07
以来、双子と柊はひそかな攻防を繰り広げてきた。
ちゃんとおれたちの恋人になって、という双子に、否を突き付け続ける柊。
好きなやつがいるわけじゃないんでしょ、と云われればそのとおりだったし、おれたちのことが特別に厭なわけじゃないんだろう、と云われれば、それもまたそのとおりだった。
諦めたくないんだよ、と双子は云う。シュウみたいな女の子にはめったにめぐり会えないんだ。
それはまあ、そういうこともあるかもしれない、とは柊も思う。
聞けば、双子はこれまでずっと、たいせつなものをめぐって争いを繰り広げてきたのだという。
喋り方も性格も、服の趣味も食べものの好き嫌いさえ違うのに、いざ大事な選択となると必ず同じものを選ぶんだ、と彼らはぼやいていた。
たとえば進路。仕事。それから恋愛。
高校までは聖翔学園というエスカレーター式私立学校に通っていたふたりが、ともに帝都大学医学部に進み、さらに臨床を経て法医学教室へ入ったのは、決して示し合わせてのことではないというのだからおそれいる。むしろ、なんとかして片割れから離れようと、無駄に足掻いた結果だというのだ。
譲れないんだ、結局さ、と真璃は云う。由璃との縁は切っても切れない。だけどおれたちは別々の人間だ。違う仕事を見つけて、違う相手を好きになって、違う人生を歩んでいきたい。だけど、できない。数ある選択肢のなかからどれかを選ぼうとすると、譲れないものほど由璃と同じものに目が向いちゃうんだよ。
だから譲れない、と由璃はなにかを諦めたような、それでも諦めきれないような口調で続ける。だからおれたちは同じ教室にいるし、ふたりしてシュウを好きになる。どうしようもないんだ。
これまでの相手はどうだったのよ、と柊はおそるおそる尋ねてみたことがある。
うん、試してみたんだけどね、とふたりは顔を見合わせた。
だいたい、ふたりいっぺんに付き合ってくれって云うと怪訝な顔をされるか、すごく厭がられるかだね。たまに、ふたりでもいいよって云ってくれる子もいて、けど、はじめのうちはまあまあうまくいってても、結局だめ。彼女たちのなかには、はじめから選択があるんだ。おれか、由璃かっていう選択が。
選ばれなきゃ傷つく。けど、厄介なことに、選ばれても傷つくんだ。真璃を切り捨てた彼女をもう好きではいられなくなる。おれ自身、真璃の存在にはうんざりしてるところもあるっていうのに、彼女のことは許せないんだ。滑稽だろ。
なんとややこしい、と柊は頭を抱えたくなった。柊自身、決して恋に慣れた女ではない。経験値という意味では双子よりも劣るほどだ。そんな初心者に、自分たちほどの高難度物件が扱えると思っているのか。あほじゃなかろうか。
柊は双子の誘いをきっぱりと断った。
過ちだの汚点だのは脇に置いておくにしても、わたしには無理、とはっきり告げた。
柊にはどうしても理解できない。好きだ嫌いだ以前の問題である。
おれたちはどうにも普通じゃない、と己の口で云うくせに、なぜ、その普通でない部分を他者――この場合は柊――に強要しようとするのだろうか。
血を分けた相手と同じ相手を好きになってしまう、そして受け入れてもらえない苦しみは想像に難くない。それが常にであるとなれば、相手の存在を疎ましくも思うだろうが、ふたりにはそれすら許されていないのだ。
気の毒だとは思う。いつか互いの存在から自由になって、ふたりともが望む者を独占できる日が来ればいいと思う。
だが、そのことと、柊がふたりの病理を受け入れることとは別の話だ。
ふたりがそろって迫ってくるのは、まだよしとしよう。どちらか一方を選べと縋ってくるならば普通に断ることができる。しかし、彼らは自分たちをふたりセットでまとめて引き取ってくれと迫ってくるのだ。そこに割引はない。
恋愛に関して
あのね、と柊は云ったものだ。仮にたとえば、もし万が一、この先いつか、わたしがあなたたちのどちらかを好きになる日が来るかもしれない。だけど、ふたりを同時に好きになったりはできないの。わかるでしょう。これまでの子たちと同じよ。
双子はそれでも諦めなかった。
シュウならすぐに慣れるよ、と彼らは云うのだ。それにすごく気持ちいいよ。もう知ってるだろ。
ぜんぜんまったくさっぱり意味がわからねえ、と柊は云った。ウィークリーゴシップ編集部で覚えた、とうてい上品とは云いがたい言葉遣いで。――慣れるとか気持ちいいとか、そういう問題じゃねえだろ。好きかどうかって、そういう話じゃねえのかよ。
