初恋マシーン
進常椀富
第1話初恋マシーン
初恋は甘くほろ苦く、実らぬもの。
昔の詩人はそう言ったらしい。
今は時代が違う。
新世代のルールってものがある。
世界は変わるものだ。
ニカブ姿の男が視界に入った。目元を除いて全身を灰色のベールで覆っている。
ニカブ、昔はイスラム教徒の女が、自分の姿を隠すために使った衣装だ。
だが、現在では多くの先進国で男が着用している。
男は買い物カゴをさげて品物を物色していた。
あの男だってイスラム教徒じゃない。誰かの夫だろう。
平日の昼間からスーパーで買い物しているところをみると、何らかの不労所得があるのかもしれない。
嫁が何人もいて、その稼ぎが多いから家事を担当している可能性もある。
どっちにしろ……。
揺れるニカブ姿を目の端で追いながら、俺は思う。
あんなのは御免だね。
ダンディじゃない。
洒落のめしてこそ男。
キメてこそ男。
俺は今日も赤の三つ揃いスリムスーツに、同色のソフトフェルトでキメている。ナノエアコン完備で、真夏でも見苦しい汗などかかない。
フェルト帽のつばをつまんで、キメ具合を調整する。ニカブには帽子も似合わないのが難点だ。
不意に隣から桐山果歩が話しかけてきた。
「総司ももう三十歳なんだから、ニカブも考えてみたら?」
「この伊藤総司がニカブ? 寝言をいうなよ果歩……」
「もう、そればっかり! 最悪、命にもかかわることなのよ」
「命を賭けてキメる。惚れなおすだろ……?」
「はぁー……」
果歩のやつ、ため息で会話を締めくくりやがった。
果歩は四番目の嫁だ。二十八歳。童話作家で、俺とはクリエイター同士だから気が合う。だが、少々お節介なところがあるな。
ニカブの有効性。全身をベールで包み込んで、視覚情報を遮断することは確かに有効だ。PEAの分泌を抑える。
PEAとメントロイピンの複合分泌に、好フェロモン因子の合致が起きると、脳内にクピドーシスシステムが形成される。
クピドーシスシステムの形成をもって、統合情報プレートは『初恋』と認識する。
こんなことを知っているからって、俺は科学者じゃない。作曲家だ。
つまり、この時代では誰もが知っている常識だ。こんなことは。
なんといっても、『初恋婚姻法』の基礎だからな。
先進諸国の多くは、婚姻の自由を放棄した。初恋の相手を伴侶と定め、脳内にクピドーシスシステムを維持しつつ、人生の初期から目標を持った生活をさせる。
それが、社会及び個人において生活の質を大きく向上させる秘訣だった。
これは実践され、何十年もの検証に耐えた理論だ。
事実、離婚は自由であるにもかかわらず離婚率は激減し、出生率は上昇、若年既婚者は高収入の職に就く割合が高く、国民総所得は増大した。
俺も精通が始まるまでに、果歩を含む五人の嫁が決まっていた。ガキのころからキメてたしな。
そうなると結婚生活を始めたとたんに六人家族の大所帯になる。
社会に出たてのガキが六人集まっても、無能だったら食っていくのは簡単じゃない。
生活補助を申請することはできる。
だが、そんなことは俺のプライドが許さなかった。
自分の能力で最大限に稼ぐため、俺はガキのころから突っ走った。
模索し、努力し、その結果、いまでは売れっ子作曲家だ。
俺の稼ぎだけで、家族全員が食っていける。
しかし、じつのところはもっと好調だった。
果歩の本も売れてるし、他の五番目までの嫁はみな、海外でバリバリ働いている。
もう俺が稼がなくても、十分潤った生活ができた。
クピドーシスシステムを維持して生活した家庭はだいたい高収入になる。
政府は正しかったと、俺も認める。
この世は一夫多妻制だった。
だが、一夫多妻制が導入された反面、男の初恋は無視された。男の初恋を成就させても、社会的貢献度の低いことが実証されていた。
男女平等じゃない。
効率を追っていったら、そうなってしまった。
俺はもちろん納得している。社会のシステムに。
そもそも、男は惚れられてこそ、だ。
俺はまだ惚れられていたい。
女の注目を集めたい。
いま以上に嫁を増やす気はなかったが、なにも初恋ばかりが恋じゃない。
既婚者同士の熱い夜ってものもある。
