30

 駆け足で滑り込んだ電車が出発したところで背後を振り返り、小野寺の姿がないことを確認した柊は、ほっと安堵していた。よかった。最後の最後で気づくことができてよかった。あの子を巻き込まずにすんで、よかった。

 よくない顔をしている、と小野寺は云った。自覚はなかったが、云われてみればたしかにそのとおりだと思った。


 そしてふと、由璃と真璃の顔を思い浮かべた。もしかしたらあのふたりも同じように思っていたのかもしれない。

 彼らと深くかかわるようになってからはじめて、柊はふたりの気持ちを想像してみる。

 ふたりはわたしを知っていた、と云った。事件が起きる前から、柊がふたりを知る前から、ときどき見ていた、と。

 縁などない。絆などない。もののはずみで関係を持つことがなければ袖摺りあうこともなかった、赤の他人だ。

 それでも彼らには、わたしが悪いほうへ変わったことがわかったのだろう。だから手を差し伸べてくれた。

 そのことに自分で気がついていたら。そうすれば、ふたりを巻き込むこともなかったかもしれないのに。伸ばされた手をちゃんと拒むことができていたかもしれないのに。

 いまとなってはもう、遅すぎるけれど。


 数駅進んだ先で電車を降り、柊は帝都大学へと足を向けた。

 平日のこの時間、瀬尾は講義が入っていて、研究室にはいないはずだ。瀬尾への疑いを強めたいま、むやみに彼と顔を合わせることは避けたい。不在は都合がいい。

 遠慮がちに扉を叩き、顔を覗かせると、案の定研究室に瀬尾の姿はなかった。雑然とした部屋の隅で、双子がこちらを振り返る。ほかにも何人かいるはずの学生たちの姿は見当たらない。


「朝から立て続けに解剖が入って忙しいんだよ」


 テトラパックのコーヒー牛乳を片手に真璃が欠伸混じりに云った。椅子の背に凭れかかった姿勢で、ちょいちょいと手招きをしてくる。


「おれたちもさっき昼休憩に入ったとこ」


 開いたノートパソコンを前に由璃が大きく伸びをする。

 真璃に招かれるまま研究室に足を踏み入れた柊は、誰もいないならそれは都合がいい、と考えた。人の耳を気にしなくていいのなら、頼みごともしやすくなる。


「で、今日はなんの用?」


 真璃は欠伸を連発している。どことなく不機嫌そうなのは片割れの由璃も同じで、ふたりは揃って柊と目を合わせようとしない。

 昨日、繭の助けを借りて逃げ出したことが原因か、と柊は憮然とする。あれは仕方のないことだ。いや、むしろ当然のことだ。はじめて訪れる他人の家で、他人のベッドでことに及ぼうとするふたりが悪い――。

 そうじゃない。問題はそんなことじゃない。

 わたしの意志だ。わたしの意志を無視してあれこれしようとするふたりが悪いんじゃないか。

 そうだ、悪いのは由璃と真璃だ。そこははっきりしている。

 なのに、なんで、わたしはこんなにうしろめたいような気持ちになるんだろう。


「なんの、っていうことはないんだけど、その、一応報告しておこうかと」


 しどろもどろになりながらも、柊は荻野との話を双子に聞かせる。事件の経過を聞き、二日の猶予をもぎ取った、ということまで話し終えるころには、双子の機嫌は完全に回復し、それどころか最大級の上機嫌をアピールするように、全開の笑顔を向けてくる。

 柊は戸惑い、眉根を寄せて顔を顰めた。


「な、なんなのよ」

「シュウはおれたちに会いに来たんだな」


 由璃の問いに対する返事も待たず、真璃がかぶせる。


「瀬尾じゃなくて、おれたちに」

「べ、別に、会いにとかそんなんじゃないけど」


 あからさまにわかりやすくツンデレな返事をして、柊は頬を赤く染めた。おかしい。なんでこんなに恥ずかしいんだ。


「可愛いねえ、シュウは」


 真璃がにやにやしながらテトラパックに刺したストローを噛んでいる。こんなやつを相手に頼みごとをしなければならない自分に苛立ちが募るが、小野寺という情報源を失ったいま、縋れる相手はこのふたりだけだ。

