第17巻 鮭が川に戻る日
釣り人はラジオを地面に置いて、ただ水面を眺めて引きを待つ。
釣りに興味のない人間にはわからないが、こんなになんの釣果が無くてもそれはそれで大切な時間なのだろうか。
「お!おお・・これは尋常じゃないぞ!」
突然、竿がしなった。水面には巨大な魚影が浮かび上がって来る。
「・・ああ!ああぁッ!」
だが、彼は大物などでは無く見てはならない物を釣り上げてしまった。
異形のそれが陸に上がると、辺りに誰もいない静かな場所で叫びが響いた。
そして、大きななにかが水に落ちた様な音がして、持ち主がいなくなったラジオがニュースを読み上げていた。
「・・県警の発表では、怪生物と一連の事件は一切関係がないと見ている、との事で現在現場周辺では・・」
天狛は小百合から仕事の話しがあってすぐ、ある男に連絡を取りその人物と落ち合う為に現地へ向かった。
その地方の主要駅のロータリーに立った天狛の前に、ハーレーが停まる。
金の長髪にヒゲ、サングラスの中年男性がそれを駆っていた。
「おまたせしやした、旦那!」
彼は風貌とは違和感のある時代掛かった口調で天狛にヘルメットを渡した。
「悪いな、急に呼び出して。こっちならアンディが詳しいと思ってな!」
以前、仕事でやって来た事があるこの地もそれ以上の縁はなかった。風来坊だった天狛でも、土地勘が無ければこの仕事は勤まらない。
だから珍しく知り合いを今回頼りにした。アンディは見ての通り本格のバイカーだ、こと道にかけてはプロだろう。
「乗って下せぇ、話しは道すがら聞きやしょう!」
天狛は礼を言って跨ると、まだ少し早い革ジャンの横腹を掴んだ。
「アンディ、お前太ったんじゃないか?」
腰骨が埋まって掴みにくいぐらい、彼はタルの様な姿をしていた。
「・・いやぁ、おかげさまで!幸せ太りってヤツでして!」
向かい風に乗って、アンディの照れた声が聞こえた。
「お前、結婚したの!?」
「へぇ〜アンディが結婚ねぇ、いやおめでとう!」
天狛からしてみたら、それは驚きだった。今回の事件に関わるなにかが目撃されたと言う現場近くに来ても、まだその話題を口にしている。
「旦那、それより所々やっぱりいますね・・あそこ、あっちに、あ!見ない方がいいですぜ!」
アンディがいる、と小声で言っているのは私服警官だ。事件性は不明ながら、この3日間で死者行方不明者がわかっているだけで5人。
なにかしら対応あって当然で、だからこそ遠野にも話しが来たのだ。
「そりゃ、半魚人なんかいたら世間様もビックリして腰抜かすでしょうねぇ、旦那!」
この大きな河川が海に流れ込む付近で、怪生物の噂が立ち始めるや、本当は関連しているのでは?と思われる事件が多発している。
だが、遠野にはとにかく来て欲しいと言う内容の依頼で、今回、当局はあまり情報を出したがらないそうだ。
「そりゃ、一般にゃ伏せてますし・・情報統制ってヤツですかねェ。旦那達にだって、自分達がわからねェ事は説明出来ねェって所じゃあねえですかい?てめぇが聞きてェやってんでしょ、本当のところは」
「かもしれんな・・」
アンディの話しはあながち的を得ているのだろう、周辺にいるスーツ姿の男の表情は、この辺りに起きている事を端的に物語っている。
「いけねェ、旦那行きましょう!近づいて来やがる」
二人を追っ払いたいのか、ここからでも分かる無線機を忍ばせた男がまっすぐ歩いてくる。面倒になる前に退散と、アンディは天狛をバイクに乗るように急かした。
「警察に任せりゃいいんじゃないですかい?」
アンディはハンドルを握り、そう言った。仮に被害が出たらその時は顔を出せばいい。彼等はいい囮になる。
なんなら、サイレンに付いて行けば案内までしてくるだろう。
「アンディ、お前も所帯持ってカタギになったんだからもう少し憐れみってヤツを持った方がいいぞ」