だからこそ、俺は洒落のめす。
俺の思考を読んだのか、果歩が唇を尖らせて話を蒸し返した。
「そんなカッコウしたって、若者のいない昼間のスーパーくらいしか来れないじゃない」
「う、うぅーん……」
まあ、確かに果歩のいう通りだ。
夜になれば、アミューズメントパークだろうがバーだろうが、だいたいの娯楽施設は未婚者立ち入り禁止になる。
俺のような蝶がはばたく時間帯だ。
だが、夕方から夜の早い時間帯は、おいそれとうろつけたもんじゃない。『初恋婚姻』をしていない、若い未婚者が街に溢れるからな。
俺は恋のハンターだ。とはいえ、嫁を増やすのには躊躇する。
みんなでお出かけするなら、夕方までに家へ戻らなければならない。
平日昼のスーパーくらいしか来られなかった。休日の行楽地なんて、まず無理だ。いままでもそれで嫁が増えたし。
そんなわけで、俺たちは二台のカートをいっぱいにして、レジの順番待ちをしている。
最近はカートに品物を入れたとたんに清算が行われるシステムが主流だったが、この店はそうじゃなかった。だから人が少なくていい。
果歩に正論を言われたままなのが気に食わないので、俺は悔し紛れに言ってやった。
「果歩、おまえは俺が俺じゃなくなったとき、惚れていられるか……?」
「バカじゃないの?」
果歩が呆れたようにそっぽを向く。
フフン、言い返せまい。おまえは俺に惚れてるからな!
一人で悦に入っていると、低い位置から腰に手を回された。
舌っ足らずの声が言う。
「レジ待ち長―い。早くしてー」
今日一緒に連れてきたもう一人の嫁、山城悠里だった。
まだ十四歳だが、悠里は十三番目の嫁だ。
女子の義務教育は終わっている。しかし、まだ親元から学校に通っていてもいい年齢だった。
でもコイツはウチに来ちまった。
学校に通わせたいのだが、なかなか言うことをきかない。
悠里がツインテールを揺らし、目を丸くしながら言う。
「アタシ、本物の野菜食べるの初めてかもー」
無加工の野菜は、本来低所得者の食い物なので、俺たちはあまり食わない。
今日は俺が、ワイルドな食材で、ソリッドな手料理を振舞ってやろうという趣向だ。
「今夜は俺が本物のシチューを食わせてやるからな、悠里。滅菌もばっちりキメるぜ」
悠里が顔に疑問符を浮かべる。
「ホントにおいしーの? 自分の家で切る野菜とかさー?」
「うまいさ! 一度食ったらやみつきだぜ!」
「ふーん……?」
我が家の日常的な一コマだった。
なにも異常はない。
この平穏を打ち破るように、軽やかな音楽が脳内に流された。頭蓋後頭部に貼りついている統合情報プレートが、その発生源だった。
名曲は『結婚宣言』
俺が作った曲だった。
十五の時に作曲し、コンペを経て政府に採用されたものだ。
この曲が流れたということは、誰か女の子が初恋に落ちたらしい。
ひとつの『初恋婚姻』が成就した証だった。
レジ待ちをしている周囲の人間もキョロキョロと見回している。
合成音声が脳内に告げた。
「おめでとうございます。夫、伊藤総司」
それは俺の名だった。
つまり、夫は俺だ!
この場にいるほかの人々の脳内にも、情報プレートが婚姻の成就を告げているはずだ。
『婚姻情報』は公開データだった。
合成音声が続ける。
「妻、高梨乃亜。十四人目の妻となります」
その妻がどこにいるのかまだわからない。
しかし、統合情報プレートが青の点滅で視線を誘導してくれる。
みなの目が下のほうに移動した。
そこに……、ちっこいのが……いた。
俺は顔面の毛穴がすべて開くのを感じた。
高梨乃亜は母親と手をつなぎ、横を向いてガムをくちゃくちゃ噛んでいる。
情報プレートによると四歳か。俺に興味があるようには見えないが。
当然のことながら、乃亜の母親も、娘の夫である俺の個人情報を入手する権利がある。
乃亜の母親が俺の情報を受け取ったらしい。
びっくりするような大声をあげた。
「キャア! 大金持ち! でかしたわ乃亜!」
母親はもしかしたら、俺より若いんじゃないだろうか……?
乃亜、やたら早熟な子猫ちゃんだぜ……。
コイツとまともな結婚生活ができるようになる頃、俺は何歳だ?