 間違った道を進んできてしまったことを自覚したものの、引き返すことも立ち止まることもできない柊は、このまま歩み続けるしかない。小野寺は巻き込まずに済んだし、そのことに安堵してもいるが、すでに当事者となってしまった由璃と真璃には最後まで協力してもらわなくてはならないのだ。


「見せてもらいたいものがあるの」

「なに?」

「なんでも云ってみて」


 からかいに乗ることなく本題を切り出した柊に対しても、双子はじつに鷹揚だった。機嫌のよさは本物であるらしい。だが、このあとに続く柊の望みを聞いても上機嫌でいられるかどうかは未知数だ。


「解剖記録を見せてほしい」


 双子が眉をひそめた。


「先輩じゃない人が執刀した、解剖の記録。あるでしょ」

「それはもちろんあるけど……、でも……」

「なんでそんなものが見たい?」


 由璃の問いはもっともだ。柊は慎重に口を開いた。


「薔子の検案書は見せてもらった。けど、わたしはほかの記録を見たことがない.

だから、なにか見落してるとしても、そのことがわからないの」


 瀬尾はなぜ、松島と秋山を脅してまで、薔子の解剖を自らの手でなさなくてはならなかったのだろう。


 いくら考えてもわからない。


 殺害の証拠を隠蔽したかった。

 あるいは、恋人の身体を誰の手にも委ねたくなかった。


 簡単に浮かぶふたつの答えは、しかし、どちらも確信を持つことができない。

 松島と秋山の証言を考えれば、ひとつめの推論には困難な点がある。

 ふたりは解剖室から追い出され、執刀することこそできなかったが、瀬尾の作成した検案書の下案を具に検証し、最終的な検案書にまとめている。記録のなかには多くの数値データや写真も含まれており、経験豊かな法医学者であるふたりの目を誤魔化すことは難しかったはずだ。

 また、必要な数値を取らない、あるいは写真を残さない、サンプルを採取しないなどの不作為も許されなかったに違いない。もし、そうした欠落があれば、たとえどんなに脅されたとしても、松島も秋山も再度の解剖を躊躇わなかっただろう。彼らは彼らなりに自身の使命に忠実であろうとしたはずだからだ。


 ふたつめの考えにも無理がある。

 遺体を無垢に保つことは、どだい不可能であったはずなのだ。

 殺害された薔子の身体は、発見現場においてすでに検視官が検視を行っている。多くの者の目に触れ、衣服を剥がれ、写真を撮られ、記録に残されている。薔子はとうに踏み荒らされたあとだったのだ。

 もしも瀬尾が異常なまでに強い独占欲をもって、薔子の遺体を守ろうとしたのだとすれば、殺害したあとホテルの部屋に放置するようなことはしなかったはずだ。誰の目にも触れない場所へひそかに運び、容易には見つからないよう慎重に遺棄したことだろう。


「先輩はなにがしたかったのかなって、そう思って」

「なにがって?」

「薔子の解剖を自ら執刀することで、先輩はなにを得たかったのかなって」


 あるいはなにを隠したかったのかなって、と柊は首を傾げる。


「あとは、まあ、先輩が執刀した証拠、みたいなものが見つけられればなって」

「証拠か……」


 由璃と真璃はそれぞれに難しい顔をして考え込む。


「証拠なら秋山さんやその刑事、荻野さんだっけ、その人からの話で十分なんじゃないの?」

「全部状況証拠だもの」


 真璃は胡乱な顔をした。


「拓植の遺体に瀬尾が解剖した証拠がないか、っていうことか」


 由璃はなにを察したのか、やや呆れたような顔をしている。


「解剖はさ、誰がやっても同じ結果を得られるように手順が組まれてるんだよ。あたりまえだけど、執刀者によって結果が変わるってのは歓迎されないからさ」


 真璃はそう云いながら、テトラパックをゴミ箱に投げ捨てた。


「残された記録や写真から執刀者を推察することはほとんど不可能だと思う。だからこそ、瀬尾の嘘が通用してしまったわけだけどね」


 それはたしかにそのとおりだ、ということは柊もわかっている。それでも証拠にこだわらずにいられないのは、ここまできてまだ心のどこかで一発逆転を望んでいるからだ。もしかしたら、わたしの考えていることは間違っているかもしれない、と。


