第3話 巣の近くで
また、どれぐらい森の中を歩いただろうか。あれからさらに一時間と、少しぐらいか。はっきりした時間は分からないけれど、確実に疲れたのは分かる。
「…岩が増えてきたな」ゲンが徐に呟いた。「もうすぐで巣に着くぞ」
彼らの話から推測して、どうやらおれたちは悪鬼討伐、という依頼の仕事でここまで来たみたいだった。
おれたちが変な格好をしているのも、その悪鬼とやらと戦うためだったらしい。だから、こんな重い武器を背負いながら、こんな森の奥までわざわざ歩いてきたのだ。
もちろん、依頼ということは、誰かに頼まれて、それをおれたちが承諾してきたはずだが、その経緯すらももう覚えていない。
でも、悪鬼という言葉だけは、なんのひっかかりもなくすんなりと理解できた。理由は全く分からない。ただ、それがどういう生物で、どんな見た目をしているのかが、何となく想像できるのだ。
今思えば、他のことだってそうだ。本当に記憶が無いのであれば、この森という言葉や、依頼なんて言葉すらも分からなくなっているはずなのに、不思議と理解できている。
ということは、欠けているのは、自分のことと、彼らの記憶だけ?
「…皆」
先頭にいるゲンが急に立ち止まった。いつもよりか、小さな声だった。
「巣があったぞ」
そう言ってゲンは、身体を屈めてしゃがんだ。
おれたちはゲンに倣うようにしゃがんで、身体を草陰に隠した。そして、ゆっくりと低い姿勢のまま前進していくと、巣の全貌が明らかになってきた。
そこは、大きな窪地だった。そこだけ草木が生えておらず、ぽっかりと空いた巨人の足跡みたいになっている。窪地の広さは、だいたい目測で五十メートル四方ぐらいだろうか。かなり広い。岩がむき出しになっていて、というか、岩だらけだ。苔むしているものもあれば、岩肌が露出しているものもある。
「…あれが、巣?」
おれは知らず知らずのうちに呟いていた。すると、目の前にいたハルカがちらっとこちらに顔を向けた。
「…そうね、あれを見てみて」
ハルカがそっとここから反対側の窪地の側面を指さした。
あれは、なんだろう?穴?窪地の側面には、いくつかの穴が穿たれていた。ちょうど、人間の子供が入れそうな大きさだ。ということは、あの中に悪鬼がいるのか?
穴の中は真っ暗で、奥がどうなっているかここからは見えない。何が居るか分からない恐怖が、そっと背筋を撫でた。
「他にも、あそことか。あれは悪鬼の足跡だわ」
さらにハルカが指さした先には、人間の掌を広げたような模様が岩に生えた苔に刻まれていた。よく見れば、それはそこらじゅうに散らばっているではないか。少し、気色悪い。
「あ、あれが悪鬼の足跡…」
頭の中ではそれが何なのか理解できていたが、実際に見てみるとより一層現実味が沸いてくる。ここには、魔物がいるんだ。
「そう…って、あれ?ユウトって悪鬼見たことあるでしょ?」
ハルカが不思議そうな目でおれを見た。それではっとする。今の感じは、まるでそれを初めて見るような言い方だった。
「あ、いや、改めて見るとこう、気持ち悪いな、って…」
「ああ、そういう意味」
ハルカは納得して頷いた。おれは心の中でほっと息を付く。危うくバレるところだった。
「でも、あれだね」ミコトが前かがみになって窪地を見下ろした。「悪鬼、全然見当たらないね」
そう言われれば、巣穴や足跡はここからでも目視できるものの、目的の悪鬼が一匹もいない。
「…なんでいねえんだろな?」ゲンがうーん、と低く唸った。
「あたしだって分からないわよ」
ハルカはむすっとした顔で応える。イライラしているのか。ここまで来る途中でも思ったがこういう時のハルカは少し怖い。
おれはもう一度窪地を眺めた。草木が生えてないので、太陽の光が直接降り注いでいる。
岩にこびりついた苔は太陽の光できらきらと輝いていて、とても幻想的な場所だった。本当に、悪鬼なんているのか、っていうぐらい。
「そんじゃあ」コウタが何か足元をごそごそと探し始めた。「石でも投げてみっか」
拾い出したのは、拳大の石だった。それを見たハルカは大きく目を見開いた。
「そんなことしたら、あたしたちがいることバレちゃうじゃない!」
「まあ大丈夫だって。いたらいたで、戦うだけだし?ほら、よっと!」
コウタは聞く耳持たず、しゃがんだまま大きく振りかぶって石を窪地の方へ投げてしまった。
「あ…!」
そんな簡単に投げるとは思わなかったので、誰も止められなかった。皆、綺麗な放物線を描きながら落ちていく石に釘付けになる。
ゴトン、と大きな音が、窪地内に響いた。
同時に、草陰にさっと匍匐して隠れる。顔が地面に当たるぐらい低い態勢だったから、むっと岩と苔の湿った匂いが鼻に付いた。
何をやっているんだ。これで悪鬼たちが怒ってきたらどうするんだ。戦わなきゃいけなくなるだろ。
…戦う?
そういえばおれ、戦えるのか?
今さらだった。さっきから他のことばかり考えていて、忘れていた。いや、忘れていたというよりも、深く考えないようにしていただけかもしれない。おれたちは、戦いに来たのだ。戦って、悪鬼を倒さないと、依頼は終わらない。
そういうあんただって、戦わなきゃいけないんだからね?
ハルカに言われた言葉を、今さら頭の中で反芻する。
どうしよう、非常にまずい。心の準備もできてない。どうしよう。
しかし、いつまで経っても襲われる気配はなかった。そもそも、生き物の足音すら聴こえない。
ミコトがゆっくりと草陰から顔を出した。
「…本当に、いないね」
他の皆も、続々と顔を出して確認する。
「ほらな!大丈夫だったろ?」
コウタは満面の笑みを浮かべて、得意そうに言った。ハルカは微妙な顔をしている。
「まあ…。結果的には良かったけど…」
「じゃあ、いないこと分かったし、中入って確認しようぜ!なんかあるかもしんねえだろ?」
そう言ってコウタは我先にと草陰から飛び出して窪地に降りて行った。「あ、ちょっと!」とハルカが止めたが、遅かった。
「もう!あいつすぐ勝手な行動するんだから!コウタ!待てって言ってるでしょ!?」
ハルカがコウタを追いかけて窪地に降りていく。おれは頭が付いていかなくて、見ているしかできなかった。
「あ、あはは…。降りてっちゃったね」
ミコトは苦笑いを浮かべておれを見た。おれも反射的に苦笑いを浮かべる。
あの二人は、いつもこんな感じなんだろうか。自由なコウタに、プライドが高そうなハルカ。
まだぼんやりとしか思い出せないが、そうだったような気がする。
ゲンは慣れているのか、溜息を一つ付いて呟いた。
「…しゃあない。俺たちも降りるか」
「そうだね」
ゲンとミコトは立ち上がって、窪地の縁に足を掛けた。おれもそれを見て、すぐに立ち上がる。
まだ、心臓の鼓動が早い。戦わなければいけないと思って、緊張したからだ。結局悪鬼はいなくて助かったが。
でももし、悪鬼がいたら?
そう思うと、さらにどくどくと血流が早くなった。
「ユウト、来ないのか?」
ゲンの声が聞こえて、はっと前を見た。ゲンとミコトが待ってくれている。
「あ、ああ。行くよ」
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