40

 柊には、どれだけ考えてもわからなかった。

 柊にとっての拓植薔子は、ほとんど唯一と云ってもいい、親しい友人だった。かけがえのない、たいせつな存在だった。

 にもかかわらず、彼女の想いを瀬尾から聞かされたとき、その心を受け入れることはできない、と思った。思ってしまった。


 そのあとどれだけ考えても、その思いが変わることはない。


 薔子の恋を受け止めることはできない。彼女に恋をすることも、彼女と恋をすることもできない。

 たいせつなのに。大事なのに。


 恋は、できない。


 薔子の望みが恋愛であったのなら、たとえ想いを告げられていても、応えることはできなかった。

 薔子は友人だからだ。家族よりも親しい間柄であっても、友人だからだ。恋人にはなれない。


 その理由はよくわからない。


 女同士だから。自分が異性愛者だから。そうかもしれない。そうではないかもしれない。


 とにかくわかるのは、ただ、薔子と恋をすることはできない、できなかった、ということだけだ。


 一方で、由璃と真璃とのことがある。

 彼らのことも、到底受け入れられないと思っていた。自分はひとり。相手はふたり。なのに、好きだ、恋人になってくれだと。いったいなんの冗談だ。寝言は寝て云え。


 けれど、ともに時間を過ごすうちに、いつのまにかふたりともを許していた。身体に触れられ、心に触れられることを、望むようになっていた。

 保守的で常識的な恋愛観を持つ柊にとって、ふたりの男と同時に交わることなど、禁忌以外のなにものでもなかったはずだ。

 なのに、受け入れた。望みさえした。

 いまも、――求めている。

 なんとも思っていなかった。好きではなかった。そうだった、はずなのに。


 自分は変わってしまった、と柊は思っている。あのふたりを恋しく思うようになるなんてと、くすぐったく、恥ずかしく、それでも、否定する気にはなれない。


 長いこと大切で、唯一だった薔子に恋をすることはできず、どうでもよかったはずの由璃と真璃には心を傾けた。


 柊にはどうしてもわからない。自分の心がどうしてもわからない。

 どれだけ考えても、わからなかった。


「え、そんな理由で、バンクーバーなんかまで行くわけ?」

「おれたちを置いて」


 空港のロビーの隅にあるコーヒーショップ。雑踏のなかに置き去りにされたような店の、さらにその片隅で、安曇由璃と真璃の双子は鬼のような形相で柊に迫っていた。


 小野寺慈を脅して締め上げ、ようやく聞き出した柊の出国の日時。ふたりは万全を期して数時間前から空港で待機し、航空会社のチェックインカウンターの手前でどうにか獲物を捕獲した。

 まるで、なにもかもあらかじめわかっていたかのようにおとなしく従う柊に違和感を覚えないではなかったけれど、いまはそんなことを気にしている場合ではない。とにもかくにも出発を諦めさせなくてはならないのだ。


