第13話 意味と無駄
生徒たちが、一斉に時計の針を見た。もうすぐ、昼休みが終わる。
「そうだ!」光太がいきなり立ち上がった。「おれ、SDしてなかった!」
「SDって?」と実琴が首を傾げる。
「宿題!」
「いや、そこ略さなくていいだろ…」
おれは思わず突っ込んでしまった。エスディー、としゅくだい、では、言葉的に全然省略出来ていないような。むしろ、SDが何か分からない時点で、そっちの方がまどろっこしいまである。
「そんな細かいこと気にすんなよ」光太はバンバンとおれの背中を叩いた。けっこう強くて、おれは前屈みになる。
「んじゃ、またあとでなー!」
光太はわらわらと移動する生徒たちに紛れて、自分の席に帰ってしまった。おれは頭を擡げて、まだ学校終わってないだろ、とまた突っ込もうとしたが、面倒だったのでやめた。
「まあ」元は遥香の方をちらっと見た。「話はあとにしようぜ」
「…しかたないわね」遥香は、はあ、と肩をすくめる。
「しょうがない、勇人にはあとで罰として、ジュース一本奢ってもらおうかしら」
「えっ?なんでそういうことに…」
おれは遥香に向かって手を伸ばしたが、彼女は足早に去ってしまった。
「じゃ、俺たちもいくわ」元が歩き始めると、その後ろを実琴が付いていく。
「またね!勇君!」
おれ一人が、その場に残った。自分の席に皆集まっていたようだったから、動く必要は無いのだけれど、なぜか、置いていかれたような気分だ。
まだ生徒たちは自分の席に戻っても、ざわざわしている。先生が来るまで、時間があるからだ。おれはバッグから教科書やらノートやらを一通り取り出すと、教室全体を見渡した。
ここの席は、校庭が見える窓際の最後列だから、皆の姿がある程度見渡せる。廊下側の窓際には、光太がいそいそとペンを動かしている姿が目に映った。誰かのSDを写しているのだろう、その動きに迷いはなさそうだ。教室の真ん中辺りでは元が隣の生徒と駄弁っていた。元は強面で、ああいう図体をしているけれど、意外と、社交的な性格なのだ。だから、そのギャップが逆に、面白かったりする。教卓の目の前には、実琴がいる。手に持っているのは、本?だろうか。何を読んでいるんだろう。ここからじゃ、見えない。遥香は、おれの隣の席の、一番前にいる。とても、暇そうだ。ペン回しをして、ぼーっとそれを見つめている。
いつも通り、だ。
いつも通りだけど。
やっぱり、何かが、違う。何がどう違うまでは、分からない。違和感があるのは、確かだ。
でも、もっとこう、全体的に尖っていた気が。尖るってなんだ。違う違う。じゃあふわっと?さすがに、ふわっとではないよな。
おれは後ろ頭を掻きむしった。何がしたいんだろう。自分でもよく分からなくなってきた。
「おーい、静かにしろー」
ガララ、と音がしてので、振り向くと、先生が教室に入ってくるところだった。生徒たちのおしゃべりが、一瞬だけ、途切れる。でも、数秒すると、また少し賑やかになった。
「おい、日直」先生が一声かけると、今日の日直らしい女子生徒が立ちあがる。
「起立、礼」
お願いしまーす。覇気のない間延びした声が教室内に響き渡った。椅子を引く音と重なって、消え入りそうだ。
「じゃあ始めるぞー。今日は大事なところをやるからなー。えーと、ページは…」
先生も負けないくらい覇気のない声音で、話し始める。同時に皆がパサパサとページを捲る音がおれの耳に届いた。
ずり、と心の中で何かがずれた。
あ、また無駄なことしてる、と思う。
時々ある。時々、というとおかしいかもしれない。頻度じゃない。どちらかというと、ずっとだ。毎日ずっと感じていることなのだけれど、普段は鳴りを潜めて隠れている。でも、それが急にふっと顔を出す。
鏡を見ているとき。信号に止まっているとき。空を見上げたとき。ふと、ケータイを取り出して画面を開いたとき。
皆と同じように、ページをぺらぺらと捲っているとき。
場面は、様々だ。
無意識にやっていることが、馬鹿らしくなるのだ。
こんなことしてていいのか?みたいな。それはまあ、人間なのだから、何かと無駄の多い生き物だ。余計なことをどうしてもやってしまうし、考えてしまう。
そうなのだろうけれど。
ページを捲っている最中、腕が消しゴムに当たって、床に転げ落ちてしまった。ころころと転がって、隣の席の女の子の足元で止まる。
女の子は、素早く気付いてそれを拾い上げてくれた。はい、と笑顔で手を差し伸べる。
おれも頬を緩ませた。
こうやって、愛想笑いを浮かべているときも。
気持ち悪い。
何考えてんだろ。
「えー、今日の授業は-----------」
それきり、先生の話が全く頭に入ってこなくなった。
というより。
瞼が重くなってきた。
さっきまで感じていた違和感は段々と現実に溶け込んでいって、もう違和感を覚えていたことすら、忘れ去られようとしている。
結局、何だったのか分からないけれど、どうせそれも、どうでもいいことだったのだろう。
瞼がさらに重みを増す。
授業なんだから、駄目だろ、という自分と、別にいいじゃないか、という自分がいる。
でも、勝敗は見えている。
目を閉じるのに、何の抵抗もなかった。
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