もちろんそういう話だよ、と破廉恥な双子は云った。おれたちはシュウが好き、シュウはおれたちと気持ちいいことするのが好き。ほら、なんの問題もない。
問題だらけだ、莫迦、と怒鳴りつけるたび、己の脳の血管が数本ずつ切れていっているような気がして仕方がない柊である。恋愛っていうのは一対一でするもの。ひとりだって受け止めきれるかどうかわからないっていうのに、ふたりいっぺんにだなんて冗談じゃない。
瀬尾への想いをいまだに引きずっているわけではない。心惹かれていた時期があるのはたしかだが、いまの柊にとって彼はあくまでも亡くなった親友の恋人、ともに真実を追う同志だ。それが、ときに恋人よりも重たい存在に感じられるのは、――ひとえに柊の心根の問題である。
しかし、どれだけ言葉を重ねたところで、双子はろくすっぽ聞く耳を持たないし、恋心を諦めてもいなかった。
だから柊は、瀬尾に会うため帝都大学法医学教室を訪れるときには、双子とは決して三人きりに――妙な云い回しだが、仕方がない――ならないように気をつけていた。
さっきここへ来たときには、ほかにも何人かいたはずなのに、と柊は混乱する。いつのまにいなくなったのよ。
柊が瀬尾と話し込んでいるあいだに、双子がほかの者たちに無言の圧力を加えて、研究室から追い出したのだとは露ほども疑わない柊である。職業柄、人の薄暗い面を知らないわけはないはずなのに、己にそれが向けられる可能性をあまり考えないあたり、シュウはちょっとまぬけだよな、と由璃と真璃は思っているかもしれない。
「やめ、や、やだ」
ふたりから逃れようとするうちに、膝を折ってしゃがみ込み、まるで罠に脚を取られてぶらさげられたうさぎのようなありさまになってしまった柊は、本気の涙声で双子に抗議する。
「やだってば、離してって」
由璃と真璃はちらりと視線を交わしあった。柊を追い詰めたのは、なにもこうして泣かせたかったからではない。いや、もちろん泣かせたいは泣かせたいのだが、それは研究室の書棚の前でなどではなく、白いシーツの上でのことだ。いまはとりあえず、彼女に口を割らせねばならない。
「ねえ、シュウ」
名残惜しそうに柊の耳朶から唇を離し、真璃がやわらかく呼びかける。片側の由璃は腰を屈め、しっかりと柊の首筋――ちょうどシャツの襟の陰になるあたり――にきつく吸いついて、紅い痕を刻んでいる。
柊は首を振りながら、なに、と真璃を睨んだ。手首を掴まれぶらさげられたままの情けない格好のうえに、首筋を吸われながらだからだいぶ分が悪いが、ひとりでも話をしようという気になってくれたのはありがたい。このチャンスを逃してなるものか、と彼女は思う。
「瀬尾とはどんな取引してるの? 教えてくれないかな、おれたちに」
柊は思わず眉間に皺を寄せた。セクハラに対する嫌悪ではなく、相手の本意を図りかねる不審を滲ませる表情に、真璃は淡く微笑んでみせた。
「シュウほどじゃないかもしれないけど、おれたちも瀬尾とはそれなりに長い付き合いなんだよね。あの人が、ただの人の好い木偶の坊じゃないことはよく知ってる。単なる親切で、自分の身を危険に晒すはずがないってこともね」
由璃もいつのまにか顔を上げて、なかばしゃがみこんでいる柊をごく間近から見つめてくる。
「瀬尾はシュウに解剖の結果を、一部とはいえ、教えてるだろ。あれは立派な守秘義務違反、警察に知れれば、当然問題になるし、シュウも無事じゃすまない。うちの教室も司法解剖の委託先から外されるかもしれない」
そうなれば教室存続の危機だ、と由璃は淡々と云った。天下の帝大がケチな情報漏洩なんかで警察の信用を失うわけにはいかないことは、柊にだってよくわかっている。
「ねえ、シュウ。シュウと瀬尾は付き合ってるわけじゃないんだよね?」
柊は真璃をひと睨みし、気まずげに俯いてから小さく頷いた。
「じゃあ、瀬尾はなんで、恋人でもないシュウのために、自分の立場を危うくするような真似してんだろうね?」
弱み握って脅迫とかさ、違うでしょ、そういう器用なことできなさそうだもんね、シュウは、と真璃は云う。
「だからきっと全部納得した上で、瀬尾はシュウに情報を流してる。つまり、取引だ」
違うか、と由璃が尋ねた。
顔を俯けたまま、柊は軽く唇を噛んだ。瀬尾と交わした約束は、柊にとって大切なものだ。おいそれと誰かに明かしていいようなものではない。
