第16巻 弓弦の瞳

 遠野の訓練所の前。待ち受けた弟子、弓弦は片手を突き出しもう一方は引いて力を込めた構えで向かえ、ビニール袋を投げた師、天狛は片足で両手を水平に広げて身を捻り、1本の腕を水平のまま片方を頭の上で直角に曲げて応じる。


「弓弦、一度だ・・」


「はい、さすが天狛さん!また強くなりましたね!」


 二人は幾度か構えを変えながら演舞の様にゆっくりと静かに拳を確かめ合い、やっと言葉を交わした。一度、とは死んだと言う意味だ。



「アタシの弟に変な事教えないでよ・・」


 弓弦の後ろで桃子が言った。


「ああ、いたの・・」


 天狛はビニール袋を拾って嫌味を言った。中身は今晩のおかずと、朝のパンだ。


「ここ、ウチの訓練所でしょ?アタシが居たっておかしくないわよ」


 弓弦の学校が行事やテストが一段落し、木曜日までとなったので1日早く修行をする為に約束していた。

 近頃詩織は織絵の下で術の修行に明け暮れており、やや置いて行かれた桃子は気分を変えてこちらに顔を出してみたのだ。


「姉ちゃん、スタイル的には天狛さんのが近いみたいなんです、それで一緒に・・」


「違うわ、詩織と同じ事やったって差が開かないじゃない?だから、よ!」


 二人はある意味、姉妹であり親友であり、ライバルでもある。桃子なりに今の場所で自分の立ち位置を確かめたいのだろう。

 後、周りがなにかに向かって努力し出すと友人が少ない彼女は本当は寂しかった。それは決して言葉にはしない性格ではあるが。



 元レッスン場では、さっそく着替えた姉弟がアップしている。この後は軽いランニングだ。

 一方天狛は終わった後のちゃんこを用意している。ちゃんことは言っても鍋ではなく、一般的に相撲部屋や道場で振る舞われる食事は総じてそう呼ぶ事が多い。




「よし、今日はお姉ちゃん来たから、棒にするか!」


 軽いランニングから戻ると、天狛がやっと入って来て、組み手的に打ち合う事になった。


「アンタ、知らないわよ怪我したって!」


 白い防具を身に着けながら、着の身着のままの天狛に桃子は言った。なんでも一番で負けた事はほとんど無い桃子は、今から痛めつけてやると言う考えが頭に浮かんだ。


「だって、無いんだもん・・」


 ミニマリストと言うよりは設備投資に回す原資が無い天狛は、プロレタリアートの誇りに賭けて無課金状態で挑む。


 カンフー映画で学んだと言う天狛棒術は、実戦を重ねた虚を突く戦法で、桃子の薙刀は剣道と少し違ってそこまで能動的では無く受け主体の戦法に見える。

 江戸時代から武家の女性に嗜まれた武術だけあって、屋内または市街地で迎え打って戦う為、防衛戦が主眼に置かれていたからだろう。


「やっ!」


 コンパクトに振って、不用意に間合いに入って来た天狛の片足を捉えたと桃子は思ったが、天狛は見計らって棒を軸に持って飛び上がり防具に足を当てて倒す。


「もう一回よ!」


 次は天狛が射程に入るタイミングを計算して薙ぎ払おうとした時、不意に棒を投げられてそれを弾いたら一気に詰めらて、得物を封じられた。

 

