたって、なんら不思議ではない。


でも、さ。


おれたちは、頑張って、必死こいて遺跡から、脱出したのに。

なんでこうなっているんだよ。


改めて、現実の理不尽さに、頭を抱えたくなる。


そりゃあさ、脱出することで手一杯で、霧のことなんか、もうすっかり頭から抜け落ちていたよ。そこまで、頭が回っていなかった、こっちのせいもあるけどさ。


この仕打ちはないんじゃない?


誰にもぶつけることができない言葉が、虚空を満たす胸に反響するかのように響いた。


いや、強いて言うならば、ここに行けと命令したショウか。

あいつのせいで、本当にえらい目に合った。どうせ、あいつのことだから、こんなおれたちを見て、せせら笑っているのだろう。


考えると少し腹が立ってきたが、それと同時に、とりとめのない疑問が頭に浮かんだ。


ショウ。お前は、ここに来て、彼女を救えって言いたかったのか。


「———…ふぅ」


静寂の中を、ミコトの吐息が場を満たした。


「治療、終わったよ」ミコトは額から流れた汗を腕で拭いながら、皆を見回した。


コウタはすぐさま立ち上がり、腰を回して、腕を回して、屈伸をすると、少しだけはにかんだ。


「さんきゅ、ミコト」

「…ううん、いいよ」

ミコトは頬を緩ませ、立ち上がろうとして、急にふらついた。


「…っ!おい、大丈夫か!?」


全員がミコトに駆け寄る。ゲンがいち早くミコトを支えるように肩を抱いた。


「…あ、あはは、ごめん。ちょっと<精神力メンタル>使いすぎちゃったみたい…」


ミコトは少し苦しそうに笑う。それはそうだ。脱出する際にあんな大規模な魔術を発動させて、さらにコウタとソラを治療したのだから、疲れない筈がない。


「ああ。お前は頑張ってくれた。だからもう休め。あとは俺たちで何とかする」


「…うん、ありがと。じゃあ、ちょっとだけ、休ませて、もらう、ね…————」

ミコトはそう言った後、静かに目を閉じてしまった。


大丈夫だろうか、と心配になってミコトの顔を眺める。でもミコトは、どうやら少し眠っただけのようだった。すうすうと寝息を立てている。


こんなミコトは見たことが無かった。<精神力メンタル>?の使い過ぎと言っていたか。それが何なのかは分からないが、魔術を扱うのに関係があるのか。


けれど。


ゲンの言う通り、これ以上ミコトばかりに頼っていられない。


また、静寂が訪れた。

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