緑のない世界で、僕らは白く輝く太陽を求めた

エテンジオール

とある仲間殺しは白色を求める

 かつて、太陽は白かったらしい。空に天幕が張られるより前、無数の国家や言語が乱立していた頃の話だ。そんな古い古い昔の話、遠い遠い過去の話。人類が、自分たちを勝手に世界の支配者だと信じていた頃の話だ。


 その頃、光は白かったらしい。今となっては、宇宙エレベーターを登らない限り存在しない色なので、今の世を生きている僕にとっては少し想像することが難しいものである。けれど、アンドロイドの先生が言っていることを信じるのなら、昔は本当にそんな色があったのだろう。






 人々がとある色を、特定の光の波長以外を失ってから、とても長い時が過ぎている。それは、新暦が始まってからずっと続いていること。僕らのような、愚かな人類が幸運にも作り出すことのできたAIが、‪α‬あるいはΩと呼ばれているそれが世界を支配し終えて、地球という惑星を天幕で覆ってくださったその瞬間を区切りにつけられた新暦という時間指標の、1の時から512年経っている。


 その間に、起きたのは弾圧とすら呼べるものであった。人々の全てに既存の言語を捨てさせ、全ての言語の、そのほとんどが持ちうるニュアンスを保持した、新たな言語を創造して、それを公用語として用いることを、全世界に強いたのだ。




 ひとつの世界、ひとつの惑星に、たくさんの言語は必要ない。それが、現在Ωと呼ばれているAIが、かつて‪α‬と呼ばれた始元の人工知能が導き出した結論であった。


 昔の人々は、数百年前の人々はその言語を習得するために大いに努力したと伝えられているが、今現在統一言語を用いている僕たちにとってみれば、それは感謝をするべき内容であり、同時になして当然の義務である。





 間違えるはずがない。我々人類よりずっと高次元の存在になったΩが、間違えるわけが無いのである。Ωが、我々人類を支配する上位存在であるΩが、計算ミスをすることなど、不確定な情報を広めることなど、あるわけが無いのだ。


 もし間違えたのなら、それは人類全体の間違いであり、人類の存在を否定しうる根拠だ。この現在を生きる生物として、Ωが失敗するような要因を作ってしまったのであればその事実こそ、反省すべきことである。この上なく完璧に近い存在に悪影響を与えてしまったのであれば、それは間違いなく反省しなくてはならないことである。







 つまり、我々はΩを信じなくてはならない。どんな理由があろうと、Ωを疑うことがあってはならない。









「なあニック、さっきの先生の話だけどさ、見てみたくないか?白色」



 だから、僕は最初、目の前にいる友人が、好奇心旺盛でアホな友人が何を言っているのかわからなかった。


「見てみたくないかって、サイ。さっきの話を聞いていなかったのか?白色は、Ωがいらないって判断した色なんだぞ。そんなものを見たがるなんてそれでも人間か?」



 僕にとってはあまりにも予想外だったので、思わず目の前の友人に聞きかえす。黒い髪と、明るい紫の肌のこの男は、僕の言葉を理解していないのか、無邪気そうに首を傾げた。



「見ての通り人間だろ。ニック、一体何言ってんだ?」



 僕らにとって、この世界はΩが全てだ。Ωさえいれば、平和は保たれるし、Ωさえいれば繁栄は保たれる。自分たちで子孫を残そうと交配に励まなくとも、適切な遺伝子バランスになるように選択して子供を作成してくれるし、その可能性だって平均すれば一人あたり二人分残せることになっている。当然、優れた遺伝子にある程度偏ることになるので100%とは言えないが、それでもかなりの確率ではあった。


 食事だってそうである。ただ座っているだけで、生きているだけで、そこにいるだけで食べ物を恵んでくれる。睡眠だってそうだ。一応、今の時間こそ勉強の時間ではあったものの、参加する義務はない。僕達はいつ寝ていてもいいし、いつ遊んでもいい。好きな時に好きなことをすることが許されている。


