長雨の季節

「雨だねー」

「そうだねー」

「おそといけないねー」

「そうだねー」

「早く雨やまないかねー」

「そうだねー」


溜息をつくようにこんな会話が繰り広げている。梅雨の季節は大人も子どもも憂鬱だ。外に出られずストレスがたまり、なんとなくだが小さいいざこざも増えてくる。室内での遊びも工夫をしないと少しずつ飽きが来る。この時期の保育を考えるのはとても大変なことだ。とにかく室内でも体を動かしていきたい。何より梅雨が明けると「運動会」という大イベントの名前が少しずつ上がってくる。

園庭は芝生にもかかわらず小さな水たまりがいくつかできるほどの強い雨が連日降っている。


「これだけ雨が降ってたら虫とか鳥とかかわいそうだねー」

「ひろな」の発想は面白い。大人にはない世界観を持っている。

「そうだね、みんなどこにいるんだろうね?」

「うーん、わかんない!」

考えてるのか、考えていないのか。とにかくふんわりした子だ。

「じゃあ、雨降ってるけどお散歩に行って探してみようか!」

「えー、やだよー」

横から聞いていた「しゅん」がにやにやしながら近づいてくる。

「濡れちゃうからだめだよー」

「でもレインコート持ってるから大丈夫じゃない?」

「えー、雨やだー」


本来であれば、外で遊ぶことも貴重な経験だと思うがなかなか勇気が出ないものである。泥遊びとか、水たまりで跳ねたりとか。楽しいことはいっぱいあるはずだが、最近の子どもはなかなか乗り気にならない。「超」が付くほどのインドア派が大勢いる。幼少期を近くの川や自然豊かな場所で育ってきた身としてはとても考え難い。これが時代の流れの変化というものなのだろうか...

そんなことを考えていると、ホールに行く時間になった。

「よし、じゃあホールに遊びに行こう!」「はーい!」


次の日も、そのまた次の日も、雨は止むことを知らず降り続く。

「何してるのー?」

「今日は製作をしようと思って準備してるんだよ」

子どもたちは大人のやることに興味津々。外に出られない分大人が何かしているとそれを使うのかとより興味が増してくるように感じる。この日は簡単な製作活動をしようと準備をしていたところだ。ひとつづつ説明をしていきながら一緒に製作を行っていった。活動も進んでいきあとは子どもたちに任せるか、と思ったその時、涙目になりながら動かない「ひろな」の姿があった。近くによると何かが出来なかったのか、途中で止まっていた。

「ひろなちゃん、どうしたの?」

声を掛けるが反応なく、そのまま泣き続けていた。製作に苦手意識を持っているのは知っていたが、普段は少し援助をすれば進んで活動に参加する子だ。大きく崩れる子はなく突然泣き出すのは珍しい。

「何か難しくてできなかった?」

...反応がない。声掛けだけで気持ちを切り替えることは難しいが、ここまで「ひろな」が大きく崩れることはない。

「とりあえずできるところまでやってみようか」

いろいろと声を掛けるが「ひろな」の手は完全に止まってしまっている。そこまで難しい工程はないが、これより先はできなさそうだ。ひとまず活動を終わらせホールに出ると、「ひろな」は何事もなかったかのように遊びだした。いつも通り遊ぶ姿に戻ってくれたので一安心だ。その後特に大きく崩れる様子もなく一日を過ごした。


次の日。

「おはようございまーす」

「けいや先生。めずらしくひろなちゃんが朝泣いてたよ」

「えっ...、お母さん何か言ってました?」

「特別何か言ってないし、家でもいつも通りだって。お母さんと離れてから突然泣き出して。理由を聞いても何も言わなかったからとりあえずそのまま様子見てました」

「わかりました、ありがとうございます」

部屋を見渡すとそこにはいつも通り遊ぶ「ひろな」の姿がある。

「あっ、先生だー、おはようー」

「おはようひろなちゃん。ねえねえ?」

「んー?なーにー?」

...いや待て。あまり深入りしない方がいいんじゃないか。

「ひろなちゃん、昨日作ったやつ一緒に続きしない?」

「うん、やるー!」

昨日手が止まっていた場所から続きを一緒にした。多少は手伝ったが無事に作品は完成した。運悪くこの日は研修が入っていたため、「ひろな」の母親と話すこともできない。研修に出る前に副園長に話をし、クラスをお願いした。