「記録は見せられないってこと?」


 うーん、と真璃が唸った。


「見せてあげたいよ。でも、ねえ……」


 柘植の記録をさ、見せてあげたじゃん、と迷う口調で続ける。


「あれでさ、ぎりぎりなんだよ、いろいろ」


 渋い顔をして由璃も頷いているところを見ると、あの一件でふたりは相当に危ない橋を渡ったのだろう。これ以上負担をかけるのは酷かもしれない。柊がそんなふうに考えたときだ。ふと思いついたように由璃が云った。


「ああ、でも古いものなら、大丈夫かもしれない」

「古い?」

「電子化されていない記録だ。あまりたくさんは残っていないが、たしか、七、八年くらい前までは、手書きでも記録を残していたはずだし、それをこっそり見るだけなら閲覧記録は残らない」


 それでいい、と柊は頷いた。立ち上がった真璃が、じゃあ資料室だね、と云う。


「ここにくるまでに誰かに会ったか?」


 由璃の質問に、誰にも、と柊は答えた。


「ならいい。ここを出てひとつ上のフロアの階段のところで待ってろ」

「いまなら誰ともすれ違わないと思うけど、もし、顔見知りに会ったら、瀬尾と会えなかったから帰る、と云っていったんこの建物から出てほしい」


 双子が口々に云う言葉に、わかった、と請け合い、柊は法医学教室をあとにする。

 これまで上がったことのない三階へ向かい、云われた場所で待機していると、まもなくふたりが現れた。


「あんまり時間がない。急ごう」


 この時限の講義が終わるまではあと三十分ほど。誰かが部屋に戻ってくれば、資料室の鍵がないことを不審に思う者がいるかもしれない。


 由璃と真璃の説明を聞きながら、ふたりが黙って鍵を持ち出してきたことに気づく柊である。なるほど、資料室は部外者の立ち入りが禁じられているらしい。

 厳重に管理されているという割にはずいぶんとちゃちなシリンダー錠を回し、由璃が云った。


「記録は右側の棚だ。手前ほど新しい。急げ」


 柊はそこに飛び込もうとするかのような勢いで書棚を開いた。とりあえず、と薄いファイルを一冊引き抜き、ざっと目を通す。

 背に貼られたラベルからも明らかなように、ファイルは月に十数冊ずつのペースで増え続けたようだ。データ化されていなければ、いまごろ研究室はこうした記録によって埋め尽くされてしまっていただろう、と柊は思う。

 提出された検案書とともに、執刀の際の助手による記録原本、写真などがワンセットになって綴られている。はじめのうちは、とくにこれといったあてもなくランダムにファイルを開き、漫然と記録を眺めていた柊だが、これではだめだ、とすぐに気づいた。

 なんの目的もなくただ流し見て、なにかに気づくのを待っている時間はない。なにかひとつ基準を作らなくては、見つけられるものも見つけられない、と頁をめくりながら考えた。

 でも、いったいなにを基準にすればいいのか。捜すべきものもまだわかっていないというのに。


 そのときたまたま手にしていた記録は、教室を去った松島の執刀によるものだった。記録者は瀬尾理人。瀬尾らしい几帳面な文字で、遺体の様子が細かく記されている。文字を追い、写真を眺め、――柊は、ふとかすかな違和感を覚えた。