「アンタ、ちょっと卑怯よ!ちゃんとやりなさいよ!」


 当然、パワーでは勝ち目がないので、決着と言う事で離れて貰っても、文句の一つも言いたくなった。


「奴らはお前と試合なんかしてくれやしないぞ!」


 天狛の言葉の意味は、今が実戦なら二度死んだと言う事だ。そして、実戦の場において未熟な者に二度目はやって来ない。



「次!僕、お願いします!」


 弓弦は薙刀状の物では無く、練習で使う棒に怪我をしない様に布を巻いた物で前に出た。


「もうっ!」


 桃子はまだ終わってないと怒った様子で、それでも弟の為に下がった。

槍の突きは強力で、単調ながらリーチを活かして連続で行えば、面で攻撃出来る。


「遅い!」


 天狛は槍の穂先を見切って一瞬で握り取る。すると弓弦はわざと棒を軽く握って間合いを詰める。天狛の棒の突きを無力化する為に敢えてそうした。

 天狛は真ん中に持ち替えてすぐ足を払うが、回転させやすくする為にそうしたモーションで弓弦は読んでいた。

 タイミングを合わせて大胆に棒を持って飛び蹴りを放つ。


「どうだ!?」


 しかし、天狛はそれを片手で合わせ、身体の回転と足運びを同時に使って背中に吊るし上げた。


「いいぞ、もう少しで入ってた!」


 天狛が弟の技を褒めている。その光景を見た時、桃子は少し頭にきてしまった。

 いつの間にかこちらでも、おいてけぼりになった気がしたからだ。


「あ・・!鍋掛けたままだった!・・お前達腹空いたろ?メシにしようや」

 

 天狛はそう言って住居側のドアへ歩いて行った。



「アンタ達、いつもあんな事してるの?」


「そうだよ?天狛流戦闘術って言うんだ!凄いだろ?」


 弓弦は姉を見て笑ったが、桃子はちょっと呆れていた。




「なに、コレ?変なご飯・・」


 豚汁と胸肉のサラダ、ブロッコリーと豆の炊き込みご飯を見て、桃子はそう言った。


「文句言う人は食べなくていいです、お腹を空かして餓死してください!」


 天狛は弓弦が聞いた事も言われた事も無い悪態をつくので、すぐにフォローしようと姉に話しかけた。


「食べてみたらわかるって、美味しいから!」


 今まで出された天狛の手料理にハズレなど無かったから、そのまま思った事を言った。

 抵抗はあるかも知れないが、このメニューは身体作りの為こういう作りなのだ。

 


「え?アレ?おいしい・・」


 豚汁がちょっと変わっていて鮭とじゃがいもとキノコ類が追加され、バターの風味がある。炊き込みご飯も、見た目より食べやすくて、コンソメ風味だった。

 桃子が素直にそう言うと、天狛は途端優しい声で言った。


「たくさん食べるんだぞ、後でプリンもあるからな」


 そう言って、3つ入ったプリンを買って来たと告げた。



「でも、明日は疲れ果てるまで湖のほとりを歩くからな!今夜はゆっくりしとけ」


 そう言って、二人に汗を流す様に言った。


「アンタと同じお風呂、イヤよ!」


「ああ、それなら駅向こうにホテルあってな。あそこは風呂だけでも入れるよ、暗いから弓弦も付いていってやれ」


 桃子のこういう所には慣れていちいち反応しても仕方ない事を学習した天狛だが、最近の桃子はそれがまた不満なのであまりいい顔はしなかった。


「あ、はい!・・わがまま言うなよな、割り込んで来て・・」


 弓弦はちょっと釘を刺したつもりだが、いつでもどんな場合でも自分の味方をしてくれないと腹を立てる桃子は、無言で弓弦の頭を叩いた。






「・・天狛さん」


 寝る準備をしていると、ドアがノックされて弓弦が入って来た。


「これ、ganjesで買ったんです!一緒に観てください!」


 その手にはDVDがあった。修行で泊まりに来ると、二人は良く天狛のオススメB級映画を観てから寝るのが常だったが、前回は愛天使(キュピト)のエロッセウスとの一件で天狛が負傷した為に用意が無かった。


「あ、姉弟で寝るんじゃないんだ?」


 枕と布団も抱えていたので、きっと追い出されたのだろう。


「どれどれ?古いなぁ、これジャスターだろ?俺、ガキの頃観たよ・・」


 天狛に手渡された作品は、30年ほど前の特撮作品「流星戦士ジャスター」だった。


「僕、再放送で観てから大好きで、ずっと欲しかったんです!ダメですか?」


 天狛は断らなかった。何故なら、昔の特撮はアクションだけは凝っていて、意外と応用出来たりするからだ。

 それに、観たいと言うなら付き合ってやらなければならない。いつもは自分がB級映画ばかり観せては、ガン=カタを無理矢理トレーニングに組み込んだりしていたからだ。


「銀河流星、て地球での名前がもう昔の特撮!って感じだよな!」


 OPテロップで天狛はいきなり笑った。あらすじとしても、宇宙犯罪組織マドーに、銀河パトロール隊員だった父を殺害されたジャスターは、地球を狙うマドーを追って父の遺物メタルジャケットと巨大ロボになる宇宙戦闘機を勝手に持ち出して地球にやって来た。