「副園長、ひろなちゃんなんですが、朝泣いてきたみたいで。でも日中は何もなかったのでお母さんに報告お願いします。」

「了解しました、何か聞いておきますか?」

「いや、もしかしたら一日だけかもしれないし、明日も同じようなら僕から聞いてみます。」

朝降っていた雨は昼過ぎに強さを増し、冷たい雨が降りしきる中、重たい足を進めていった。


翌日。遅番だったため入ってくれていた副園長にクラスの様子を聞きに行くと、予感は的中した。

「そういえば、ひろなちゃん今日も朝お母さんと離れた途端に泣き出してました。何かあったんですかね?」

「そうなんですか。クラスではいつも通りだし...お母さんと話してみます」

「ひろなちゃん自身は特に何も言ってなの?」

「深くは聞いていないんですけど、あんまり触れない方がいいのかなと思って。普段通り生活してるからあんまり刺激しない方がいいかなと思います」

...そう、下手に刺激して失敗した例を聞いている。その時の子に「ひろな」はそっくりな部分がある。


夕方お迎えの時にお母さんと話をすることが出来た。

「そういえばお母さん、実はひろなちゃん昨日の朝から受け入れした後泣いているみたいなんです。すぐに泣き止んでいるみたいなんですがお家で様子いかがですか?」

「えっ!そうなんですか?家では特に変わった様子はないし、何も言ってないです。家でも今日あったこととか話してるのでいつも通りかと思ったんですが...」

「そうなんですか。普段あまりこんな話を聞いたことがなかったので。もしお家で何か言っていたら教えていただきませんか?」

「わかりました。家でも様子見てみます」

母親は不思議そうな顔をしながら「ひろな」と手をつなぎ部屋を出ていった。突然のことできっと不安だっただろう。


少し残った事務作業をしていると「ひろな」の話になった。

「なんか最近泣いて登園してるらしいけど何か言ってたの?」

「いや、家ではいつも通りだって。あんまり泣くこともないからなんだろう...」

「そういえば、ひろなちゃんって誰かといつも一緒ってことないよねー。お友達とうまく遊べないとかじゃないの?」

「確かに、あんまり特定の誰かと遊んだりってないし、どっちかっていうと誰とでも話すし、一人でも遊ぶし。なんかうまくいかなかったことでもあったかな」

「そういえばお父さん最近見てなくない?」

(そういえば、よく朝も夕方も来てたのに、最近見かけないな...)

「とにかく、明日は普通に来るといいね」


次の日、

「おはようございます。あの、先生...」

母親が静かに歩み寄り、昨日家であったことを伝えだした。

「昨日夜中に突然泣き出して...すぐに泣き止んで寝たんですけど初めてのことでびっくりしました。本当はお休みさせた方がいいかなと思ったんですが、私が休めなくて...」

「そうですか、今は落ち着いているみたいなので細かく様子を見るようにしますね」

「ありがとうございます。出来るだけ早くお迎え来られるように頑張ります。何かあったら連絡ください」

母親は少し不安そうな表情を浮かべたが、この日「ひろな」はいつも通りの様子を見せたのでそのまま仕事に向かった。母親を見送ると「ひろな」は紙とクレヨンを持ち出し、何かを描きだした。昨夜のことを聞こうと思ったが、あまりに真剣な表情をしていたのでそのまま見守っていた。絵が完成に近づいたとき「ひろな」に尋ねた。

「ひろなちゃん、何描いてたの?」

「パパ」

「パパ?」

「うん、パパ。今遠くでお仕事してるから頑張ってってお手紙書いてるの」

...そういうことか。父親の姿が最近なかったのは出張しているから。もしかしたら家に父親がいなくて寂しかったから泣いてたのか?

「お父さんお手紙貰ったらすごくうれしいと思うよ!」

「パパ、急にお仕事行っちゃうんだもん。頑張ってって言えなかったよ」

「そっか、それは寂しかったね」

二言、三言会話を交わすとまた「ひろな」は絵を描くことに集中しだした。


「ありがとうございましたー」

夕方母親が迎えに来た時、今朝のことを伝え尋ねた。

「おかえりなさい、ひろなちゃん朝から一生懸命お父さんにお手紙を書いていたみたいです。もしかしてお父さん今出張されてますか?」

「ええ、今週の初めからしています。ひろなにはあらかじめ伝えていたんですけど」

「そうだったんですね、ひろなちゃんがないていたのもしかしたらお父さんの出張かなって思います。お父さんに頑張ってって言えなくて寂しかたって言ってました」

「あぁ、確かに朝会えなかったから。それで...」

「真剣にお手紙書いてたみたいなので、お父さんに見せてあげられたらいいですね!」

「そうですね、家に帰って写真を撮って送ってみます」

理由がわかったのと、普段と変わらない娘の様子に母親は安堵の表情を見せた。


「おはようございます!」

翌日、「ひろな」はいつも通りの笑顔を浮かべやってきた。

「おはよう、ひろなちゃん。お父さんにお手紙出した?」

「うん、ママがパパに写真撮って送ってくれたの!そしたらパパから電話が来て、明日帰るねって言ってくれたの!」

「そっか、パパ帰ってくるの楽しみだね!」

「うん!」

「先生、ひろな手紙を送ったらすごい喜んで。昨日興奮であんまり眠れなかったみたいです。でもいつも通りに戻ってよかったです。今日もよろしくお願いします。」

母親の明るい表情に逆にこちらが安心できた。

「ママ、いってらっしゃーい!がんばってねー!」

母親は笑顔で手を振り応えた。

「せんせー」

「なーに?」

「今日は何して遊ぶー?」


朝降っていた雨は昼過ぎには止み、明るい陽射しとともに空には虹がかかった。

もうすぐ夏がやってくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る