「わからない、わからないって、そんなのどうでもいいじゃん。いまのシュウはおれたちを好きなんでしょ」

「それで全部だろうが。ほかになにが必要なんだ」


 せっかく想いが叶うというのに、海の向こうへ飛び去ろうとしている愛しい女を双子は必死で引き止めにかかる。逃がしてたまるか。


「云い方は悪いけど、わたしにとってはどっちもタブーだったの」


 薔子とのことも。

 由璃と真璃とのことも。


「なのに、薔子のことはだめで、あんたたちのことはいいって、それってなんでかなって」

「なんでって、恋愛ってそういうもんでしょ。あっちはよくてこっちはだめ、こっちはよくてあっちはだめ、ってそういうもんでしょ」


 真璃は大仰な身振りで迫る。


「もともと理不尽なもんなんだよ、恋愛ってのは。なんで、とか、どうして、とかじゃないんだ」


 由璃は険しい顔で諭すように云う。


「それはわかるけど、でも……」


 あいつらのことは受け入れるんだな、と云った瀬尾の声が蘇る。

 あのとき、柊の首を絞めながら、彼は泣いていた。薔子の恋を悼み、己の罪を悔いて、泣いていた。

 薔子を手にかけてから、はじめての涙だったのだろう。べしょべしょと頬を濡らす男の顔は決して美しいとは云えなかったけれど、それだけに胸に迫るものがあった。


 自分のこれからを考える――双子との未来をぼんやりと思い描く――たびに、あのときの瀬尾の姿に胸を締めつけられる。

 なぜ、と問うてくるのは、本当は瀬尾なのかもしれない。


 なぜ、薔子ではだめだったのか。

 なぜ、由璃と真璃でなければならなかったのか。


「わかるなら、ここに残ればいいだろ」


 柊は首を横に振った。話にならない、と真璃が云い捨てる。


「とにかくだめ。今日はだめ。もっと話し合って、行くとしてもそれからだ」

「だめじゃない」


 握り締めていた旅券パスポートと予約券を取り上げられそうになり、柊は慌ててそれを鞄のなかに隠す。忌々しげな舌打ちをした真璃は、由璃もなんとか云えよ、と云った。


「なんでここにいちゃだめなんだ。それだけでも教えてくれ」

「なんでって……」

「いままで待ったんだ。別にいまさら焦ったりしない。シュウの気持ちに整理がつくまで、これまでどおりの関係でいたっていい」


 由璃の言葉に驚いたのは真璃だった。なに勝手なこと云ってんだよ、と片割れの肩を遠慮なく小突く。由璃は動じない。


「気持ちがあるとわかってるから、我慢もできる。シュウの厭がることはしない。約束する」


 ねえってば、と声を荒らげる真璃をひと睨みし、由璃は、おまえは少し黙ってろ、と云った。


「シュウが望まないことはしない。約束する。だから、ここに残ってほしい」


 真摯な光を湛えじっと見つめてくる四つの瞳に、柊は耐えきえずに俯いてしまった。


「そういう、こと、じゃないの」

「じゃあ、どういうことだよ?」


 真璃はそう云って柊の手を掴んだ。真璃、と由璃が窘めるのと、柊が彼の手を払い除けるのとは、ほとんど同時だった。


「あんたたちは生きてるから」


 柊は抑えた声で、しかし叫ぶように云った。


「あんたたちは生きてる。生きて目の前にいる。薔子はもう死んじゃったのに、なんにも云えないのに、あんたたちは生きて、喋って、笑って」


 わたしと一緒に歳を重ねる。


 自分は弱い、といまの柊にはよくわかっている。わたしの心は、とても弱い。

 遠くへ旅立ち、二度と会うことのできない薔子とは、もう話をすることはできない。笑いあうこともできない。心をぶつけあうことも、抱きしめあうこともできない。

 けれど、由璃と真璃は生きている。彼らとはいくらでも話ができる。笑いあうことも、喧嘩することもできる。もちろん、身体を重ね、慈しみあうことも。


 これから先、生きていくうちにはつらいこともあるだろう。悲しいこともある。そういうとき、弱いわたしはまた同じことを繰り返すだろう。

 いまはもう傍にいない薔子ではなく、すぐ隣にいてくれる由璃と真璃に縋り、そうすることをあたりまえと思って生きていくだろう。

 そして、きっとわたしは全部簡単に忘れてしまう、と柊は思うのだ。


 痛み、苦しみ、罪。そのすべてを。

 なによりも、薔子そのひとを。


 もうそこにはいない友人よりも、目の前にいるふたりのことを大事に思うようになる日がきっと来る。来てしまう。