 マドーとの戦いの中、傷付いた身体を看病してくれた地球人の娘エリカの優しさに胸を打たれ、復讐から次第に平和の為に戦う様になる。


 と言う、あのSFブームの時代、そこら中にあった技術とつり合わない壮大なプロットを無理矢理、命懸けのアクションで観させる真剣にやっているギャグみたいな内容の作品だ。


「時々、お約束を無視して生身でジャスタージェットを呼ぶシーンがカッコいいんです!」


 巨大な敵や戦闘機が出て来る。襲われる場所は決まってビルの屋上、崖、あらゆる高い所が大好きで、そこから飛び降りてはジャスタァァジェット!の掛け声で呼び出し、ロボが来たら逆転。わかりやすいが、自分がやれと言われたら天狛でもこれは厳しい。高くて観ていて怖すぎる。


 後、昭和から平成の初期に掛けては戦争の準備でもしてるのかと勘ぐるぐらい大爆発ばかりする。華やかな時代だったので、今現在からすると同ジャンルでも別物に近いと弓弦は言う。

 彼はどちらかと言うとこんな作風が好きで、たぶん古典派の熱血タイプなんだろう。




「あ、ダメ!こういうの捕まったら終わり」


「そうなんですか?」


 シーンは昔は良くあった俳優がクレーンで吊られ、ビデオ合成で光る何かしらのエネルギーのムチかロープに拘束されて足をバタバタと宙に浮かされる場面。

 現実、化け物と戦う天狛には、ここから返す手は無い事がわかる。ドラマで無ければ間違いなく殺される。



「ね、なにしてんの?」


 自分が追い出したのに、退屈になった途端桃子が部屋に来た。


「まった、アンタ子供みたいなの観て・・」


 桃子の心ない言葉に、弓弦は明らかにムッとする。誰でも好きな物を否定されるのは腹が立つ物だ。


「喧嘩するな、姉弟仲良・・おい、これ!」


 今、ジャスターを追い詰めている敵の女幹部。これもこの時代お決まりのセクシーでキツい美女が担当する役だが、天狛はその役者を指差してから、桃子を指差した。


「・・ハハハハハ!似てる!姉ちゃん、ゾルタだったんだ!」


 桃子は画面を眺めてみた。ジャスターを裏切り、敵に寝返ったゾルタは鞭を持って高笑いしていた。


「天狛ぁぁぁ!」


 まさか、不用意な発言一つで激昂し、画面と同じ様な顔の人に首を絞められ、今まさに首に鞭を巻き付けられる画面のジャスターと同じタイミングで同じシーンが現実で起きるとは、天狛も夢にも思っていなかった。





「結構、美人だったから怒らないと思ったんだけどなぁ・・」


 三人、雑魚寝から目覚めて朝はパンを食べた後、天狛は心の中でそう思った。問答無用で自分のプリンを食べられたからだ。


「余計なコト言った罰よ!」


 桃子は奪い返されないよう、蛇の様にプリンを丸呑みにして言った。





「・・なぁ、詩織ちゃん」


「なんでしょう?」


 この二人、実は潤滑剤である桃子がいないと間にやや緊張感が漂っている。

 天狛は弓弦達と訓練しているが、こちらも術の修行中だ。だが、ちょっと休憩になるとお互いに壁を感じてしまう。やはり天狛の事で、色々と考える事もあるのだ。


「術、覚えてどうするん?」


 元々、努力家なのは伺い知れるがその先にある使い道や目標がわからなかった。


「私、まだまだわからないですけど・・もし傷を治す術とか、そう言うのがあればいいなって・・天狛さんも、これからは桃子達も心配だから!」


 詩織らしい動機ではあるけれど、織絵もそう言った術の知識はあまり無かった。

 だが、無ければ作れば良い。それが彼女のスタンスでもある。


「今で言う、高塚光みたいなんかなぁ・・明治時代にもそんな人聞くけど、術としてはどやろうな?授業の一環として、研究してみよか?」

 