アンディはこの地方で現在、バイクショップを営んでいる。見た目通りの不良なのかわからないが、天狛とどういう繋がりかは今の所良くわからない。
「へぇ、いや!すいやせん!」
だが終始下手に出て、天狛には敬意の様な物を示している。
この筋の人間にありがちな、世の中の事は知った事ではないが、義理人情には厚いと言う人物なのかもしれない。
「青木さん、早く!天狛さん、一人じゃ大変だよ!」
キャンピングカーの助手席で弓弦が運転手の青木を急かした。
普段現場に彼が出るなどありえないが、桃子がダウンした為に急遽駆り出された。この車は遠野に詩織達のアイデアで最近配備された物である。
「いやいや、お坊ちゃん!この手の車は風がある時期はあぶないんですよ!」
弓弦達も現地に向かって高速道路を走った。
80年代のロックが、スピーカーから響く。川沿いの道を走らせ、アンディはすっかりツーリング気分だ。
「どーです、旦那?気持ちいいでしょ!旦那も免許取ってバイク乗りになってくれりゃ、お伊勢さんにお遍路!一緒に旅なんてどうですかい?」
バイクが走り出すとアンディは楽しそうにしているが、天狛はこの地方の寒さに薄着が辛くて凍えるように相槌しただけだ。
「どこ行こうってんですかぃ?」
堪らじとバイクを停めてくれる様に頼まれたアンディは、せっかくの気分に水を刺さて聞いた。
「便所だよ!便所!」
天狛はそう言うと、土手を駆け下りていく。河川敷には広場や球場があって、小さな建物、トイレらしき物がある。
「だらしねェなぁ、旦那ってあろうモンが、ケツであれじゃバイク乗りな・・」
アンディの言葉も、古いアメリカンロックも、凄まじい轟音に遮られた。
驚いたアンディは口からタバコをポトリと落として叫ぶ。
「旦那ぁーー!天狛の旦那ぁ〜〜!」
大切なバイクを置き去りにして、土手を走る。
「旦那、てぇへんだ!川が!川に!」
「なんだよ、落ち着けアンディ!・・ん?」
それは川の向こうからやって来る大きな水しぶきの柱だった。
「アンディ、津波だ!高い所!山に走れ!」
二人はバイクに向かって走り、すぐにヘルメットを被った。無線式に内蔵されたスピーカーが80'のロックをまだ鳴らしている。
音楽に乗って、二人の逃避行が始まった。やってくる津波の先頭付近で、黒い影が二体宙に飛び跳ねている。
そのまま川底の影に乗る様に半身を現し、驚いたままそれを眺める人々の前に姿を見せた、魚の様な人間大の得体の知れぬ二体が抱き合っている。
それは、下顎の突き出た魚の顔に目がギョロッと大きく、細い手足もある。
だが、噂の半魚人と言うよりは頼りない足を尻尾で支えているせいか、怪獣の様な姿だ。そして、口をガバッと開くと息を吸い込んで叫んだ。
「鮭の大助!」
「その妻小助!」
その声は大きく、聞こえる範囲にいる者はバタバタと倒れた。
「今より!登るッッッッ!」
宙に飛び跳ね上がると、二体の化け物はポーズを取り、再び川に入って逆上を続ける。
その魚群が通り過ぎた下流に、遠野のキャンピングカーが走っていた。そこに人々が倒れているのを、弓弦は窓から見て確認した。
「大変だ!青木さん、停めてください!」
車から飛び出した弓弦は川辺に走った。
「大丈夫ですか!?しっかりしてください!」
「魚が、変な魚が!」
血を吐いている者もいる、だが今は119番には繋がらないほど回線が混雑している様だ。
弓弦は電話を諦めてキャンピングカーにある救命具を出して、なんとか重症者から応急処置を始めた。
「旦那、こりゃ津波じゃありませんぜ!水は川から出ちゃいねぇ!」
「降りれるか!?」
追い付かれてみてわかったが、アレは魚の群れだ。脇見が出来る天狛にはそれが良くわかった。