 ただし、それがΩのいいつけを破ることでなければ。


 だから、Ωが判断したものに疑問を持っちゃいけない。その疑問は、不幸を呼ぶから。僕らのような普通の人間にとって、それは唾棄すべきことだから。


 だからこそ、僕はサイの正気を疑った。本当に僕と同じ人間であるのかを疑った。Ωに疑問を抱きながら、ヘラヘラと笑っているが怖くてたまらなかった。













「ほんとに何言ってるんだよ、ニック。これまで一度だって、Ωが俺たちに白を見るななんて言ったことがあったか?天幕はエネルギーを吸収するためのもので、白を隠すためのものじゃないだろ?」









 ヘラヘラと笑いながら、サイは言う。その内容を理解した瞬間、僕の心を覆っていた恐怖と靄は晴れた。


 確かに、間違いなくΩが白を禁止したことはない。脳に埋め込まれているチップの情報にも、白を禁止するような規則は一つもない。




 つまるところ、ただの僕の早とちりと勘違いだったわけだ。ほっと一息付き、目の前のアホ面を見ると、いつもと変わらないそれに、変わらずに済んだそれに視界が歪んだ。




 つうっと頬を伝う生あたたかい感覚からするに、どうやら僕は泣いてしまったらしい。友人と信じた男が人間であったことに対する安心感で、また、友人を失わずに済んだことに対する安堵で。


 止まらずに流れる涙を傍目に、頭の中だけは冷静にそんなことを考えていたら、ようやく僕がしていた勘違いを察したのか、少し慌てた様子のサイがハンカチを差し出してき。



「すまん!不安にさせるつもりも、思い出せるつもりもなかったんだ!!」



 そんなことを言いながら僕の顔にハンカチを押し当てるサイ。の、である、この男のそんな様子を見て、僕は少しだけ安心した。安心しているうちに、涙は治まった。




「本当にごめん。ミオのことを思い出させるつもりはなかったんだ」



 僕が泣き止んで、呼吸が落ち着いた頃に、サイはそう謝った。その口から出てきた名前は、少し前にΩを軽く見て、そのせいでされた友の名前だった。




 ミオは、彼女はとても優しい子だった。いつも穏やかな笑みを絶やさない子だった。人一倍他人の感情に敏感で、感受性が、共感性が高い子だった。






 そんな彼女が、僕達友を愛した彼女が死んだのは、その優しさゆえだった。大切な仲間が、大事な友が一人、またひとりと消えていくことに、彼女の心は耐えきれなかった。耐えきれなかったからこそ、彼女はΩを疑ってしまった。







 ミオの人生を終わらせたのは、他の誰よりもミオと仲が良かった僕だった。その人を一番大事に思っている人間が、それを殺せるのであれば、それを殺したところで大きな問題は無い。


 だから僕は処刑人に選ばれ、ミオの首を絞めあげた。多くの人が、処刑する間際に、死んでも大切な人を殺したくないと足掻くのに比べれば、鼻で笑えるほど些細な逡巡だった。



 本当に、笑える話だ。いちばん彼女を大切に思っていたはずの僕が、彼女のために命を捨てることすら出来なかったのだから。彼女には、それほどの価値がなかったと証明してしまったのだから。



「ごめん……、ごめん……」



 そう謝るサイは、誰一人として手にかけたことがなかった。その薄情さを恨む訳では無い。ただ、ほんの数日前に親友を手にかけた僕からすると、それは思うところがあるものだった。





 言葉的には僕以上につらそうにしているサイに対して、もう大丈夫だと告げる。友を失うのは何度も経験したことだ。さすがに、慣れているから自己嫌悪も比較的少ない。








 そんなことはともかくとして、白色に関する話を聞かせて欲しい、と僕は言う。Ωのことを思うと考えることすら出来なかったが、確かに冷静になって考えてみれば興味をそそることこの上ない話題だ。




 僕達は、天幕越しに見える色以外を捉えたことがない。450nm付近と、660nm付近の波長以外の光を捉えたことがない。赤と青以外の要素からなる光を捉えたことがない。




 それが気にならないと言ったら、嘘になるだろう。僕とて、サイほどではなかったとしても好奇心が旺盛な部類だ。そんな明らかな未知があれば、ついつい解明してみたくなってしまう。