 詩織には目からウロコだった。こう言った物は過去の産物を学ぶとばかり思っていたが、将棋等の定石や数学の様に本来進歩して行く部分もあるのだ。

 それらが鈍化したのは単に現代社会が、物質文明に傾倒し過ぎた為に人間および自然的な力への畏怖をスポイルしてしまったに過ぎないからだ。


「ありがとうございます!私、頑張ります!」


 超能力と呪術は似て非なるもの。と織絵は前置きしたが、その能力もさることながら詩織はいつの間にか織絵の人格や生き方に強く尊敬の念を抱く様になっていた。


「でも、まあそんな風に皆を守りたいなら、ウチならこうするけどな・・」


 そう言って、織絵は柔らかな曲線を描く髪を束ねているリボンを解いた。


「これ、特殊な霊糸で編んでてな?こんぐらいやったら高級車買えるねんで!」


 詩織は驚いた様に眼を見開いた。もしかしたら傷が早く治る包帯とか、そんな使い方をするのだろうか?織絵は集中し、眼を閉じてリボンを指に挟んで身体の周りを回転させている。


「乙女チック・変化(チェンジ)!」


 フワッと光に包まれた身体は、ボディラインをシルエットで浮かび上がらせて、一瞬にして姿を変えてしまった。



「・・愛と希望の乙女・オリエント・グリーンッ!」


 ビシッとポーズして、どうか?と聞かれたが詩織には呆気しか無かった。


「これで、これからはウチらが悪霊と戦えばエエねん。ウチはオリエンタルな美女やから、詩織ちゃんはそやな・・和風やからジャパネスク・ネイビーとかどうかな?・・よし、さっそく練習や!おもちゃメーカーにも売り込んで儲けるで!?」


 詩織は全力で首を振った、もちろん横にだ。突然なにが起きたか理解出来なかったし、スカートはマイクロミニで動いただけで露出してしまう。


「え、嫌なん?・・美少女戦士」


 その姿は美少女と言うよりは色街のいかがわしいコスチュームのお姉さんにしか見えない。

 自分がやったってそうだ、そう思って赤面した。


「んー・・まだイケる思ったんやけどな、ウチ・・」


 そう言って、織絵は建屋に戻って行こうとする。


「あの、どうしたんですか?」


 機嫌を悪くしてしまったと詩織が心配すると、織絵は答えた。


「違うねん、これまだ中途半端でな。解除したら真ッパやねん!」


 そう言って着替えに帰ってしまった。そこで詩織は、ふと思った事を独り言で呟いていた。


「さっきまでの服、どこ行ったんだろう・・」


 今、彼女は奥の深い道を歩き出し始めているのだった。

 



 三人の訓練は、歩く事6時間になってもまだ続いていた。


「アタシ・・アタシ、もう限界!」


 桃子は脱落寸前だった。声を聞いた弓弦も、そこまで差はない状態だ。

 荷物、と言うよりは重りを入れたリュックが二人の体力を奪っていた。


「姉ちゃ・・あ!」


 声をかけようとした時、本家からの電話がなった。

 弓弦の好きな作品の緊迫感のあるBGMだ。


「もしもし、お婆ちゃんどうしたの?」


 今時、直接電話も珍しい。天狛とは違って祖母はSNSだって使いこなす。

 通話しながら、段々と弓弦は声を強張らせていく。



「天狛さぁーーん!大変、仕事!お婆ちゃんが!」


 桃子は膝に手を置いてやっと立っているのに、弓弦はゆうに先を歩く天狛の名を叫びながら走った。


 再び自分の眼で天狛がいる世界を見つめる時が、少年の近くまでやって来たのだった。

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