呆気にとられて、しばらく乃亜の横顔をみつめる。
果歩が腕組みして、諦めたような声を出す。
「まったく、いわんこっちゃない……」
「だ、だけどよ、こんなちっこいのが……」
俺は言い訳がましく言った。
続ける言葉を考えるうちにも、再び『結婚宣言』が流れた。
合成音声は弾んだ声で告げる。
「おめでとうございます。夫、伊藤総司」
俺は戦慄した。また夫は俺だ! そんなバカな! いや、理屈の上ではありえないことではないにしろ……。
周囲の視線が俺に集まる。
俺は周囲を見回した。近くに子供はいない。いないぞ! 嫁になりそうな年齢の女はいない!
合成音声が言った。
「妻、広崎みちよ。十五人目の妻となります」
プレートの誘導にしたがって視線を巡らせる。
その先には……。
潤んだ瞳のオバサンが立っていた。
脳内に流れ込んできたプロフィールによると、四十一歳だが、なんと初婚だ。
子どもも困るが、俺よりずっと年上っていうのも、なんというか……。
知らずに頭皮が動いたのか、帽子がずり落ちそうになった。
俺は帽子を被りなおし、ここは冷静にキメるしかないと悟った。
男に選択の自由はないのだから。
汗が一筋、頬を伝う。
「お、奥手な女も嫌いじゃないぜ、みちよ。いつでもウチに来ちゃ、いや、来たらいいさ……」
……噛んじゃった。
みちよは視点の定まらない表情で口を開いた。
「うわぁー、ジャグジー……。夜景がきれーい……」
プレートからウチの間取りを引き出して閲覧しているようだ。
ま、確かに、望むなら自分の家になるんだから、様子を見るのは必要なことだ……。
俺の肘がつかまれた。
果歩が憂い顔でつぶやく。
「総司……」
対照的に、悠里は楽しげな表情で俺を見上げ、鼻を鳴らした。
「ふふっ」
この反応にはわけがある。
俺の嫁は十五人に達した。これは特別な数字だった。……つまり、アレだ。
そばにいたニカブ姿の男が静かに歩み寄り、俺の横にすっと立った。
目だけを動かして俺を見る。
そして、ベールに隠された口で呟いた。
「初恋……マシーン……」
ざわめきが周囲に広がり、買い物客たちが口々に囁く。
「初恋マシーン……」
「こういう人が……」
「初めて見たわ」
「あの……伝説的な……」
「初恋マシーン!」
周囲の視線が俺に注がれた。
俺は皆に応えるように、軽く肩をすくめてみせる。
つまり、そういうことだ。
妻の人数が十五人に達した夫は、その後の生活のために、特殊なアンチエイジングプログラムを受ける権利と義務が発生する。費用は政府持ち。
俺はサイバネティック置換を受けねばならない。
ぶっちゃけ、サイボーグ化だ。
人呼んで『初恋マシーン』
『初恋マシーン』に、俺はなる。
こんな俺だから、いつかそうなる覚悟は出来ていた。ずいぶん急な展開だったが。
少しばかり感傷的な思いが胸をよぎる。
持って生まれた肉体ともおさらばだ。
カーチャン……。アンタから貰ったこのボディ、何割か挿げ替えることになったぜ……、けっこう気に入ってたんだけどな……。
感慨にふけるまもなく、戦慄のメロディーが側頭葉を走った。
またもや『結婚宣言』!
