第32話 夢

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不思議な、夢を見た。


覚えているわけじゃない。ただ少し、夢の残像というか、余韻みたいなものが頭の中に残っているだけだ。でも夢って、時間軸が無くて、取り止めが無くて、前後関係があやふやなくせに、妙に、現実味を帯びる時がある。


だから、起きた時、夢と現実が重なって、頭がこんがらがる。本当にこれは現実なのか、と自分自身に問いただす。


寝苦しさから、おれは目を覚ました。


「…気持ち悪」

胃の中が空っぽで、少し吐き気がした。


朝することは決まっている。


顔を洗って、寝癖を直して、夜の間に回しておいた洗濯物を干して、制服に着替える。まるで機械みたいに、同じことの繰り返しだ。頭が働いていなくても、身体が勝手にそういう風に動く。


部屋のドアに手を掛けた時、初めて自覚する。いつの間にか、もう学校に行く準備が出来ている、と。そこでやり忘れたことが無いか何度か確認して、ドアを開け、鍵を閉めた。


今日の天気は生憎の曇りだった。傘、いるだろうか。持っていくと雨が降らなさそうだし、持っていかなかったら雨が降りそうだ。結局、部屋に取りに行くのが面倒だったので、傘は諦めた。


学校までは徒歩二十分程度。あれこれぼーっとしているうちに、目の前には学校の校門が現れる。校門をくぐり、靴を下駄箱に放り入れて、教室へと足を向ける。


「あ、おはよー、勇君」


教室のドアを開けると、本を手にした実琴が自分の席に座っていた。

相変わらず、彼女は学校に来るのが早い。「おはよ」とおれは実琴に軽く手を挙げて応えると、隣の席に座った。


「…何読んでるの?」

「えーっと、今日は、これ!じゃじゃん!」実琴は嬉しそうにおれに表紙を見せてきた。


「…『必見!未解決事件の謎!』?何それ?」

「いやあ、これがなかなか面白いんですよー」

「この前はSF小説読んでなかった?」

「あ、もうその時代は終わったから」

「終わったんだ…」


おれは少し呆れてしまった。実琴は色んなジャンルの本を読むのが好きだ。でも、あまりにも幅が広すぎて、全然付いていけない。


まあ、良いことなんだけどさ。最近の女の子は何が好みか分からなさ過ぎないか。実琴が特殊なだけか。


「お、今日は何読んでんだ?」


不意に後ろから声が聞こえた。振り返ると、元が鞄を担いで、おれを見下ろしていた。こちらは相変わらずでかいし顔が怖い。見下ろされるといつにも増して凄みがある。


「ふっふっふ、時代はミステリーなんですよ」実琴は誇らしげに本を見せつける。


「実琴って、本当によく分からない趣味してるわよね…」


元に隠れて見えなかったが、遥香も一緒に来ていたようだった。耳にはイヤホンのコードがぶら下がっている。


「あれ、今日は早いね、遥香」おれはちょっと驚いた声音で言った。


「別にいいじゃない」遥香は不機嫌そうに呟く。「あいつみたいな遅刻魔と一緒にしないでよね」


「お、噂をすればだ」元は何かに気付いた様子で、廊下の方を見た。


「おーっす!今日も良い天気だなぁ!諸君!」

「曇天だよ…」


勢いよく教室のドアを開けたのは、遅刻魔こと光太だった。おれは思わずツッコまずにはいられなかったが、光太は全く気にしていない。


「えー?光太君が早いの意外だー!」実琴が口元を抑えて驚いている。


「まーね?俺ほどにもなるとね?こんなこと朝飯前っつーか?朝飯は食ったけど?」

光太はぐっと、短い髪を掻き上げて見せた。何を恰好つけているんだろう、この人は。


「…知ってるよ、お前、宿題やってないんだろ」

元が眉をひそめて、光太を睨んだ。ギクッという感じで光太が動きを止める。あ、図星なんだ。


「…元さん!いや、元様!哀れな俺に慈悲をっ…!!」

光太はものすごい素早さで、土下座を決めた。


「ほんとお前な…」はあ、と元は大きく溜息をついた。「恥ずかしいから、顔上げろって」


「あ、私もよろしく」遥香が間髪入れずに元と光太の間に手刀を入れた。


「遥香、お前もか…」元がさらに深い溜息をついた。遥香はふふん、と何故か威張っている。いや、遥香も褒められてないからね?


「あはは、元君モテモテだねぇ」実琴がくすっと、頬を緩ませる。


「そういう問題じゃねえよ」

元は面倒くさそうにしているけれど、少し頬を赤くさせた。実琴に言われて、照れているのだろうか。


おれはちょっとだけ、その光景を見て安心した自分がいた。

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