 なんだろう、と柊は自分自身に首を傾げる。なに。なにに気がついたの、わたし。

 柊は検案書の最初の頁に戻り、執刀者の名を確認する。松島紀彦。間違いない。

 そして、違和感を覚えた写真へと戻る。


 ――なんだろう。


 考えてもよくわからない。それどころか、考えれば考えるほど、自分が覚えた違和感さえ忘れそうで、それが怖くなって柊は記録をもとの場所に戻した。


「どうした、シュウ」


 由璃に尋ねられても柊は無言だった。喋りたくない。頭を少し揺らすだけで、気がついたことが逃げていくような気がする。


「シュウ?」


 真璃が隣までやってきて顔を覗き込んでくる。


「どうしたの?」

「静かにしてて」

「なにか、気がついたの?」


 真璃の腕が伸ばされ、ファイルが取り出される。薄く色のついた表紙。開かれ、めくられる紙の音。

 つられるようにして柊も一冊ファイルを引き出した。めくって、はじめに確かめる執刀者の名前。束原賢介けんすけ


 ――違う。


 内容を確かめもせずに柊はファイルを戻した。


「シュウ、どうした?」


 見かねたのか、由璃までもが傍へやってきて、ややきつい口調で尋ねた。


「松島さん」


 は、と双子が同時に首を傾げる。


「松島さん」


 柊は今度こそはっきりとした声で云った。


「松島さんが執刀した記録を見たい」


 双子は素早く動いてくれた。なぜ、とも訊かず、すぐに数冊のファイルが手渡される。柊はそれを次々にめくり、記録には目もくれずに写真をめくった。


 ――やっぱり。やっぱりそうだ。


「ここに先輩の執刀記録はある?」

「瀬尾の?」


 うん、と柊が頷くと、双子は揃って渋い顔をした。


「ないな」

「ないね」

「なんで?」


 云ったろう、と由璃が答えた。


「ここには七年前までのものしかない。それ以降の記録はすべてデータで管理されているって」

「瀬尾が執刀者の欄に名前を残せるようになったのは、ここ最近のことだからだからね。それまでは、実態はどうあれ、瀬尾の名前の記録はないんだよ」

「じゃあ、助手は?」

「それはあるだろ」


 これだってそうだ、と由璃が手にしていたファイルを開いて寄越した。柊は飛びつくようにして写真を見るが、すぐに溜息とともにファイルを閉じた。


「やっぱりだめだわ」

「だめ?」

「先輩の記録が見たい」


 だからそれは、と由璃が云いかけるのを、真璃が遮った。


「なんで。なんでそんなにそこにこだわるの」


 なにに気がついたの、と囁くような声で尋ねられ、柊はわずかに眉根を寄せた。


「なににって、そんなたいしたことじゃないけど……」

「でも、気づいたんでしょ?」

「ちょっと確かめたいだけ。肝心なことじゃないよ」


 云えよ、と由璃が強引な口調で云った。


「おれたちならデータも閲覧できる。なにを確かめればいいのか教えてくれたら、確かめてきてやる」

「でも、べつに、本当にたいしたことじゃ……」

「いまは細かいことでも拾っておくときでしょ」


 ファイルを書棚に戻した真璃が正論で追い打ちをかけた。そのとおりだ、でも、と柊は顔を顰める。


「データは閲覧記録が残るからまずいって」

「そりゃ、シュウに見せてることがわかったらまずいけどね」


 真璃が肩を竦める。


「おれたちが見るぶんにはなんの問題もない」


 由璃も頷き、そろそろここも出たほうがいい、と付け加えた。



 瀬尾の執刀した解剖記録で確かめてきてもらいたいことを双子に告げ、柊は帝大をあとにした。最寄りの駅を通過し、双子に指定されたカフェを目指す。シュウの気に入りそうな店を見つけた、そこで待ってて、とふたりは云っていた。

 スマートフォンのナビを頼りに、いくつかの角を曲がる。地図を見ながらの足取りは、惑い、迷ういまの心に添うようにのろのろとしたものとなった。


 いよいよ深みにはまってしまったような気がする、と柊は思っていた。薔子の事件のことではない。由璃と真璃、ふたりとの関係のことだ。

 小野寺から力を借りることは拒んだくせに、彼らの手を振り払うことはしなかった。強引さが違うと云われればそれもそうなのだが、それだけではないということは柊が一番よく知っている。

 どこでどう間違えたのかわからないが、自分のしていること――あるいは、しようとしていること――は正しくない、と柊は気がついた。当初はあてにしていた小野寺を、いざというときになって遠ざけたのはそのためだ。あの子を巻き込んではいけない。

 なのに、由璃と真璃が相手となるとどうだ。遠ざけるどころか、むしろ、わたしのために危ない橋を渡ってくれとばかりに、積極的に力を借りようとしている。瀬尾との約束に強引に割り込んできた彼らを疎ましく思っていた以前とは、まるで違う。