果歩が息を飲む。
周囲のざわめきも止まった。
人間は予測をして行動する動物だ。俺にだって、この先何が起こるか予感がある。
何故か結婚宣言が二重にだぶって聞こえた。
こんな忌まわしい音の連なり、信じられない。
というか、こんな曲、作るんじゃなかった。
合成音声が予定調和のように告げる。
「おめでとうございます。夫、伊藤総司」
周囲の目が俺に留まったあと、さらに俺の背後に向けられる。みな、そちらに誘導されていた。
後ろを振り返る。
服売り場のあいだから、連結された双子用ベビーカーが出てきた。
「妻、真田一葉、真田双葉。十六人目、十七人目の妻となります」
双子の赤ん坊が乗っている。ともに一歳。
俺よりずっと若い母親が声をあげた。
「ヤダ、この子達ったら。この前、プレートを入れたばっかりなのに」
「う、あ……」
なんと言うべきか、言葉が出てこない。
果歩が俺の腕をつかんで大声を出した。
「何かおかしいわ! 人のいるところにいちゃだめよ!」
俺だってそんなことには気付いているさ。ただ信じたくなかっただけだ。
だが、もう躊躇してはいられない。
「そ、そうだな。帰るか……」
新しい嫁の一葉と双葉を指さしてキメる。
「あとで電話するから!」
理解できるわけないだろうが、やらずにもいられなかった。やることを終え、俺たちは急いで店の出口に向かう。
買い物カートは、そのまま置きざりだ。
心臓が早鐘を打ち、汗が止まらない。
くそ、ナノエアコンの調整は完璧なはずだ。
汗なんて俺には似合わないぜ……。
俺の早歩きについてきながら、悠里が弾んだ口調で言う。
「あと三人だね! 生体洗浄まで!」
「生体洗浄なんて起こらねえ。何も楽しいことなんてないぜ?」
生体洗浄。
通常、嫁の人数が十五人に達してマシーン化されたあとは、好フェロモン因子の合致が極度に起こりにくくなる。つまり、嫁の増加は普通なくなる。しかし、それでも嫁が増え続け、二十人に届く場合もあるという。
そうなると、その夫はミュータントとみなされた。
今の時代に合わせて遺伝子の寡占化を目論む、ミュータント因子が発現したものとされ、『生体洗浄』の対象となる。
『整体洗浄』の手順はこうだ。
まず、俺の記憶はメモリーバンクに移される。肉体のほうは詳細な検査ののちに破棄されてしまう。その後、ミュータント因子を取り除かれた、新しい肉体がクローン再生される。
どういうことかといえば、いまいるこの俺は死ぬ、ということだった。
メモリーバンクから記憶が移植されるとはいえ、俺から見れば、俺は死ぬ!
死刑もない時代に、俺は法律によって殺されることになる!
悠里が目を輝かせながら言う。
「生体洗浄受けるんならさ、クローンの肉体年齢は、アタシより年下がいいな~」
「そんなことできるわけない」
俺は言ったが、悠里は反論してきた。
「妻の八割が同意すればできるもん。テロメアの長さはそのままだから、寿命は変わらないけど」
「そんなこと始めて聞いた。本当ならずいぶん法律に詳しいな。勉強してるのか?」
「だってアタシ、弁護士目指してるも~ん」
そうだったのか。夜遅くまで何をしているのかと思っていたが……。
やはり俺の嫁! 見所がある!
食うのに困らない状況でありながら、目標を持って努力を怠らない!
そのことには感心する。するが、年下好みは危険な願望だ。
今の俺の状況を考えれば!
俺は悠里に言い返した。
「弁護士にはなれるぜ、悠里。おまえならな。だがな、俺がおまえより子供になることはない!」
俺たちは急ぎ足で店内を進む。
ガラス張りの出入り口は目の前だ。そこを抜け、カート置き場を過ぎれば外。駐車してある車の中に入ってしまえば、もう自宅の延長線上だ。
だが、出入口を目の前にして、俺の足は止まった。
一歩を踏み出せない!
出入口の外に、黄色いマイクロバスが停まっていたからだ。
その側面には、「ぽぽたん幼稚園」と書かれていた。
俺は軽く絶望を感じた。
「こんな所が送迎場所になってるのか!」
バスからは子どもたちがわらわらと降りてくる。
いつ初恋に陥ってもおかしくない年頃の子供たちが!
数えきれないほど!
いま、子供たちの意識は、迎えにきた母親に向いている。本来なら、俺のことなど気にも留めないはずだ。
だからといって、あの子供たちのあいだを抜けるのは、俺にとっては分の悪い賭けでしかない。
「こっちはダメだ!」
俺は引き返そうとした。
その左腕をがっちりと、悠里につかまれる。
悠里は全体重を傾けて、俺を出入り口の方向へ引っ張った。
「せいたいせんじょ~っ!」
「バカ、やめろ! 処女のまま離婚されたいか!」
「カンケーねぇ~、リコンはしな~いっ!」
俺の腕を引っ張りながら悠里が唸った。
実際、決定権の九割は嫁の方にある。
俺は足をふんばる悠里を引きずりながら、じりじりと後退した。
気づくと果歩の姿が消えていた。
俺は悠里をはがしてもらいたかった。
「果歩! 果歩、どこに行った! 悠里をどかしてくれ! このままだとヤバイ!」
じわじわと出入口からは遠ざかっている。
しかし一組の親子連れが、軽やかな足取りで店の中に入ってきてしまった!
