空の容器

鈴ノ木 鈴ノ子

からのようき

渓流釣りに出掛けて行った友が亡くなった。


とても流されるような場所でもない、普段から通い慣れたなんてことのない場所でのことだった。周囲にも仲間や他の釣り人はいたのに、いつの間にか煙のように彼の姿は消えていたそうだ。慌てて捜索したところ、すぐ隣の浅瀬で顔を水につけてうつ伏せで横たわっていたそうだ。


自宅で骨折のために釣りを諦めて療養していた私の携帯電話に、同じ釣り仲間の淳が早口でそんなことを捲し立てて、私は驚愕し手からスマホを落としてしまった。


「なにをしてるんだ、友」


スマホの落ちた音に驚いて妻が慌てて部屋へとやってくる。私がベットから落ちたものだと心配したらしい。


「あなた、どうしたの!?」


年老いた妻の声を上の空で聴きながら、私は友を思い、そして突きつけられた現実に呆然とするしかなかった。それほど、衝撃は大きかった。

その後は1人ものであった友のために、皆で葬儀などを執り行った。

彼が荼毘に伏される時は年甲斐もなく号泣してしまった私を、周囲の年老いた仲間たちが、同じように泣きながら慰めてくれていた。


あれから1年と少し、また、渓流釣りの季節がやってきた。

私は友のなくなった近くで糸を垂らしていた。仲間内で弔いがてらの釣りをしようということになり、彼の亡くなったところで黙祷をしたのちに各々の通い慣れたポイントへと別れていった。無論、30分ごとにメッセンジャーアプリに生存確認を入れることも取り決めた。まぁ、年寄り連中のすることだから、時間感覚なんていい加減なものであるが・・・。


「今日はダメだなぁ」


色々な毛鉤を試していたが、今日は当たりがない。


しばらくあの手この手と粘ってみたものの釣果はなく、冷えのためか膝が痛みを訴え始めたので、私は道具をしまうと車の方へと歩き始めた。と、途端に足元の石で躓いて思わず転びそうになった。


「危ないぜ」


その場で踏ん張った私にそんな声が聞こえた。

そして背中が優しく支えられたような気配もしたが、その時の私はただ転ばぬようにすることで必死だった。そののちは、足元を注意深く探りながら歩き、自分が歳をとったのだと改めて自覚させられた。


川岸の駐車場にようやく引き上げると、他の仲間たちも引き上げて来ており、そのうちの1人がガスコンロにやかんを据えてお湯を沸かしている最中だった。


「唯さんも釣れなかったかい?」


「ああ、まったくダメだった。今日は魚が隠れちまったみたいだね」


「他のみんなもそうさ、で、仕方ねぇから戻ってきたのよ」


他の仲間も苦笑いを浮かべて笑いながら、各自アウトドアチェアに座って一杯やったり、タバコを吸ったりと思い思いに過ごし始めている。この駐車場ある敷地内には皆で持ち寄って建てたウッドハウスがあるので夜はそこで宴会の予定だが、もう、宴会が幕を開けようとしているようにも私には思えた。


私も道具を車にしまうと愛用のアウトドアチェアを出して、焚き火の準備をしている仲間の近くへ置いて広げた。ちょうど座った時に少し後ろでがさりと音がした。振り返ってみると、閉め忘れたバックドアから荷物が落ちたようだった。


「なんだぁ、閉め忘れたのか?」


「年々、ボケてきてるからね」


「ちげぇねぇ、俺もさっき同じようなことしたもん」


お互いに慰め合いながら、落ちた荷物を拾うために私は車の下まで足取り重く向かうと、落ちたものを見て、ああ、私が当番だったなぁと思い出した。


「おーい、当番は唯さんだろう、お湯沸いたぞ、持ってきてくれや」


「ああ、ちょうど見つけたところだから持っていくよ」


カップ麺当番というルールが仲間内にある。今回は私の当番であった。

最初はラーメンなどを買ってきていたが、段々と足腰と皺と胃のもたれが出始めると、必然的に油物から遠ざかり、うどんやそばとなってくる。今回は友が当番のたびに買ってきていた赤いきつねを選んだ。これが弔いにもなるだろうと、友の分も数に入れている。

個数分の入ったビニール袋をお湯係の元へ運び、カップを開けて調味料を入れて行く、昔は簡単にやぶれた袋も今はなかなかに破りにくい。お湯を注いで待つ間に友の席を私は整えることとした。車から友が愛用で使っていたアウトドアチェアを出して、私のチェアの隣に置く。


「できたぞぉ」


「おお、今行く」


掛け声に呼ばれてとりに行くと、自らの分と友の分を足元に気をつけながらチェアまで運び、友の分は蓋をとって割り箸を割って、お揚げと麺の間へと滑り込ませてからチェアの真ん中へと置く。


「食べなよ」


置きながら私はそう言い、自分の愛用のチェアに腰掛けて、蓋をとる、お揚げを浸してうどんをかき混ぜて、ゆっくりとうどんと出汁の温かさを味わう。


「ここで食うこれは美味いよなぁ」


食べ終わり頃に隣から聞き慣れた声が聞こえた。


「そうだなぁ」


私も食べながら前に広がる景色を見た。川の流れが美しく、陽の光や時折、風に揺れる木々のざわめきが心地よい。暖かなうどんもまた体を芯から温めてくれる。


「今日は釣れたかい」


「いや、ダメだったさ」


「そっか、俺は1匹だぜ」


「馬鹿言え、誰も釣れてねぇって言ってたぞ」


笑いながらそちらを向いて私は驚いた。

そこに亡くなった友の姿があった。彼は好物であった赤いきつねをちょうど食べ終わり、そして驚いたままそれをみている私の方へ向くと見慣れていた笑顔で笑った。


「ごちそうさん」


そう言った友は立ち上がって空の容器を椅子の上に置くと箸を揃えた。


「やっぱり、俺が釣りでは一番だな」


そう言って素敵な笑みを残して友が消えた時、置かれた赤いきつねの空の容器の中で一尾の小さなヤマメが跳ねた。


「そんな小さなもんで自慢するなよ」


大切な友、親友以上の友、そして名前も友。私がそちらに行くのはもう少し先だろうが、まぁ、気長に待っていてくれ。


その空の容器で跳ねるヤマメを見ながら、友の好物であった赤いきつねの出汁を啜った。

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