「ムチャ言わんでください!下は道なんてモンありゃしませんぜ!」
すると、橋が見えた。その歩道には野次馬がたくさん集まっている。群衆が騒いでいる、その橋ゲタに魚群の先頭がぶつかった。
「あンたぁぁぁぁぁぁ〜!」
「小助ぇぇぇぇぇ〜!!」
ぶつけた衝撃で、あの化け物みたいな自称鮭の妻、小助が流される。
旦那の大助は身を返して、はぐれぬよう小助を抱きしめる。
その大きな声に、橋は揺れ人々はまた苦しみ始める。そんな中、子供が川へ落ちるのを天狛は見た。
「アンディ!!川へ寄せてくれ!」
バイクは左に寄せられた。
「何する気ですかい!?・・旦那!旦那ァ!」
天狛はガードなどが無くなる場所を待って飛び降りた。転がり降りる天狛は途中、そのままの勢いで立ち上がりつつ川へ走る。
「旦那ァ!」
アンディは叫ぶと同時に、昔聞いた鮭の妖怪を思い出した。
「ありゃ、大昔聞いた鮭のナンとか言う北の方のトンパチじゃねぇか?なんで今更こんな所に・・いけねェ!だったら旦那が殺されちまう!」
アンディの記憶が確かなら、近くであの声を聞いたら命は無い。
現状を見るに、もしかしたら何かしらの音波攻撃かもしれない。それなら頭痛にもこの人倒れにも合点は行く。
天狛は魚群で一寸先を見るのも難しい中、なんとか人の腕を見つけた。魚の勢いに川の端に追いやられていなければ、助け出せなかっただろう。
「おい、坊主しっかりしろ!」
水を飲んでいる。天狛は胸を押して平手で打つ。乱暴かもしれんないが、他に方法を知らないのだ。
「んん・・」
意識がある。間に合ったのだ、それを確認した天狛は土手を斜めになって降って来るアンディと合流出来た。
「旦那、やっぱり!この魚どもは鮭ですぜ!川ぁ埋め尽くしてやがる!」
「ここは北海道じゃねーぞ!」
子供を座らせて、アンディの言葉に驚いた天狛は自分の常識での反応をした。
「いや、そりゃ人間が汚したからで、昔ぁここらにも登って来たんですよ!」
そして、今この魚群を先導している厄介な相手を説明しようとアンディは捲し立てた。
「・・先頭にゃ、旦那が始末頼まれた、とんでもねェ連中がいるんです!いいですかい?絶対ェ間近でその声を聞いちゃいけねェ、いくら旦那でも命取りになりますぜ!?」
そう言って、アンディはヘルメットの紐を締めてやり、Bluetoothから流れる音楽を最大にした。
「天狛さん!」
そこに、怪我人を満載したキャンピングカーで弓弦が通りがかり、手を振っている。
「良かった!天狛さん大変なんです!」
弓弦はそう、大声で自分が見た惨状を伝えようとした。
「・・ああ、知ってるよ。この子も頼めるか?アンディ、奴らを追ってくれ!」
そう言われた弓弦は、もう乗せる場所が無く、降りて自分のいた助手席に乗せてやり、救急車や警察車両が集まる場所に向かって走る。
「あの、すいません!遠野の弓弦といいます!お願いです、あの車に怪我人がいます一緒に病院へ!」
すると、短い髪の刑事の一人がサングラスを外して弓弦を睨みつけて呟いた。
「・・遠野?」
「クソッタレ野郎!こんな時にスピード違反もねェだろ!?」
アンディは憤って声を荒げる。サイレンがうるさいと思ったらバックミラーにパトカーの群れが見えた。
「チィッ!」
天狛の舌打ちの隣をパトカーが駆け抜けていく。
「なんてこった!・・アレ?行っちまいやがる」
道が塞がれる、アンディはそう思ったがそのまま全台走り抜いていく。
助かった。もし上流で奴らに産卵でもされたら来年の今頃この辺りの街は人間が住めない場所になる。
このパニックに救われた、今はとにかく早く追いついて倒すしかない。
魚の群れを追うこと1時間、市街地からは離れていく。それでもあらゆる手段で地域住民に川に近づかぬ様に告知され、この川沿いの道へは大部分が通行止めになっている。