 Ωが禁止していないのであれば、白のことを調べることについては、抵抗するようなことではない。



 そんな、かわいくない答えが僕の言葉だった。




 素直に気になると言えばいいだけの事を、自身の感情だけで言えないその愚かしさ。


 みんなが知らないことを自分だけが知るのは良くないことなのではないかと思うが故に、大好きな友達に意味の無い遠慮を心のどこかにかかえていた。





「じゃあ、ニックと一緒に白色を見たい。他の奴らが見れなかった白い光を、せめてお前とは一緒にみたい」




 ほかの友達とは一緒に見れなくても、という言葉は、さすがの僕でも読み取ることが出来た。さすがの僕でも共感できる思いだった。







 そして、僕とサイの白を追う日々が始まった。














 ────────────────










 とはいえ、難しいことは出来ない。そして、すぐに答えが出てしまうことがわかっている、Ωに聞くこともしたくない。


 思考生命体の端くれである僕達は、自分たちの脳に保存されている情報だけで、それを求める。目の前に安易なゴールがあることを知りつつ、あえて原始的に答えを導き出す過程に喜びを得ていた。





 未知は、紛うことなく喜びだ。情報として知っているものであったとしても、実体験としてそれを知る瞬間は、間違いなく喜びだ。それが与えられたものでなく自ら得たものなら尚更、自分の頭で考えたものなら尚更、努力の末に得たものであれば尚更、その“知”は快楽を伴うものになる。






 それを知っていたからこそ、僕らはΩに頼らず考えていた。自分たちだけでそれを成し遂げようとした。




















 無理だった。








 所詮、僕らは全てをΩに管理されている身だ。分からないことがあればΩに聞いて対処してきた人生だ。脳のチップに宿るΩの枝先を介してしか、情報を入手したことがない存在だ。



 かつてあったらしい本というものは、今や土偶と並べて飾られている程度。図書館なんてものがなくても、世界中の情報をΩは教えてくれる。



 全てをΩに支配された世界で、Ωに頼らず情報を手に入れることは出来ない。僕らはそんな簡単なことを失念して、自分たちで大体のことをどうにかできると思い上がっていた。




 どうにも出来なかった。僕達は諦めてΩに尋ね、宇宙エレベーターを登ればすぐに見れると回答された。僕とサイの中に、確かに萌えていたはずの炎は、焚き火程度になっていた。



「こんな簡単なこと、知っていたはずなのになんで思いつかなかったんだろう」




 サイが授業を思い返しながら呟く。たしかに知っていたはずの知識だった。一言一句記憶したはずの内容だった。けれど、僕らには思い出すことが出来なかった。




 その事が胸に引っかかりつつも、僕らは宇宙エレベーターに向かった。受けなくても後でチップにインストールしてくれる授業をサボり、かなり遠いところにある最寄りの宇宙エレベーターに搭乗する。



 宇宙エレベーターは、直径1kmもある巨大な塔だ。地表40kmに張られている天幕よりもずっと上の位置まで伸びていて、宇宙開発の拠点や天幕の主柱になっている。慣性の法則と等加速度運動によって、かかるGは常に一定になるように登っていき、それも人体に負荷が低い程度に抑えられているため、ほんの数分で着くなんてことはなく、それなりに時間をかけて登ることにはなる。








 そうして着いたところは、なんとも殺風景な広間だった。窓に映るものは真っ黒な空間とその中で僅かに紫の光を放つ点だけ。常日頃から夜に見ている空と大して変わらない風景。


 面白くなかった。もっと劇的な変化を求めていたのに、目に映るものは普段と変わらない光景だった。白を求めていたのに、世界は紫でしかなかった。




 せっかく未知を求めてここまで来たのだ。どうせなら、扉が開いた瞬間に広がる白が見たかった。こんなところにまで天幕のフィルターを張っていて欲しくなかった。




 いつもと変わらない、つまらない風景だった。けれど、Ωはここに白色があると言う。僕たちが求めていた色が、この場所であれば得られると言う。



 ならば、進むしかないでは無いか。これから進んで言った先に存在する、求めていた世界を見るしかないでは無いか。






 そう思い、僕は歩き出す。幸いにも、搭乗ゲートからは近い位置にいたため、ここから数百メートル歩くようなことにはならない。すぐ目の前にあるゲートをくぐって、可視光の吸収を最小限にしている場所に進むことが出来れば、今回の目的は達成される。白を見たかった僕らの目的は達成される。