向こうのほうが歩くのは早い。どんどん近づいてくる。
二十代と思われる母親と、五歳か六歳の園児服を着た女の子。
もう接触距離だ。ここまできたからには、息を潜めてやり過ごすしかなかった。
「ううーん!」
悠里はまだ引っ張っている。
俺は動きを止め、顔伏せた。
親子がそのまま通りすぎてくれるのを待った。汗は止まってくれないが、それどころじゃない。
幸いにも親子連れは、好奇の目をちらりとこちらに向けたものの、それだけだった。
正直、心底ほっとした。
安心した瞬間、汗が鼻の穴に入ってしまった。くしゃみが出る。
「へっくしょん!」
途端に鳴り響く、『結婚宣言』!
俺はおそるおそる、親子連れに目を向けた。
親子連れもこちらを振り返って、期待するような眼差しで待っていた。
俺の名に続いて、嫁である女の子の情報。
「妻、橘つかさ。十八人目の妻となります」
六歳か……。
俺は汗にまみれ、引きつった笑顔でつかさを見おろすしかなかった。
「こわーいー……」
つかさが怯えた声を出して母親の後ろへ隠れた。
無理もない。ついでに言えば俺も怖い。『整体洗浄』までの猶予はあと二人しかなかった。
これからの人生をどう過ごすか。
そんな哲学的な命題が頭をよぎったとき。
再び『結婚宣言』!
明るく楽しく忌まわしいメロディが脳内に響く!
「おめでとうございます。夫、伊藤総司」
プレートの誘導は、つかさの母親にポイントされた。
「妻、橘みのり。十九人目の妻となります」
二十四歳のみのりは頬を赤らめ、目を伏せて言う。
「わたくし、独身で。子連れの再婚でもよろしいですか?」
許可を求められたところで、俺には拒否権などない。
そもそも、娘も俺の嫁だし。
確かにシステム上、こういうことも起こり得る。
悠里に腕を引っ張られたままの姿勢で、俺はなんとか言葉を紡いだ。
「い、いま、取り込み中で。細かいことは、あ、後で話しあおうぜ、みのり……」
憎たらしいことに、悠里が勢いづく。
「あと、ひとぉーりっ!」
ぐいぐいと俺の腕を引っ張る。
「や、やめろ悠里、おまえはなにをしているのか、わかっているのか!?」
「もちろん!」
クソ! 絶体絶命だ! 外にはまだたくさんの子どもたちがいる!
少々目立ってしまうが、悠里を抱きあげて走って逃げよう!
そう決意したとき、横から果歩のかけ声が聞こえた。
「それっ!」
俺は突然、闇に包まれた。頭から布が被されていた。それから何かでぐるぐる巻きにされる。
「悠里も手伝って! 生体洗浄なんて受けたら死んじゃうのよ!」
「ヤダー」
「怒るわよ!」
「ちぇ~」
悠里も果歩には弱い。不承不承ながら手伝いはじめた様子だ。
果歩の声がした。
「毛布とテープ、売り場から直接持ってきたわ。代金は店員さんに手渡ししてきたから」
「そ、そうか……」
しかし、なんだこれは。
頭から毛布を被され、テープでぐるぐる巻きにされた俺。
何も見えない。息苦しい。
キメることに命をさえ賭けてきた俺が。
「何かお手伝いしますか?」
これは、みのりの声か?