街中は映画のような大パニックだった。
「もし、奴らが交尾して産卵したら・・」
「来年、この街は絶滅ですぜ!」
川が浅くなり始めた。天狛とアンディはそれを見て戦いは近いと覚悟を決める。
「小助!」
あの小さな怪獣の様な魚の化け物が立ち上がり何かを言った。
「あンた!」
二体は足元で他の鮭がバタバタと跳ねまる中抱きしめ合う。ついに始まったのだ。
「やらせるかぁぁ!」
川と交差する橋の上で天狛は叫びをあげて飛び降りる。
「小助ぇぇぇ!」
天狛のヴァジュラが伸びた矛先は、妻の小助を貫かんとした。その時、その間に亭主の大助が割って入り、妻を守る盾となった。
「あン・・た!」
天狛がヴァジュラを抜くと大助は手で天を仰ぎ、ゆっくりと倒れ真っ黒な霧が爆散する様に果てた。
「あンたぁぁぁぁ〜!」
幸い、アンディのヘルメットのおかげで何も聞こえない。
正確には今流れてるのはローリングストーンズだろうか?詳しくない天狛にはわからなかったが洋楽が頭を割りそうなほど響いている。
恐らく、彼等の攻撃方法は人間の恐怖心がトリガーとなって発動している呪いの一種かもしれない。
遺された小助は、悲しみに震えながら口を開いて何か言っている。その時だった。
「あ!バッテリーが・・」
プー、と言う音がして、音楽が消えた。
「ヤ、ヤバ・・」
バッテリー切れを確認していたアンディが覗き込むと、天狛の前に小助が迫り、口を開く寸前だった。
「旦那!避けてくだせぇ!」
アンディは革ジャンを脱ぎ捨てると自分の正体、火の輪入道の姿を晒し突撃する。
火の車輪のいきなりの体当たりに驚いた小助がヨロヨロとよろめいた。
「・・ひ、ひィィ〜お助けー!」
人間の姿に戻って川に転がったアンディは天狛を連れて、必殺の間合いから不様でもなんでもいい。なんとか逃げようとする。
だが、愛する者を失った小助の怒りは、二人を逃がすつもりはない。もし水深があればすぐに捉えられていただろう。
「うわああああああああ!」
そこに突然、大声で水を跳ねながら弓弦が走った。注意を二人から逸らす為だ。今度は弓弦に向かって口が開く。
瞬間、静寂の中にドッっと音がした。弓弦の矢が小助の口に突き刺さったのだ。
そしてゆっくりと、頭から崩れて消えていく。
「大丈夫ですか!天狛さん、と・・えっとあの、おじさん!」
アンディに肩を担がれ、天狛は川の中に立ち上がった。
「よくやったな、弓弦・・!」
「でも、坊やはどうしてここに?」
言われてみたら、弓弦がここに何故いたのだろうか。天狛も疑問に思った。
「あの刑事さんが、僕を乗せてくれてここまで奴らを追ってこれたんです!」
弓弦が指した先では、橋の上でタバコを吸い、サングラスの刑事はバイクを物色している。駐禁を切るぞ!と言うゼスチャーだ。
「あ、ああー!待って!」
アンディは天狛を放り投げて、バシャバシャと水を蹴って走る。
「弓弦。お前矢を先だけ外して、俺にくれないか?」
「はい・・でもなんで、ですか?」
天狛は貴重な矢尻、妖気を浄化する特殊な金属部分を弓弦に返して、矢の部分は川のほとりの岩に刺した。
弓弦は何をしているのかわからなくて、天狛にそのまま問うた。
「墓だ・・」
それだけ天狛は答えた。だが、弓弦は納得がいかない。
「・・そんな!あいつに殺されかけたんでしょう!?」
弓弦は手を合わせる天狛に言った。だが、天狛は弓弦の眼を見てこう、答えた。
「誰かを愛する心は、奴らも人間も同じなんだよ・・」
弓弦はその粗末な墓標を見つめて今やっと、詩織があそこまで天狛を想う様になったのか、そのワケが自分の中で理解出来た気がした。
お嬢さんの妖怪絵巻 〜上の巻〜 武神凰我 @runpen
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