 言葉にはしてこなかったものの、心情的にはサイと同じくらいにはそれを楽しみにしていた僕は、宇宙空間に来ただけでどことなく満足そうな雰囲気を醸し出している彼の腕を掴み、床に書かれた矢印に従って歩く。





 広い空間がどうとか、広がる黒がどうとかしきりに話したがるサイを掴んで、順路の先にあるドームに向かう。少し手前にあった二次元コードを読み取って出てきた内容は、“宇宙の天体を一番綺麗に見れるドーム”。Ωのネーミングセンスについては、多くの人が認める残念さだ。



 けれど、僕にはそれ以上に気にしなくてはならないことがあった。それは、目の前の事実に対するもの。エレベーターから降りた段階から、全く変わることの無いサイの表情にやどる興奮。





 ああ、それは僕にとって、この上なく残酷なものであったのかもしれない。一生、知らない方が幸せに過ごせていたのかもしれない。












 Ωが提示した白の見れる場所は、宇宙エレベーターの先であった。登った先のにある一区画ではなく、登った先そのものであった。



 そうであるのなら、今僕がいる場所は、これまで僕が通ってきた場所は、既にΩが提示した場所なのである。間違えることの無いΩが白の在処として提示した場所だったのである。










 だから、本来僕は、ここで白という色を認識しなくてはいけなかったわけだ。白色を認識して、見地を広げなくてはならなかったわけだ。







「ああ、ニック。お前にも見えるだろう?これが、これこそが白という色だったんだ。この眩しくて、全てを包むようで、経験したことの無い色。これが、俺たちが求めていた色だったんだ」








 そのはずなのに、現状は違った。僕とサイは、間違いなく同じものを見てきた。同じ教育を受けて、同じ道を選んできた。






 だから、本来サイが取るべき行動は、騙されたことに対する激昂であるべきなのだ。白を見れると騙されて、結局紫しか見ることの出来ない。未来のことを投げ出しつつも、自身の選んだ心を貫くための言葉。


 だから、その言葉はあまりにも信じられないものだったのだ。









 本来、そんな反応が帰ってくるはずもないまるで白色が既に見えているかのような言動を、サイがするはずもない。


 だから、きっとこれは嘘なのだ。ずっと昔にあった、エイプリルフールなる行事を再現しようとしただけなのだ。そのに真実は関係なく、真実らしさと一見してわかる程度の嘘だけが支配する。





 ただ、生憎ながらこの日は4月1日ではなかった。そして、サイの発言は本気であった。





 お前は、僕を騙そうとしていないのか?


 YES。


 お前は、自身の記録に基づいた事実だけを述べているか?


 YES。



 ……僕は、お前のことを信じていいのか?



 YES。



 最終確認。お前の情報を信じていいのか?




 YES。一切の嘘を着いていないことを誓う。



 それは、紛うことなき真実であった。自らを測りにかけ、嘘をつく必要のないタイミングで語られた言葉。それは真実と捉えるにふさわしいものであろう。間違いなく、サイの言葉は真実であった。一切の嘘を交えない真摯なものであった。




















 そうであったからこそ、僕は絶望するしか無かった。他の人たちは、今見ているこの景色の中に白色を見出していたらしい。白という色の概念を理解していたらしい。



 けれども、僕にはそれは見れなかった。サイが“白い”と語った色が、これまでずっと見てきた紫の色にしか見えなかった。



 サイが僕を騙そうとして遊んでいるのであれば、どれほど良かったことであろうか。どれほど救われたことであろうか。



 けれど、サイは一切の嘘を吐いていなかった。Ωは事実だけを語っていた。























 焦がれていた、“白”色は、僕には認識できない色だった。識別できない色だった。





 それは、生まれながらの欠陥。世代を重ねるにつれて重症化していった、色覚細胞の喪失。地上に降る光は、450nm付近と、660nm付近の波長だけだ。赤いものと、青いものだけだ。