 薔子のことを、忘れたくなどないのに。

 そんな日が来ることを、望んでなどいないのに。


「どうしようもないの。わかってるの。薔子はいないんだし、戻ってこないんだし、こんなこと云ったって、わたしがどこに行ったって同じだって、そんなこと、わかってるの」


 柊は顔を上げることができない。ふたりの顔を見ることがこわかった。


「だけど、許せない」


 自分で、自分を許すことができない。少なくとも、いまは、まだ。


「シュウは、おれたちを殺すんだな」


 柊は弾かれたように顔を上げた。由璃と真璃の顔は、揃ってひどく苦しげに歪められている。


「拓植とはもう会えない。だから、おれたちとも会わない」

「そう……、だ、けど」


 殺すなんてそんな、と柊は小さく震えた。そんなつもりはない。


「同じことだ。簡単には会えないところへ行って、もう戻るつもりもないんだろう?」

「行かないでって、こんなに云ってるのにね」


 戻らないとか、そんなつもりもない、と柊は低声こごえで云い返す。


「でも、仕事、見つけてあるんでしょ。そう易々とは戻れないよね」

「少なくとも、何年かは向こうにいるつもりだ」

「何年かは、だよ……」


 薔子とはもう永遠に会えないのだ。それに比べれば――。


「離れることに変わりはない」

「おれたちの気持ちだって変わるかもしれない」


 柊は視線を落とした。


「そういうことも、あると思ってるよ」


 生きているなら、それはあたりまえのことだ。


「いいのか、それで」


 厭だ、と柊はすぐに思った。けれど、口には出さなかった。きつく握った拳で己の我儘を握り潰す。


「いいよ、それでも」

「こっち見て、シュウ」


 柊は顔を上げた。穏やかな表情を浮かべることは難しかった。


「そんな顔して、よく云うよ」

「いいの? おれたちの気持ちが変わっても」

「いいよ」


 うっすらとではあったが、今度は笑うことができた。由璃と真璃が息を飲むのを見て、柊はかすかに頷いてみせた。


「人の気持ちは変わるものだから」


 薔子にはそれができなかった。叶わない想いを抱き続けた。


「わたしの気持ちも、変わるかもしれない」

「厭なこと云うよね」


 シュウ、と由璃が低い声で呼んだ。


「本気で云ってるのか」


 どんなに厭がったって、力尽くで連れ帰ることだってできるんだ、とふたりは表情だけで脅してくる。


「変わりたいんだよ、わたし」


 薔子の想いに気づくことができなかったのは、柊が恋と向き合っていなかったからだ。

 瀬尾の過ちに気づくことができなかったのは、柊がつらいことから逃げてばかりだったからだ。

 ふたりが抱えていた悲しみに気づくことができなかったのは、柊が己を知らなかったからだ。


 薔子の罪は、瀬尾の罪は、柊自身の罪なのだ。


 変わらなければ、と思った。このままでいていいはずがない。いられるはずがない。

 また同じ過ちを繰り返したくはない。

 由璃と真璃を、大切なふたりを傷つけたくない。苦しませたくない。――失いたく、ない。

 だから。


「変わりたい変わりたいってさあ、ねえ、その歳で、いまさら自分探しもないでしょ」

「おれたちが傍にいたって、変われるだろう」

「むしろもう変わってるよね」

「変わって、おれたちを受け入れて」


 違うの、と柊は強い声を出した。


「違う。まだ違うの」


 変わったわけではない。

 たしかにいまの柊は、由璃と真璃のことを大切に思っている。失いたくないと思っている。


 けれど、それは流されただけだ。

 柊を好きだ、というふたりの気持ちに絆されただけだ。居心地のよい場所へ、流されただけなのだ。


 それではだめだ。薔子のときとなにも変わらない。


「別にいいよ、それでも」

「絆されてくれたんだろ?」


 それで十分だよ、なあ、と双子は欲のないふりをした顔で云い合っている。違う、違う、そうじゃないの、と柊は云った。


「わたしが、あんたたちを、もっとちゃんと好きにならないと、だめなの」


 双子の目が、四つの瞳が、ぎらりとした熱を帯びた。


「好きになってもらうだけじゃ、だめなの。そうでないと、だめなの」


 柊の心の奥深く、柊自身にも触れることのできない場所には、ちいさな棘が刺さっている。ほそく、やわらかく、けれど、死ぬまで抜くことのできない棘だ。