 いったいどうしてしまったというのか。


 柊のしようとしていることは正義でもなんでもない。荻野にどやされたように、小野寺に諌められたように、決して、――決して褒められたことではないのだ。


 もしも由璃と真璃が柊に力を貸していたことが露呈すれば、教室における彼らの立場は非常に悪化することになるだろう。たとえ、真実瀬尾が薔子を殺めた犯罪者であったとしても、守らねばならない秘密を守ることのできなかったふたりが見逃されることにはならない。

 犯罪が明らかになれば、もちろん瀬尾は警察に身柄を拘束され、教室を追われることになるだろうが、双子とてどうなるかはわからない。

 由璃と真璃には、そしてもちろん柊にも、そのことはよくわかっている。

 協力などいらない、とまだふたりの手を拒んでいたころの柊の心には、多くの苛立ちの裏に彼らへの気遣いも隠れていた。わたしにかかわるとろくなことにならないのだから、やめておいたほうがいい。


 それが、いまやどうだ。


 いまのわたしは、その手をふり払わないどころか、彼らの援けを待ち望んでいる。縋り、求め、ともにこの道を――間違っているとわかっている道を――歩んでほしいと願ってさえいる。

 なぜだ、といくら考えてもわからない。

 彼らに惹かれるようになったわけでもないし、想いに絆されたわけでもない。もしそうならば、やはり遠ざけようとするはずだ。遠ざけなければならない。


 柊は本人の自覚のとおり、きわめてまっとうな感性の持ち主である。好ましく思う相手をよくない道に引きずり込み、つらい目に遭わせたいと思うような性癖は持ち合わせていないのだ。


 なのに、どうして――。


 由璃と真璃を拒むことはいくらでもできたはずだ、と柊はいまさらなことを思った。

 たとえ弱みを握られていたとしても、たとえ美味しい餌をちらつかされたとしても、これまでたいしたかかわりを持ってこなかった相手だ。徹底的に無視して、その存在をないものとみなすことはいくらでもできたはずだ。

 なのに、わたしはそうはしなかった。


 心細かったからか、と柊はふと思う。


 世界と自分とを繋ぐ舫であった薔子を失くし、寄る辺なく漂うようだったかつてのわたし。どこへも辿り着かない川をただ流されるばかりだったところを、由璃と真璃が掬い上げてくれた。

 そうして結局は、依存する相手が変わっただけだったのかもしれない。


 指定された喫茶店はもう目の前で、あとはそのレトロな扉を開けるばかりだった。

 だが、柊は迷っていた。

 ここで待っていれば、やがて双子がやってくる。彼らは柊の望むものを差し出してくれるだろうし、そうでなくとも力を貸してくれる。事件の謎はすっかり明らかになるだろう。疑う余地はない。


 けれど、――本当にそれでいいのか。


 小野寺を拒むのなら、由璃と真璃をもまた拒むべきではないのか。

 いまならまだ間に合う。

 荻野と約束した期限まではもうすぐだ。残された時間は限られている。手持ちの武器――荻野から聞き出した情報――はいささか心もとないが、まったくあてにならないわけではない。ひとりで瀬尾と対峙する道がないではない。困難な選択ではあるが、それでもこれまでとは違うのだ。

 これまで、ただ瀬尾の云うことに流されるばかりだった柊が、あなたが薔子を殺したんでしょう、と迫れば、瀬尾は驚き、狼狽え、隙を見せるに違いない。きちんと考えをまとめ、言葉を間違えさえしなければ、追いつめることはきっとできる。


 そうしよう、そうするべきだ、と柊は思った。


 もう誰にも頼らない。事件の真相を暴いてやると、ひとりで決意し、ひとりで戦ってきたのだ。これから先だってひとりでできる。


 奥歯を噛みしめ、踵を返した。


 刹那、なにもかも遅すぎたことに気づかされる。

 笑みひとつ浮かべない硬い表情をした双子に肩を掴まれ、どこへ行くの、シュウ、と動きを封じられてしまったからだ。

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