果歩がそれに答えた。
「いいえ、お構いなく。お買物を続けてください」
今度は反対側から悠里の声がする。
「こっちこっち」
「こっちこっち」と、果歩も俺を誘導する。
「お、おい、ホントに任せてだいじょうぶなんだろうな? 果歩、悠里に気をつけろ!」
俺は二人に導かれてよたよたと歩いた。
とりあえずこのカッコウならニカブを着ているのと同じだ。いや、実際には数段ひどいが。とりあえず『初恋婚姻』を防ぐ手立てにはなるだろう。
「いてっ!」
ドアに頭をぶつけた。
つくづく人には見せられない。見た人間には即座に忘れてもらいたい。
空気が変わり、外へ出た気配がする。
ちょっと離れたところから、クスクス笑う声や、驚きの悲鳴が聞こえた。
もし、生体洗浄を受けることになったら、今日の記憶は消してもらおう。
それが俺のささやかな願いだった。代償は命なんだから、それぐらいのわがまま言ってもいいはずだ。
変な物体と化しながらふらふら進んでいると、悠里の声が聞こえた。
「あ、おかしな虹―」
「あれはオーロラよ。どうなってるの?」
果歩も言う。俺も見たくなったが、そうもいかない。
さらによたよたと歩いたのち、俺は車の後部座席に押し込められた。
助手席のあたりから悠里の声がする。
「オーロラのことやってないかな?」
車内にラジオの音声が響く。
「……先ほど二時三十分ごろ、日本上空で気象衛星「はる」のプラズマ駆動部が爆発しました。そのため日本上空でオーロラが発生し、精密機器に不具合を起こしています。二時三十分からこの後、修正情報が送信されるまでのあいだ、統合情報プレートによる、疾病情報、婚姻情報、商取引情報は無効となります。これから一分間のあいだ、電波が受信できる状態を保ってください……」
電子機器の誤作動だったわけだ。
俺達は呆気にとられて、静かに待った。
命をつなげる一分を。
一分後、乃亜から始まる嫁の情報が消えた。生の脳に残っている記憶は消しようないが、俺の嫁は悠里を最後とする十三人に戻った。
もうスマキにされている理由もない。
俺は体をくねらせて毛布を外した。ほっと一息ついて、座席に深く体を沈める。
帽子を被りなおして足を組み、ゆっくり穏やかにキメた。
「揉まれちまったな……オーロラって荒波によ……」
「ぶふっ!」
運転席で果歩が吹き出し、助手席では悠里が身をかがめて笑いをこらえている。
なんてやつらだ。
ここは笑うところじゃないのにな。
果歩が笑い涙を拭いながら、車をスタートさせた。
「どうする? 帰りにニカブ買ってく?」
俺はちょっと考え、静かに答えた。
「それも悪くない。お前に任せるぜ、果歩」
悠里が何事もなかったかのようにはしゃいだ。
「あ、アタシが選びたーい!」
「それでもいい。お前に任せるぜ、悠里」
それだけ言うと俺は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
今は初恋が必ず成就する時代だ。
だからといって、甘いもんじゃない。
そんなことを考えていると、果歩が運転席から振り向いて言った。車は自動操車になっている。
「ほんとうにこれでいいのかな? こんなことで……」
「何の話だ、果歩?」
「人の恋愛感情や愛情を、こんな電子制御に頼っているなんて間違ってない……?」
「間違っていれば、あとで気付くさ」
助手席で買ってきたばかりのチョコレート菓子を頬張りながら、悠里が言う。
「アタシはこのシステム気に入ってるけどー? 楽しいもん」
「そういうことじゃないのよ、悠里。わたし、本当に総司のことが……もしかしたら、これも情報プレートの誤作動だったのかもしれないと思うと、ちょっと怖いの……」
憂いを帯びた果歩の目を見ながら、俺は口を開く。
「いま、確かなことは二つだけだ、果歩。おまえは俺に惚れている。そして俺はおまえを愛している。これは電子制御じゃない。もうプレートとは関係ないことだ。過去と現在が、俺たちを結び付けている。俺たちは家族だ」
悪戯っぽく笑いながら果歩が言う。
「それじゃ、家族を増やすためにニカブ買うのやめとく?」
「か、家族を増やすなら、もう一つの方法で頑張るぜ……」
俺がなんとか答えたとき、車が信号待ちで停車した。
「チョコくさくなっちゃったー」
悠里が車の窓をすべて全開にした。
数秒後、俺たちの脳内でまたもや『結婚宣言』が奏でられた!
次いで、合成音声が告げる。
「おめでとうございます。夫、伊藤総司」
左に視線が誘導された。
俺たちの車に並んで一台の全自動車が信号待ちをしていた。
こちら同様、窓が全開になっている。その窓の奥に、少女が頬を染めて俺を見つめていた。
「妻、小室詩織。十四人目の妻となります」
俺はつばを飲んだ。
だが、詩織に向かっては落ちついてささやく。
「後でゆっくりな、詩織……」
詩織のほうははにかむばかりだ。
双方の車が動き出し、お互いが反対方向に曲がっていく。
果歩が鼻を鳴らした。
「そうこうしてる間にも家族、増えちゃいましたけど? 十六歳のお嬢さん」
俺はシートに座りなおし、腕を組んで答えた。
「安心しろ。俺の愛は無限だ」
それから付け加える。
「だが、ニカブは買いに行く……」
人は人を愛する。いつの時代でも。
いまの時代、きっかけは電子制御だ。
そうだとしても、それを魂から湧きでる本物の愛に変えることができれば、人間の勝ちだ。
そして、人間だからこそ、それができる。
昔の詩人は、こうも言ったらしい。
人を愛するためにこそ、心がある。
なるほど。
これはいまだに正しい。
初恋マシーン 進常椀富 @wamp
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