 薔子の想い。瀬尾の気持ち。己の罪。

 忘れることはできない、忘れてはならない、その戒め。


 忘れられるのならば忘れてもいい、忘れたほうがいい、と小野寺は云ったが、柊には忘れられそうにない。


 ならば、と柊は思う。わたしはこの棘とともに生きていかなくてはならない。

 棘は、ことあるごとにわたしを苛むだろう。

 ――幸いを掴もうと伸ばした指先を。

 ――期待に膨らむ胸を。

 ――前へと進み続ける、この足を。

 忘れることは許さないと、その存在を叫び続けるだろう。


 そして、あるいはこの棘は、わたしだけではなく、わたしの周りにいる人たちをも苛むことになるかもしれない。

 静かに眠っているはずの棘は折に触れて目を醒まし、柊自身の言葉や眼差しや態度に形を変える。ふとした瞬間に思い出されるに違いない薔子や瀬尾の姿、抑えきれない自己嫌悪は、柊自身よりも、もしかしたら周囲にいる者たちにとってつらいものとなるかもしれない。

 生きている人間は死者には追いつけないし、誰かを殺めるほどに強い想いを誰もが抱くとは限らない。それに、自身の過ちに苦しむ者を救うことは誰にもできない。

 柊の自家中毒は、そうして柊の周りにいる者たちのことも苛むことになる。近しい者ほど、柊が感じているのと同じ痛みを味わうことになる。


 由璃と真璃は、きっとそうしたこともわかってくれている。そのうえで、傍にいろ、と云ってくれているのだ。

 でも、それではだめだ、と柊は思う。

 この棘はわたしのなかに眠るものだ。わたしが抱えていくべきものだ。

 痛みも、苦しみも、――かすかな、甘やかさも。

 痛みに負けてはならない。

 苦しみに挫けてはならない。

 甘やかさに誘われてはならない。

 棘とともに――薔子や瀬尾の記憶を抱いて――生きるとは、彼らの傍にとどまることではない。本当はほんの少し、そうしてしまいたい思いはあるけれども。


 柊にとって生きるとは、棘とともに、前へ進むということだ。

 今度こそ誰かを、由璃と真璃を、ちゃんと愛し、想い、守るということだ。

 愛されるばかりではなく、想われるばかりではなく、守られるばかりでもなく。わたしは、わたしのなかに眠る棘から、彼らを守らなくてはならない。


 そうやってふたりを想い、愛していきたい。心を捧げたい。


「シュウは、もう、おれたちのこと、好きだろう?」


 由璃の声は囁くようだった。真璃の眼差しは縋るようだ。

 好きだ、と柊は言葉には出さないまま、しかし、はっきりと自覚した。


「でも、まだだめなの」

「なんで?」

「云ったでしょ。わからないから」

「そんなの……」


 恋愛が理不尽なものだなんて、そんなことはわかってる、と柊は云った。


「人間の感情なんて、そもそも理不尽だし。でも、わたしがまだ納得してないの。薔子の想いに、応えられていないの」


 もしも、と柊はもう何度も何度も考えた。もしも、薔子から想いを告げられていたら、と。

 答えはいつも同じだった。薔子の気持ちには応えられない。

 けれど、その答えはもう薔子には届かない。


「もう届かないことはわかってるの。薔子の気持ちがわたしには届かなかったように、わたしの気持ちも薔子には届かない」


 薔子の恋をちゃんと終わらせることができていれば、と柊は思う。きっと、わたしは由璃と真璃の手を取ることに迷ったりしなかっただろう。

 けれど、想いは届かなかったから。棘となって残ってしまったから。終わらせることはもうできないから。


「だから、少しだけ、時間が必要なの」


 何年も何年も一緒にいたんだよ、と柊は云った。


「一番近くにいて、でも、一番遠かったのかもしれない」


 寂しかっただろう、と柊は思う。好きな人が傍にいて、でも、そいつはぜんぜん自分の気持ちに気がついてくれなくて。叶えたくて、でも、叶えられなくて。


「わたしを変えてしまうことくらい、薔子にはいつでもできたはずなのに」


 応えられない、とは思うけれど、もしも涙ながらに訴えられたら。一度だけでもと頼まれたら。試してみたらと笑いかけられたら。


「もしかしたら、彼女の気持ちを受け取っていたかもしれない。わたしは、それくらい薔子に依存してた。あの子を失くすくらいなら、自分のセクシュアリティなんかどうでもいいと思ってしまったかもしれない」