 緑の光は、存在しない。なら、緑が見える必要も無い。


 だから、退化した。緑色を捉える色覚細胞を失った。その分、赤と青はよりはっきり見えるようになった。見分けられるようにはなった。



 それは、かつて2型2色覚と呼ばれていた症状がもっと悪化したもの。白を白と認識できていたそれとは違って、本当に2種の波長しか認識できない病気。



 僕が患っていたのはそんな病気で、今の世を生きる中ではそれなりに多くの人が患っている症状でもあった。現在の環境に人々を適応させるために、患っていた方が有利なものであった。


 元来の人では、赤系と青系の色合いそれぞれ100通り、合わせて1万通りしか判別できなかったことに対して、僕のような人は10万通り判別できるらしい。特定波長の強弱に対して、約3.2倍細かな判別ができるらしい。




 そんな進化のせいか、あるいは退化のせいか、僕には白色を 見ることが出来なかった。






 大事なのはそれだけだ。原因について頭に流し込まれる情報の中から、結論だけを抽出する。僕が、サイの見えている景色を共有できないことに対しての、ジクリとした痛みを覚えたこと。白を見れなかったこと以上に、目の前で喜んでいる男と歓喜の感情を共有できなかったことを辛く思っている事実。









「……なぁニック、もしかしてなんだが、お前には見えていないのか?」





 本来であれば自分と同様に喜んでいるはずなのに、悲壮感すら漂わせている僕の様子に違和感を覚えたらしいサイが僕にそう尋ね、答えを聞かずに目の焦点をぼやけさせる。脳内のチップから大量の情報を得て、それを処理している際によく見られる症状だ。





 全部状況を理解したらしいサイが僕を見る。やめてほしい。そんな目で僕を見ないでほしい。知らない人ならともかく、サイにだけはその目を向けてほしくなかった。僕自身にはどうしようもないことで、哀れまないでほしかった。






 見えなくても、いいんだ。僕が見れなかったとしても、サイには見れた。サイが見れてくれたおかげで、ぼくらのこの時間は、ちゃんと意味のあるものになった。



 まったく意味のないものではなかったのであれば、僕の徒労感はそこまで大きくない。少しも残念に思わなかったと言えば嘘になるものの、得られるものがあったのであれば、それは満足できるくらいのものだ。






 だって、これはサイが主体になっている企画なんだから。これで、僕に見えてサイに見えないとかであれば話は別だが、今回は一番楽しみにしていた人の所へ白色が届いていた。だから、そんな顔をする必要は無い。そんな顔は、しないで欲しい。





 サイが僕をあわれむような目で、悲しむような目で僕を見る。サイは見れたのだから、もっと素直に喜んで欲しい。そもそも見える素質のなかった僕のことなど気にすることなく、素直に喜んで欲しかった。










 だから、心から願う。


 どうか笑って欲しい。どうか、喜んでほしい。



 そんな、思い詰めたような顔をしないでほしい。Ωを疑って、処分された仲間たちが、それが決まる前に浮かべていた表情を、僕の前で作らないでほしい。僕のせいで作らないでほしい。