だけど、このまま黙っていることを、この双子が許すとは思えない。
磔にされたままの手も痺れてきたし、部屋にはじきに誰かが戻ってくるだろう。双子に好き放題されているこの格好を他人に見られることは、屈辱以外のなにものでもない。
わかった、と柊は長く躊躇った末に、とうとう小さく掠れた声を上げた。
「話す。話すから、手を離して」
双子は黙ったまま柊を解放した。柊は手首をさすり、肩から落ちた鞄を持ち直し、乱された襟を正してから、ゆっくりと顔を上げた。双子は無表情で柊を見下ろし、彼女の言葉を待っている。
「先輩とわたしは約束をしているの。わたしは、二年前に起きたある事件の真相についてできる限りの情報を集めて、先輩に伝える。その代わり先輩は、教室で請けた司法解剖に関する情報を、わたしが求めるつど、三つだけ教えるって」
「ある事件?」
由璃が、すう、と片目を眇めた。彼にはすでにおおよその見当がついているのだろう、余計なことは尋ねなかった。まっすぐに本題に切り込んでくる。
「それ、うちの学生がラブホテルで殺された、昔の事件のことか」
そう、と柊は頷いた。
「友だちだったの」
「被害者と?」
真璃の問いかけに、そう、と柊はまた頷いた。薔子のことを誰かに話すのはひさしぶりだった。瀬尾との間ですら、彼女のことは、まるで避けてでもいるかのように話題にならない。
「仲がよかったの。付き合いも長かったし」
幼馴染みたいなものかも、と柊は云った。
双子は、うん、とそっくり同じ仕種で頷いた。動揺のないふたりの様子に、柊はふと思う。もしかして彼らは薔子とわたしが親しくしていたことを知っているのかもしれない。
事件についてふたりに話すことは、考えていたほど抵抗のあることではなかった。心穏やかにいられたわけではないが、声を震わせることも、言葉を途切れさせることもなかった。
双子は適度な相槌を挟みながら、最後まで黙って柊の話を聞いていた。ときおり胸元へ縋るように伸ばされる指先を痛々しげに見つめてもいた。
瀬尾と約束を交わしたところまで話し終えた柊が一息つくと、いつのまに手にしていたのか、由璃がペットボトルの水を渡してくれた。ご丁寧にキャップまで捻じってくれる。
「……ありがと」
小さく礼を云うと、なぜか笑われた。
「先輩とわたしは同志なの。薔子を想う、同志」
ボトルから唇を離した柊は、ぼんやりと呟くようにそんなことを云う。双子は視線を交わしあい、呆れた、とでも云いたげに首を横に振った。
「だからなの?」
「なにが?」
真璃の唐突な質問を由璃が補う。
「瀬尾とのその約束があるから、週刊誌の記者なんか続けてるのか、シュウは」
なんかって、と柊は苦笑いした。
「人の仕事、そういう云い方しないでくれる?」
「別に記者が悪いなんて云ってない。けど、いまの仕事はシュウには似合わない。自分でもわかってるんだろ」
無理をしている自覚がないわけではない。けれど柊には、その無理をしてでも記者であり続けたいと思う理由があるのだ。それに、ウィークリーゴシップが自分に似合わないとは思わなかった。
「誰に強制されてるわけでもない。わたしが選んだわたしの仕事を、誰かにとやかく云われる筋合いはない」
書くことができなくなり、帝都通信を辞めなくてはならなくなって、それでも柊は記者であり続けることを望んだ。どんなに立場を変えても、ジャーナリストの端くれであろうとした。
捜査関係者ではない自分が薔子の事件の真相に迫るには、それが一番手っ取り早い道だと思ったからだ。
プレスの腕章ひとつ、報道の肩書きひとつあれば、この国では触れることのできる情報が格段に多くなる。法治国家であり、民主主義国家である以上、基本的人権のひとつとして、知る権利、報じる自由が守られているからだ。
たとえそれが建前であるとしても、その建前を崩すには、相当程度の犠牲が必要になる。言論を圧殺することは容易く、日常的に行われていることではあるが、少なくとも、柊のような組織に所属する記者を攻撃することの危険性は、攻撃する側こそが理解していることだ。
ペンは剣よりも強い。
ごく限られた場面においては、それはまさしく真理であるのだった。
「とやかく云ってるつもりはないよ。ただ、似合わないことを続けてる理由がわかったって云ってる」
真璃は、口調ばかりはごくやさしげに、そんなことを云った。
