第31話 距離感

「でもさ」ゲンが口調を変えて言葉を続けた。


「ユウトお前、よくあんなの倒せたよな」

「え、あ、おれ?」


急に話題を振られて、おれは一瞬反応に困った。


「だって、かなり強い魔物だったぞ。下手すりゃ、俺たち全滅だったかもしれないのに、それを一人で倒すなんてさ。どうやったんだ?」

俺、腹ぶっ刺されて記憶ないからなぁ、と平気で怖いことを言っている。


「どうやった、って…」

おれは視線を地面に落とした。


本当のところ、あまり覚えていない。いや、覚えてはいる。いるんだけど、なんか、不鮮明というか。それを言葉にするのは難しい。


「そうだよ!お前いっつも静かなくせに、何一人で手柄立ててんだよ!なんか秘訣でもあんだろ!隠すな!ずるいぞ!教えろ!」


コウタが顔をぐいっと近づけてきて、おれは軽く背中を逸らした。

そんなこと言われても。本当に分からないんだよ。


でも。あの時の感覚は何となく覚えている。身体が羽のように軽くて。自分の思い通りに身体が動いていた。意識と身体との誤差が無くなって、本当の意味で、一つになっているような。


この傭兵稼業を通して、この一週間、彼らと共に幾度も魔物と戦った。

そこで記憶の無いおれがやってこられたのは、ひとえに、身体が戦い方を覚えていてくれたからだ。


焦って、やばいと感じたら、どういう風に動いたらいいかを、身体が勝手に示してくれる。自分はそれに倣って、身体を動かすだけだ。そう、言うなれば、与えられた線をなぞるみたいな感じだ。


けれど。あの、黒い化物と戦った時。

あれは、こんなものではなかった。与えられた線をなぞる過程をふっ飛ばして、同時に線を描いているような。今まで自分の身体の使い方を間違ってたんじゃないか、っていうぐらい、自由に身体を動かせていた。


もちろん、今はそんなことできない。幾度かの戦闘でも、あの感覚までは至らなかった。というか、あれはやろうとしてできるようなことじゃないと思う。


それを、伝えればいいのだろうか。


いやいや。

無理でしょ。


「…うーん」おれは愛想笑いを浮かべた。「ごめん、自分でも分かんね」


「おいおいおい!そこまで間を持たせといて、それは無いだろ!」

「や、だって考えたけど、分かんなかったんだって」

「はぁあん!?」

コウタはじりじりとさらに目を細めて近づいてくる。もう、何なんだこの人。


おれは逃げるように視線を逸らした。

すると、ハルカと目線が合った。そういえば、ハルカはあの時の戦いを一番見ていたはずだ。もしかしたら、ハルカならうまく説明してくれるかもしれない。


「あ、あのハルカ…」

「あんたさ」

おれの声と、ハルカの声が重なった。おれはそれで、言葉が途切れてしまった。


「あんた、本当に分からないの?」

「…え?」


ハルカが予想外な質問をしてきて、おれは狼狽えた。え?分からないって?何が?というか、ハルカの質問の意図が分からない。


本当に、分からないの?どうにもおれが何か隠しているような聞き方じゃないか?

でも、なんかちょっと。


怒ってる?


暫く沈黙が続いたあと、ハルカはふいっと、そっぽを向いた。


「…まあ、いいわ」

「あ、おい、ハルカどこいくんだ?」ゲンが、立ちあがってどこか行こうとするハルカを呼び止めた。


「お風呂、先に入ってるから。汗だくだし。晩飯は任せたわ」

そう言い残すと、ハルカは中庭を出て廊下の奥に消えてしまった。


「なんだ?あいつ」

コウタは怪訝な顔つきで廊下の奥を睨んだ。


「…っし。じゃあ飯の準備すっかぁ…」

ゲンはうーん、と背伸びをして立ち上がった。「あ、ハルカちゃんだけ行かせちゃった!私もお風呂の準備、手伝ってくるから!」とミコトは、はっとしたようにハルカを追いかけていった。


「ほら、コウタもユウトも。飯作るぞ」

そうだ。今日はおれたちが晩飯の当番だ。


「えぇぇ、めんどくせぇよぉ」コウタはふて腐れたように肩をだらんと垂らした。

「いいから、お前はイモの皮でも剥いてろ。ユウトは鍋に水入れて沸かしといてくれ」


「あ、うん」

おれはそう返事して、鍋を片付けている棚に向かった。


なんか。

変に話が途切れてしまったな。


おれは無意識に前髪を指で弄っていた。癖なのかなこれ、と思いながらも、足を進める。


不安なことは色々あるけども。その中でも、わりと致命的なのが一つ。


一週間経っても、まだ彼らとの距離感がいまいち掴めていないことだった。


だとしても、今は上手く会話できているな、という時はある。

例えばコウタなんかは、けっこう話しやすかったりする。人には、ここまで話を踏み込んでいいという距離感があって、コウタはだいたい包み隠さず何でも言うから、ある程度こちらも踏み込みやすい。


まあ、時々それが面倒くさいな、と思うが。そこがコウタの良いところだ。


でも、コウタには良くても、他の人には良くないことだってある。

人それぞれ、その距離感が違うのだ。だいぶこの人に慣れてきたかもしれない、と思っても、踏み込み過ぎて、また引き離されてしまう。


さっきのだってそうだ。

ハルカがどんな気持ちであんなことを言ったのか、分からない。本気で言っていたのか、冗談で言っていたのか。その二つの選択肢だけでも、こちらが取るべき言動は、幾つか考えられる。


それを間違えるのが嫌で、踏み出せなかった。

怖いのだろうか?


そんな経験を覚えているわけじゃない。けれど、何となく、分かる。


たぶん、これがユウトという人間の、素なのだろう。


人付き合いが苦手だったんだろうな。おれって。


それを悔やんだところで何にもならないので、とりあえず、時間をかけて距離を掴んでいくしかない、とは思っている。


おれは空を見上げた。

空一杯に広がった薄い雲が、赤く染まっている。今日も終わりだな、と感じた。

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