第2話 森の中で
風がふっと吹いて、鼻孔に空気が入ってきた。土と植物が混ざった、独特の匂いだ。
それがそこら中に充満している。当たり前だ。ここは森なのだから。
どこを見渡しても、緑、緑、緑。偽物の森ではない、正真正銘の森だ。ていうか、偽物の森ってなんだろう。
しんと静まり返った空気の中に、赤い瞳の女の子の声が響いた。「ねえゲン、今日はどんな依頼だっけ?」
森の中には音を遮るものがほとんど無いから、声の波がさっと広がって、反響しているように聴こえた。
「悪鬼討伐だよ。数が増えてきたから、巣を叩いてほしいんだとさ」
先頭を歩いている強面男は、振り向かずに応えた。さっきから歩いては地面を見ているが、何をしているのだろう。ここからでは見えない。
「えぇ?またしょぼい仕事かよ。俺、そろそろ飽きてきたんだけど」
短髪の青年は溜息と一緒に愚痴を漏らした。
「なーに言ってんのよコウタ。仕事なんだから、当たり前でしょ」
赤い瞳の女の子はきつい口調で短髪の青年に振り返った。
「でもさぁ、もっとこう、強い魔物とか倒して、一気に金稼ぎたくね?」
「えぇ…、やだよ私。強い魔物と戦うの」
今度は、眼鏡の女の子が反論した。すると、短髪の青年はこちらに振り返った。一瞬、自分と目が合いそうになって、焦った。でも短髪の男が見たのはおれの後ろにいる眼鏡の女の子だ。
「ミコトは臆病だなぁ。そんなん、俺がいたら万事解決だろ!」
茶髪の男は自信満々に言い放つと、赤い瞳の女の子が彼を蔑むような目で見つめる。
「コウタ、あんた馬鹿?馬鹿なの?いや馬鹿だったわね」
「はぁあ!?俺のどこが馬鹿だって!?ならお前、四百字以上で簡潔に述べやがれ!」
「あんたの、そういう自分の実力も分からないようなところが馬鹿だって言ってんのよ」
「ざんねーん。四百字以上じゃありませーん。不成立~」
「あんたが馬鹿だって証明するのに、四百字も要りません~」
茶髪の男と赤い瞳の女の子は睨み合っている。仲が良いのか悪いのか、よく分からない。でもまあ、元気だよね。二人とも。
「あのなあ、もうガキじゃねぇんだから、そんなしょうもない喧嘩するなよ」
強面男が呆れたように呟くと、「はぁあ!?しょうもなくねぇよ!だったらお前、しょうもないってことを四百字以上で説明しやがれ!」と茶髪の男が言い出して、また言い合いが始まった。
こんなやり取りをしながら、おれたちは強面男を先頭に一列で延々と森の中を歩いていた。
もう小一時間ほど経つだろうか。周りは見渡す限り緑なので、同じ場所をずっと彷徨っている気がするが、そう思うのはおれだけだろうか。
でも、この小一時間、何もしなかったわけでは無い。ちゃんと、自分のこと、彼らのことについて考えていた。
とりあえず、彼らのことは断片的ではあるが、思い出すことができた。先頭の強面男がゲン、その後ろの茶髪男がコウタ。おれの前にいる赤い瞳の女の子はハルカで、最後尾にいる眼鏡の女の子がミコトだ。
なんで、忘れてしまったのかは分からない。やはり、さっき樹から落ちた衝撃が原因だろうか?
でも、彼らは皆仲間だったはずだ。行動するときはずっと一緒で、それで。
それで?
分からない、それ以上のことが。彼らとは、どういう関係だったんだろう。何があって仲間になったのだろう。
それに、もう一つ気になることがあった。自分の記憶にある彼らと、目の前で歩いている彼らが少し、違うのだ。
彼らが別人というわけじゃない。ただ何か、引っかかるものがある。服装だろうか?いやでも、雰囲気もイメージと違うような?
それに、他にも何か大切なことを忘れている気がする。
絶対に忘れてちゃいけない物を落っことして、心にぽっかりと穴が空いた感覚。
それを埋めるために、霞んだ記憶の中をずっと迷走している。
「…ユウ君、なんか、辛そうだけど大丈夫?」
急に、後ろにいたミコトが横から顔をひょっこりと覗かせて、彼女の心配そうな瞳と、目があった。
「あっ、いや…」
おれは少しだけ、身を強張らせた。
どう、言えばいいんだろう。素直に記憶が曖昧なことを話すべきだろうか。いや、それでは余計心配をかけるだけじゃなかろうか。
「…やっぱり、さっき落ちた時何かあったんじゃない?」
ミコトがさらに顔に詰め寄ってきた。近い。顔が、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと、考え事してただけで」
やっと出てきた言葉がそれだった。まあ、考え事をしていたのは本当のことだし。間違ってはいない。
「本当に?」
「うん、ホントホント…」
ミコトがじっと目を見つめてくる。おれは視線を泳がせそうになって、必死に堪えた。
「ふーん…。ならまあ、いいんだけど」
ミコトはすっと視線を外すと、元に位置に戻った。おれは内心、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、まだ怪しまれているようだった。ミコトはそんな目をしていた。
罪悪感のようなものが胸を突く。でも、仕方がないと言い聞かせる。
どうせ、今の自分のことを突然話してしまっても、彼らに不安を与えるだけだ。
それに、こんな状況下に置かれていても、不思議と慌てていない自分がいた。いや、全く慌ててないと言えば嘘になる。自分のことは名前以外思い出せなくて、仲間のこともよく覚えてなくて。控えめに言って最悪だ。
でも、どこか自分を遠くから俯瞰しているような、もう一人の自分がいる。
とりあえず、この「依頼」とやらを終わらせるまで。それまでは黙っているべきだ。そいつが、そう呟いているようだった。
「おい、お前ら遅いぞー」
ゲンの声がした。前を向くと、ゲン、コウタ、ハルカとけっこう離れてしまっている。
「さあ、早くしないと!行こう、ユウ君!」
後ろにいたミコトが、急かすようにぐっとおれの背中を押してきた。
「ちょ、ちょっと、わかったから…!」
押された勢いで転びそうになったが、押されるがままに急ぎ足で彼らの後を追った。
そう、今は普通にユウトという人間を演じよう。でも、その普通が難しいことが、今更分かったような気がする。
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