初夏

「...んんー...」

ふと時計を見る。

「まだ6時前じゃん」

窓から入り込む朝日と連日続く暑さが貴重な睡眠時間を奪っていく。

「今日遅番なのになぁ。仕方ない、早く行って仕事するか」

あれやこれやとやっていくうちに溜まっていく書類の数々。日々の活動の準備。行事の内容も考え係の仕事も終わらせ...「定時出勤・定時退社。持ち帰り作業はゼロです!」なんて保育園本当に存在するのだろうか...なんて考えながら園に向かう。

「おはようございまーす!」

「おはようー、あとでねー」

こんなにも暑いのに子どもたちは変わらず元気だ。

「暑くない?」と聞けば「暑くない!」と言うし

「寒くない?」と聞けば「寒くない!」と言うし

一体どんな体してるんだ...


「あら、けいや先生早くない?」

「おはようございますー、この時期って陽射しで起きちゃうんですよねー。仕事も溜まっているし、家にいてもやることないんで早く来ました」

「あらー、真面目ねー」


「とりあえず記録やって...」

事務所からパソコンを出し、作業を始める。やがて朝の会を終えた子どもたちが次々と園庭に出ていく声が聞こえてきた。のんびり作業をしているうちにあっという間に時間は過ぎていった。

「とりあえず荷物おいて外行くか」

部屋に荷物を置き、暑さへの覚悟を決め園庭に出たその時、

「捕まえた!」

と、大きな声が園庭に響いた。声の方を向くと、茂みのあたりで「けいいち」が何かを持ち、嬉しそうにする姿があった。

「あっ、せんせい!みて、ヤモリ!」

「おはようけいいちくん、ヤモリ捕まえたんだね!」

「うん!先生、虫かごない?」

「虫かご?中に入れるの?」

「うん!僕、このヤモリお部屋で飼いたい!」

「わかった。とりあえずいったん虫かごに入れて、みんなで相談してみよう。倉庫に余ってたのがあったと思うから持ってくるね」

そう「けいいち」に伝え倉庫に向かった。


「ヤモリ飼うのか、大丈夫かな。まあいい機会だしやってみるのもいいけど」

虫かごはかなり大きなサイズだった。

「とりあえずこれでいいか」

虫かごを抱え園庭に戻るとそこには目を輝かせヤモリを大事そうに持つ「けいいち」の姿があった。よほど気に入ったのだろう、友達が触ろうとするものなら胸に抱え込み渡そうとしない。

「あっ、せんせいー、けいいちくんがヤモリ触らせてくれないの」

「触ってみたいよね。でもけいいち君がとっても大事にしてるから今は触らせたくないのかもよ?ヤモリは石の裏とか、茂みが好きだから探してみたらどう?」

「でもいないかもしれないじゃん」

「いなかったら触れないよ」

「けいいち君お部屋に持って帰りたいみたいだから、あとでもう一回触らせてもらえるかお願いしてみよう」

「はーい」


「けいいち君お待たせ。とりあえずこれでいいかな?」

「うん、ありがとう!」

そういうと「けいいち」はヤモリを虫かごへ入れ、じっと様子を見守っていた。

「けいいち君、このままでもいいけど何か寂しくない?」

「うーんそうだなぁ、、」

「先生はとりあえず、お家を作ってあげたほうがいいと思うんだけど」

「でもどんなお家に住んでるかわからないよ」

「じゃあ後で絵本で調べてみよう。ご飯のことも書いてあると思うよ。」

ちょうど先日、爬虫類について詳しく説明が書かれている絵本が届いたばかりだった。

「うん、そうしてみる!」

「ヤモリはどこにいたの?」

「大きい石をひっくり返したら出てきたんだ」

「じゃあ大きい石はこの中に入らないから小さい石を拾って入れてあげたらどうかな?」

「わかった!」

そう言うと、園庭に落ちている石を拾い集めはこれはどうかと聞きに来て、アッという間に虫かごの中はヤモリの住処と化していった。


部屋に戻っても「けいいち」のヤモリ愛がとどまることを知らない。そのまま様子を見続ける。

「けいいち君、見るのはいいけど先にやることやってからにしようか」

急いでやることを済ませた「けいいち」は出来るだけ他の子に見られないよう隅っこの方で大事そうに隣に置いていた。手にはあの絵本があり、どうやらヤモリのページを食い入るように見ている。