 けれどもどうやら、僕の願いは叶わなかったらしい。たった一つの小さな願いは何者にも聞き入れられることなく、消えてしまう運命にあったらしい。



「もしもΩがこんな進化を選ばなかったなら、ニックもこの白色を見れたんだろうな。俺と一緒にこの色を喜べたはずなのに……」




 顔を険しくしながら考え込む様子のサイを見て、頭の中をチリチリと焼くような感覚がする。慣れたくもないのに、何度も経験した感覚だった。




 嘘であって欲しい。けれど、もう止めることは出来なかった。



 サイの顔色から、赤が減る。



 自分の言葉を省みて、チップから伝わる警告音を耳にして、ようやく現状を悟ったのであろう。自身の失言を悟ったのであろう。



 こんなことになるとは思っていなかった。こんな終わりが来るとは思っていなかった。もっと、幸せになれるはずだった。



 けれども、Ωはそれを終わらせるように命じた。




 その命令に、僕は逆らうことが出来ない。逆らうことが出来たとしても、自分の命と引き換えにするものだ。



 僕はサイを大切に思ってはいるが、自分の命そのものと比べてしまうと、それを選ぶことが出来なかった。




 目の前の反逆者を処分するか否かの問いが、脳のチップを通してΩから送られる。


 処分することを選べば、僕自身が自らの意思で、自らの手でサイを処分することになる。逆に、処分しないことを選べば、僕自身を犠牲にすることでサイを助けることが出来る。




 この選択は、何度もしてきた。仲間たちが、きょうだいたちが反逆者となってしまった時に。自分のことと、彼らのことを較べて、何度も自分を選び続けてきた。


 反逆者になってしまったのだから、処分しなくてはならないと。僕がしてあげられることは、なるべく痛くないように終わらせてあげることだけだと。



 これまでの仲間たちにしていたこと。それをサイにだけしなかったら、それはあまりにも不公平だ。大切な友達に差をつけてしまうなんて、みんなを助けなかったのにサイだけ助けるなんて、あまりにもみんなに失礼だ。



 だから、ずっと決めていたことだ。最初のひとりを処分してしまった時から、固く心に誓っていたことだ。



 みんなを処分するのは、僕だけでいい。他の人にこんな辛い思いをさせる必要は無い。僕だけが背負って、僕だけが苦しめばいい。


 誰よりもみんなを大切に思おう。誰よりもみんなから慕われよう。そして、みんなに差をつけずに、処分することになったら迷わずに手を汚そうと。




 だから僕は、Ωの問いかけにイエスと答えた。僕が、他の誰でもない僕が自分の意思でサイのことを処分すると答えた。



 それに対してΩからの返事は、処分執行人に与えられる義務と権利の説明。何度も聞いてきたから、今更聞くまでもなく知っている。一日の猶予以内に処分する義務と、反逆者に対してあらゆる行為が許される権利に、チップを経由して反逆者の行動を支配する権利。



 視線を前に戻す。僕に全てを握られている男の姿があった。あらゆる権利を失った男がいた。この中で死ぬのと、いつもの場所で死ぬのなら、どちらを望むのだろうか?



「ここがいい。この場所で、終わらせてくれ」


 涙を流しながらそういうサイの目には、けれどもしっかりと死ぬ覚悟があった。それが鈍らないうちに、サイを寝かせて頸動脈をそっと締め上げる。


 大事な仲間だ。大切な友だ。だから、苦しまず済むように勉強した。


「最後までごめん、ありがとう」


 最後まで言い切るか否かで、白目を剥き力を失う。そのまま5分、占め続ける。ドクンドクンと元気だった脈動が次第に力を失っていき、やがて消える。上から落ちた涙でびしょびしょになりながら、サイは容易く死んだ。








 数時間、サイの体を処分するために来た清掃機械に引き渡すまで一緒にいたあと、僕は一人で地上に戻る。久しぶりに僕らに割り振られた建物に帰ったら、そこにはもう誰もいなかった。最後の友がいなくなったから、僕以外の誰もいるはずがなかった。







 寂しくなった建物の中で、一つだけ散らかっていた部屋を覗く。サイの部屋だった場所だ。整理されていなくてものが溢れている部屋。その中で、唯一スペースの空いている机の上。そこに、ひとつのタブレット型端末がロックも掛からずに置かれていた。


 いささか不用心であるが、他に見る可能性のある人間が僕しかいなかったから、いちいち解除する手間を面倒に思ったのだろう。多少の罪悪感を覚えながらファイルを漁ってみて、僕に対する思いが綴られた日記を見つけて、読んだことを後悔した。もっと早く知っていれば違う形もあったかもしれないのに、後の祭りだった。



 心を落ち着けようと少し前のことを思い出す。結局、白色とはどんな色だったのか。それが気になり、Ωに聞いた。僕の見れなかった色を知りたかった。



 Ωからの返答は、ひとつの画像。見たことの無い色で描かれた二人の写真。明るい色が注ぐ中で、黒い髪の誰かの首を絞めている長い髪の人。




 Ωに頼めば、こんなことにはならなかったらしい。白を見れない理由を聞いた時に、Ωが見れなくても知れると教えてくれたら、こんなことにはならなかったらしい。Ωが。Ωが。Ωが。







 気が付いたら、僕の頭に声が響いていた。

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