第64話 その日は突然に

今日も、一日が終わってしまう。そう自覚するのはだいたいこの下校時間だ。


終わってしまう、と言うほど、この一日が特別で、名残惜しいわけじゃない。


逆だ。毎日が同じことの繰り返しで、こんな日常でいいのか、とどこか心の中で焦りを感じているのだと思う。


いつもの帰り道。学校の校門を出て、校庭のすぐ隣の歩道。西日に向かって真っ直ぐ歩いている。


元は家が反対方向だから、校門の前で別れてしまった。振り返っても、彼の大きな背中は見えなくなっている。


おれは一人、とぼとぼと帰路を歩く。


運動部のやつらの太い声が校庭で響き渡っていて、ふとそちらに顔を向けた。色んな生徒が、それぞれの青春を、謳歌している。


昨日も、同じ場所で、同じ行動をしていた気がして少しデジャヴを感じた。


そういえば、一昨日も、そのまた前の日も、そうしていたと改めて思う。


何してんだろう。


また、ずり、と何かがズレる音がした。


馬鹿馬鹿しくなって、歩を進める。


でも、一人で歩いていると、嫌でも何か考えてしまう。


今日の出来事。帰ってすること。明日の予定。部活のこと。コンテストのこと。この帰り道の間に、機械的に演算処理されて、次々と今後の行動が組み込まれていく。


そして、整理された予定という道をおれは何事もなく歩いていく。


そう、何事もなく。


「…あ」


いつの間にか、信号の前に立っていた。歩道用の信号は赤だ。でも、いつもと風景が違う。


それは明白だった。信号の奥の道の真ん中に、でかでかと“工事中”の看板が立っていたからだ。


そういえば、今日から工事するとか、書いてあったっけ。登校する時に、電信柱にそう書いていたことを思い出す。


おれは左右を見渡した。どちらに行ったとしても自宅には帰れるが、左側は遠回りになってしまう。


となると。


右側を見ると、河原の堤防へと続く道が伸びているのが見えた。普段使わない道だけれど、左に大回りして迂回するよりかはいくらかマシだろうと思い至った。


踵を返して、堤防への坂道を目指す。


「…うわっ」


思ったより苦にならずに坂を登り切った時、強い風が頬を掠めた。


目の前には、真っ赤な太陽。それが向こう側の堤防奥にある住宅地を明々と照らしている。


帰り道の方向に向くと、河川に沿って、ずっと道が続いているのが見えた。何も遮るものが無いので、おかげで吹き付ける風が強く、肌寒さを感じた。


「…こんなところ、あったんだ」


近くに河川があることは知っていたが、今まで学校の行き帰りは工事で封鎖された道しか通って来なかったから、こんな場所だとは知らなかった。


おれはとりあえず、横から吹き付ける風に煽られながら、脚を進める。


今のところ、人が通っている気配は無くて、おれ一人が延々と続く道を歩いている。


周りの景色が一望できて、見上げると空も広く、開放的な良い場所だった。でも、何も無い整備された道をただそれに沿って歩いているように感じられて、何か嫌だ。


しかし、不意に不純物が紛れ込んだ。


河川側の、河道に降りる芝生の上。誰かが座っていた。

こんな風の強い日に座り込んでいる。


誰、だろう。


近づくにつれて、その人物の姿が徐々に鮮明になってきた。


女の子だ。長い髪の女の子が、体育座りのような格好で芝生に腰を下ろしている。


おれはさらに接近する。と言っても、帰り道がそっち方向なので、接近せざるを得ないんだけど。その女の子は、何かを膝の上に置いていた。


キャンバスだろうか。絵を描くための。必死になって、おれの接近にも気が付かず、キャンバスの画面にのめり込んでいる。


よく観察すると、彼女はおれと同じ学校の学生のようだった。横と背中の姿しか見えないため、確実ではないが、あれはたぶんうちの女子生徒が着こむブレザーだ。


ふわっと髪が風で靡いて、横顔が露わになる。


知らない横顔だった。学校でも見たことが無い。同級生じゃないのか。違うクラス?どうでもいいけど、髪、邪魔じゃないんだろうか。さっきから長い髪が強い風に吹かれて、乱れまくっている。でも彼女は全く気にすることなく、キャンバスに何かを描きこんでいる。


変な子だなと思ってしまった。


美術部なのだろうか。おれも、絵を描く過程は好きだけれど、絵画みたいな、完成された絵の良さは、全く分からない。


でもなぜか、その子から目が離せなかった。何か、引力的なものが、おれの目線を放さない。


その刹那。


たまたまだった。たまたま、彼女の描いている絵が、視界の端に映った。彼女の横脇から、それが見える。


世界が、急に時を止めたみたいだった。


今まで頭の中に在った日常も、平凡も、嫌悪も、焦燥感も、違和感も、全部凍ったみたいに固まって、砕けて、音を立てながら、さらさらと消えて行く。


消えた後には、鮮烈な茜色が世界を満たした。


そう、茜色の世界が、小さなキャンバスの枠組みに収まって、ただそこに佇んでいた。


何かがかちりとはまる音が聞こえた。

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