その日の夕方帰りの会で「ヤモリをどうするか会議」が開かれた。

「けいいち君がヤモリを飼いたいって言ってるけどみんなどうする?」

「いいんじゃない?」

「でもけいいち君ばっかり見てるよ」

「まだ一回も触ってないよー」

「でも逃がした方がいいんじゃない?」

「けいいち君はどうすればいいと思う?」

「うーん...僕はお世話をしてあげたいんだよ...」

「けいいち君、お世話してみたいなら園長先生と相談してみたらどうかな?これから園庭に行くからその時にお話ししてみたらどう?」

園長には昼休みのタイミングで今回のことについて話してはいた。子どものお世話をしたいという思いはとてもよくわかる。とはいえ、命を粗末に扱い訳にはいかない。

「けいいち」は少し緊張した顔をしながら園長に相談をしに行った。


「園長先生、お話があります。」

「あら、けいいち君どうしたの?」

「今日ヤモリを捕まえたいんだけどね、お部屋で飼いたいんだけどいいですか...?」

「そうなの、ヤモリ捕まえたんだね。でもね、生き物をお世話するってとっても大変なんだよ。ご飯あげたりとか、虫かごのお掃除もしなきゃいけないね」

「僕、頑張ってやるよ」

「じゃあ園長先生と大事にするって約束してくれるかな?」

「うん、わかった」


「けいいち」が嬉しそうな顔をして園庭に出てきた。どうやら許可が下りたようだ。

「じゃあ明日から早速お世話頑張らなきゃね!」

「うん!」


翌日。登園してきた「けいいち」は虫かごの前でヤモリを観察している。時には友達とお話をしながらもその様子をじっと眺めている。その横には「まゆか」の姿があった。

「ねえねえ、けいいいちくん。あたしも一緒にお世話したいんだけど」

「うーん、いいよ。じゃあ二人だけでお世話しようか」

「そうだねー、でもなんかちょっとヤモリ怖いんだよね」

「大丈夫だよ、僕詳しいもん。」

そんな睦まじい会話が聞こえてきた。

「けいいちくん、どんなお世話が必要か考えてみたらどうかな?わかったら教えて」

「はーい」

「あたしも考える!」

二人はヤモリの絵本を眺め話し合った結果、「餌をあげること」「虫かごの掃除をすること」を決め紙に書いて約束をした。園庭に出ると二人は早速ヤモリが食べそうな餌を探しに走った。


しばらくすれば熱も冷めるだろうと思っていたお世話だが、「けいいち」は約束通りしっかりと行っていた。正直、性格的に考え途中で雑になるだろうと考えていたがしっかりとお世話をしている。時には「まゆか」も一緒に掃除を手伝う姿があった。迎えに来る母親も「けいいち」が熱心にお世話をする姿の話をすると「まさかうちの子が」と驚いた表情を見せるのである。そんなある朝。


部屋の中を歩き回る「けいいち」の姿がある。

「どうしたの?けいいち君」

「先生、ヤモリがいない」

虫かごを覗くと中にヤモリはいなかった。昨日たまたま休みで、家でもお世話の話をするほど楽しみにしていたようだ。そうなると思い当たる節は一つ。唯一お世話をともにしていた「まゆか」だ。

「けいいちくん、後でまゆかちゃんに何か知らないか聞いてみようか」

「うん...」

悲しそうな表情。なんとも言えない顔をしている。


「まゆかちゃん、ヤモリがいなくなっちゃったみたいなんだけど何か知ってる?」

「...」

うつむく「まゆか」、何かあるのだろうか。

「わからなかったらいいんだ、もし何か思い出したら後で教えてくれる?」

「...うん」


結局「まゆか」からは情報は得られず、ヤモリが見つかることはなかった。

「先生」

「なあに?」

「僕、ヤモリはもういいよ」

(あれだけ大事にお世話をしていたのにずいぶんあっさりだな)

「あのヤモリにも家族があって、きっと帰りを待っていると思うんだ」

...思わずはっとした。こんなことを思いつくのか。

「それに、また捕まえればいいもん!」

「そうだね。最後までお世話できなかったのは残念だけど、よく頑張っていたと思うよ。そういう気持ち、とっても大事だね」

たかが生き物。されど生き物。大げさではなく時に大事なことを教えてくれることがある。

「まゆかちゃん!また一緒にヤモリ探そう!」

「...うん。どこにいるかな?」


このことを「けいいち」の母に伝えると

「この年でそんなこと考えるんですね。なんかびっくりー」と、自分の子どもの

成長に驚く様子を見せた。後日「まゆか」の母から

「実は、娘がけいいちくんが休みの時にヤモリのお世話をしていたら、かわいそうに感じ、勝手に逃がしてしまった」という報告を受けたが、「けいいち」は気にすることなく「まゆか」と生き物探しに励んでいる。毎日汗をかきながら。

そして、笑顔を浮かべながら。



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