 もともとが鈍感な柊のことだ。そうであってもおかしくないと、きっと薔子にもわかっていただろう。


「でも、あの子はそうはしなかった。わたしを変えようとはせずに、自分の気持ちを封じ込めようとした」


 結果としてそれは薔子自身に死を招くことになってしまったけれど、瀬尾の云うとおり、あの子はわたしのことだけは守ってくれたのだ、と柊は思う。


「だからせめて、わたし自身に納得がいくまでは、薔子の気持ちに向かい合ってみたいの。そうでないと、あんたたちの手を取ることも、きっとできない」


 わたしと薔子、あるいは瀬尾との違いはなんだったのだろう、と柊は何度も考えた。


 抱える想いの重さに負け、自らを傷つけた薔子。

 想う相手を滅ぼした瀬尾。


 柊とふたりとの違いはどこにあったのだろう。


 柊にだってつらいことはあった。それがために誤った道を選びそうになることも。

 それでもどうにか己を見失うことなくここまで来ることができたのは、自分が強かったからではない。いつのときも、ひとりではなかったからだ。

 父と母が。

 小野寺が。

 日向野や市原や北居が。

 由璃と真璃が。

 あるいは、――薔子や瀬尾が。

 そちらへ行ってはいけないと、何度も引き留めてくれた。その線を越えてはならないと、何度も叱りつけてくれた。

 だから柊はここまで歩いてくることができたのだ。


 薔子には引き止める手が見えなかった。

 瀬尾には叱りつける声が聴こえなかった。

 踏み込んではならない場所、跨いではならない線の手前で柊を振り返らせた手も声も、彼らには届かなかった。


「薔子や先輩がいた場所はとても寂しい場所だった。冷たくて、暗くて、満足に息もできない場所」


 わたしの知らない場所、だけど、もしかしたらわたしも立っていたかもしれない場所。

 同じところへ行って、同じだけの時間、薔子のことを想いたい。そうすれば、あの子がどんな気持ちでいたのか、少しぐらいはわかるようになるかもしれない。


「でも、わたしはそんな場所、知らないの。知らないってことに、気がついたの」


 友だちと呼べる存在は少ない。恋人と呼べる相手もいなかった。両親は健在だが、離れて暮らしている。

 それでも柊は孤独ではなかった。


「だから、せめてわたしのことを知っている人がほとんどいない場所へ行ってみようと思って。あんたたちの傍にいたら、わたしは甘えちゃうんだよ。それでまた、同じことの繰り返しになる」

「それは、ないよ」


 真璃の言葉に力はなかった。


「シュウはもう、おれたちの気持ち、知ってるし」

「おれたちのこと、好きになってくれたんだろう?」


 由璃の声には苦い響きがある。

 柊の云うことを認めたくない。受け入れたくない。でも、――理解できてしまった。


「ごめんね」


 離れているあいだにふたりの気持ちが変わってしまっても、それはそれで仕方のないことだ、と柊は覚悟している。自分の気持ちが変わってしまうかもしれないことも、同じように覚悟している。


「心が決まったら、必ず会いに来る」


 あんたたちの心が離れてしまっていても。

 わたし自身の気持ちが揺れてしまっても。


「必ず戻ってくるから」


 由璃と真璃はなにも云わずに顔を歪めた。言葉を口にすれば、泣き出してしまいそうだったからだ。


「ちゃんと迎えに来るから」


 いつ、という約束はしない。でも、いつか必ず。


「シュウはずるい」


 真璃がとうとう涙を落とした。


「ああ、ずるい」


 由璃は唇をわななかせた。


「そういうふうに云えば、おれたちが逆らえないのをわかってて」


 柊はごくやさしい笑みを見せた。そして、両腕を大きく広げ、いまやこれ以上ないほど愛しく想うふたりの男を、きつくしっかりと抱き寄せた。

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ほそく、やわらかな棘 三角くるみ @kurumi_misumi

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