第7話 ノイズ
意味が分からない。
だってそうだろう。記憶が曖昧で、何のためにここに来たのか分からなくて、ただとりあえず、皆に付いてきただけだった。それだけなのに。
どうして、こんなことになっている?
おれは考える。
これは、そう、簡単な依頼だ、とゲンは言っていた。悪鬼を追い払うだけの簡単な依頼だと。
なのに。
なんで?どうして?何がどうなったらこうなる?
頭がぼんやりする。頭の中で、疑問が渦を巻いて、延々と繰り返している。
視界の端には、ミコトとゲンの姿が見えた。でも、ゲンの方は倒れたまま、動かない。ミコトは、ゲンに何かしているようだけれど、ここからじゃ、よく見えない。
コウタも、ここから一番遠いところで、横たわっていた。コウタも動く気配が無い。
その時、ちらっと、視界に赤いものが横切った。ハルカだ。ハルカが、黒い化物と戦っている。どちらも、すごいスピードで戦いを繰り広げている。
そういえば、どれぐらい時間が経っただろう。一分?十分?分からない。時間感覚がおかしい。狂っている。
こういう時、なぜかああしとけば良かったな、とか、こうするべきだった、みたいな後悔が頭を過る。
自分がもっと早く記憶が曖昧なことを皆に告げていたら、ここには来なかったかもしれない。自分がしっかりと窪地の周りを観察していれば、こうはならなかったかもしれない。
そういうことを考えたって仕方がないのに、自分が最善を尽くした結果の、これよりも良い未来を想像してしまう。
そんな余韻に浸っている自分がいる。ただ、立ち尽くしたまま。俯瞰している。
本当に、無駄な行為だと思う。
人はそれを、単なる現実逃避だ、と言うのだろう。今いる現実を受け入れられずに、想像の世界に逃げている。
そんなことは、分かっている。
分かっているのなら、やれることはあるはずだ。そうだ、やるべきこと。例えば、ハルカの助太刀に入ったり、何かしているミコトを助けに行ったり。動かないコウタを安全なところに避難させたり。
そう、やるべきなのに。
身体が、動かない。全然動いてくれない。
何でだろう。おかしいな。
今考えてみたら、少し不思議だった。こんな状況で、もしかしたら死ぬかもしれないって時に、身体が動かないなんて、矛盾している。死にたくなかったら、普通嫌でも動くものだろう。
それでも動かないのは、たぶん、分かってしまったからかもしれない。
今自分が何かしても、無駄だって。ああ、もうこれだめだなって。感覚的に、分かってしまったのだ。
じゃあ、動かなくていいや、みたいな。一言でいうと、諦めている。
そうやってまた、自分を俯瞰している。
「ふっ…ふっ、はあっ、っはぁ」
ハルカの呼吸が耳元で聞こえた気がして、おれは顔を上げた。
ハルカは汗だくだった。額から汗が幾つも零れ落ちている。それでも、ハルカは身体を動かす。動かし続ける。
実際、息も上がっているのだろう。肩で息をしているのが、ここからでも分かる。
ハルカは走りながらナイフを投げた。黒い化物は軽々と避けて、ハルカを追いかけ、尻尾を放つ。でも、その前にハルカは尻尾の射程から上手く離れる。
そして、離れながら地面に落ちたナイフを拾って、また同じことを繰り返す。
ただの、時間稼ぎに見えた。
そこまでする、理由が分からなかった。何のために、頑張っているのか。なんで、そこまでできるのか。
分からない。おれに、記憶が無いから?そういう問題?それだけじゃない?
だって、目に見えてるじゃないか。そんなの、いつまでも続くわけじゃない。それを繰り返したところで、いったい何になる?何が変わる?
わかんない。わかんないよ。でも。
ちょっと、場違いかもしれないけど、不謹慎かもしれないけれど。
格好いいな、と思ってしまう自分がいた。
全力で何かをしようとしている姿が、とても綺麗だった。透明感のある綺麗さじゃない。上手く言葉にできないが、力強さのある、凛とした綺麗さだ。
その時、ふっと胸に違和感のようなものが芽生えた。
なぜだろう。おれはこの感覚を、知っている。前にも、こんなことがあったような。
前にも?それはいつ?思い出せない。ただ感覚だけが、ひしひしと胸に染み渡っていく。
「きゃあっ!!」
短い悲鳴が聞こえた。はっとして、おれは前を見た。ハルカが転んでいた。どうやら、石に躓いてしまったようだ。ハルカは必死の形相で立とうと踏ん張っている。
でも、立てない。
ハルカは立てなかった。足に力が入っていない。小刻みに震えている。限界だったのだ。
黒い化物は止まらない。それを見逃すはずが無い。尻尾の切っ先をハルカに向け、そのまま突っ込んだ。
全てが、スローモーションみたいだった。
森の動きも、落ちる木の葉も、化物の姿も。風の音、葉擦れの音すら聞こえない、まるで、深い水の中に、いるみたいだ。
ハルカが目に映った。動く気配はない。というより、動けないのだろう。
刹那、ハルカの目が見えた。燃え上がる炎のような、赤い瞳だ。
死んでいなかった。
あんなに動いて、必死で戦って、もう身体がボロボロで、立てやしないどころか、動きもできないのに。目は死んでいない。
ノイズが視界を走った。
ノイズ?なんだそれ。でも、確かに今、何か映った。
もう一度、ハルカを見つめた。
あれ?あれは、ハルカだっけ?
違う。ハルカじゃない。彼女がいた場所に、別人がいる。
誰だ?知り合い、だろうか。いや、知り合いって何だ?でも、見たことがある。
あれは。そうだ。そうだった。おれは。
おれは、あの時のために-----------。
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