「……似合わない」
柊は皮肉っぽく云って、唇を歪めた。
「そうかな。案外、わたしの性に合ってるみたいだけどね」
新聞記者だったときの柊は、他の媒体の記者たちを心のどこかで莫迦にしていた。下世話な好奇心に応えるためにペンを握り、カメラを持って、事件現場や記者会見場にやってくるような連中に対し、なにか哀れなものを見るような思いでいたものだ。
もちろん、そうした優越感の裏には、新聞記者としての確たる自負があった。担当する分野については誰よりも勉強し、最先端を追い続ける努力を重ねているというそれだ。
時代の先端は、ただ与えられる情報を漫然と眺めているだけで追えるようなものではない。情報は秒よりも速い単位で更新され続け、ときに時間の速さを追い抜いて、あっというまに姿を変えていく。追い続けるには、深い見識や知識、勘や経験が不可欠だ。目の前に現れた事象がどこから来てどこへ行くのか、先を読み、流れを掴んで、ともに走り続けなくてはならない。わずかでも気を抜けば、あっというまになにもかもを見失ってしまう。
少しでも新しい情報を紙面に掲載することは、世界の先端と世の中の人々とをそれだけ近づけることになるのだと、読んだ誰かに、考え、動くきっかけをもたらすことになるのだと、そしてそれは、いまよりもよりよい世界に繋がることなのだと、柊はそう信じていた。
情報を――そこに含まれる真実を――受け取ったひとりひとりは、次になにか行動を起こすはずだ。己で考え、動くはずだ。自分のために、自分の大切な誰かのために、見も知らぬ他人のために。
人は、愚かだ。卑怯で、嘘つきで、残酷だ。
自分を守るために他人を踏み躙り、言葉を偽り、ときに誰かを殺めもする。
けれど――。
ときに人は、善であろうとする。
他人を守るために自己を犠牲にし、育んで、愛そうとする。
柊は、人の善を、善を為そうとする性質を信じたかった。否、信じていた。だから、人になにかを伝える仕事――記者というそれ――に就いたのだ。
所詮はこんなものだと諦めることは容易い。愚かしさも醜さも歪みさえも受け流して、そんなもんだとわかった顔をして、なにも信じなければいい。
だけど、そこにはなにも生まれない。
愚かであること、醜くあること、歪んであること、そのすべてを辛抱強く受け入れ、ともにあり続けることができたならば、あるいはそこになにかが生まれるかもしれない。慈愛と呼ばれることもあるそのなにかは、ときには大きな流れを作り、ときにはささやかな抵抗となって、しかし、世界を確実によい方向へと向かわせるはずだ。
誰かを受け入れ、ともにあり続けるために大切なのは、知ること。考えること。理解しようと努めること。
世界を知ることは、互いを理解するために欠かすことのできない、第一歩だ。
自分の書いた記事を読んだ誰かが、それまで知らなかったなにかを知り、考えて、理解を深めてくれれば。それは、少しばかり大げさな云い方をすれば、世界から争いを失くしていくことの助けになりうるのではないか。
自分はそういう形で誰かの役に立ちたい、世の中のためになりたい、柊はそう願っていた。そのための努力は、誰よりもしているつもりだった。
新聞記者でいることができなくなり、柊は、ひそかに心に抱いていた理想を守ることもできなくなった。己の目的を達する――薔子の死の真相を掴む――ためだけに、記者であり続けるということは、つまり、自分以外の誰も彼も、もちろん世の中もどうでもいい、と切り捨てることと同じだったからだ。
誰かのためになど知ったことか。
世の中のためになど知ったことか。
理想を捨てて開き直った柊は、ある意味ではとても強くなった。
わたしは、わたしのため、わたしだけのために記者であり続ける。そうやって飛び込んだゴシップの世界は、思っていたよりもずっと生きやすい場所だった。
売れる記事を書け、と編集長もデスクも同僚も、口を揃えて同じことを云った。
誰かの心に残ることなぞ考えるな。感動させようとか、感心させようとか、考えさせようとか、そんな烏滸がましいことをほざいてるひまがあれば、売れる記事を書け。飛ぶように売れて、売れて、売れまくって、次の日には全部まとめてゴミ箱に投げ捨てられればいい。
――それが一番、誰の心も傷つけない。
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