人々に愛された魔王のおはなし

ながワサビ64

第1話



 ここは魔界にある小さな領地。

 打ち捨てられた古い古い城の奥で、豪奢な玉座に腰を掛けた一人の少女がいた。

「時にじいよ、はいくつになった?」

 白い肌と空色の長い髪。

 魔紋が刻まれた空色の瞳。

 不敵な笑みを浮かべる少女は、指先に揺らめく青色の炎を弄びながら老人を見た。

「はい。先ほどの男を入れて、ちょうど500になります」

 と、執事服の老人が傅いた。

 少女は満足そうに笑い、炎を口に放り込む。

 うまそうに咀嚼する彼女の口からは、人の悲鳴にも似た声が漏れ出しており、彼女はそれを楽しむようにしてゴクンと飲み込んだ。

 ぺろりと唇を舐める少女。

 はぁ、と、妖艶なため息が漏れる。

「しかしヒトというのは哀れな生き物よの。魔族と契約しているとも知らずに毎日毎日、あくせく〝お願い〟を持ってくるとは」

 玉座から見える床の泉には、何の変哲もない丸い岩が映し出されていた。

 そこには沢山の花や、宝岩や、魔本や、食べ物が並べられており、まるでその岩を祭っているかのように見える。

「妾が願いを叶え、願った者は妾へ信仰心を捧げる。信仰する者が増えるほど妾は魔族としての力が増える」

 笑いが止まらんわ――と、上機嫌なこの少女は、魔界の7つある領地の最南端に位置する場所に陣取る「信仰の魔王」である。

 そうこうしている間にもまた一人、岩に向かってお願いをしている人間が現れた。

 お願いは青色の炎となって魔王の元へと運ばれる。

「なになに?『隣の家のマーくんが、おさななじみのミーちゃんと仲良くしてた。僕もミーちゃんが好きだけど諦めてその恋を応援したい。だからこの嫉妬心を無くしてください』とな? ふむ……」

 魔王は難しそうに指を丸の形にして、何かを見透かすように目を細める。

「透過魔法で見る限り、ミーちゃんはこの子供のことが好きで、どう打ち明けるべきかをマーくんに相談しているだけのようじゃな」

 泉に映る少女を見て、魔王は閃いたように指を立てた。

「これが俗に言う〝しゅらば〟というやつか?」

「おそらく違うかと」

 しばらく沈黙した魔王は、スンと真顔になって続ける。

「ふむ、ならこんなものは簡単じゃな」

 そのまま人差し指を向けてなにかを念じる。

 すると少女が体を震わせたかと思えば、岩の前へとかけてゆき、少年に自分の想いと事情を説明しはじめた。

 少年は嬉しそうに涙を流し、その後二人は楽しそうに町中へと消えていった。

 満足そうに頷く魔王。

「うむ、行動操作成功じゃ。やはり素直な気持ちが一番じゃな」

「素晴らしい手際でございます」

 執事服の老人が魔王を褒める。

 得意げに鼻の下を擦る魔王。

「この嫉妬心は妾が美味しくいただくとしよう」

 そう言って、青の炎を口の中に放り込む。

 醜い嫉妬の心が入ったソレは、悲痛な叫び声をあげながら魔王の中に溶けていった。

 魔王はそれをうまそうに咀嚼する。

「またひとつ信仰を手に入れてしまった」

「流石でございます」

 二人の他に誰もいない城内に笑い声が響く。

 今日も今日とて彼女は信仰を集めていた。

 信仰の魔王は退屈そうに頬杖をつく。

「しっかし情勢はどうなっているんじゃ。なぜ誰も妾の領地に攻めてこんのじゃ?」

 魔界では7つの領地を収める7人の魔王による戦争が激化していた――が、実のところ、彼女の領地は他の魔王達に比べ圧倒的に狭く、上質な魔岩が取れるわけでも、多くの民がいるわけでもない。攻め落としても旨味のない領地・魔王であった。

 というより、6人の王は「信仰の魔王」という存在がいることすら認知していなかったのである。


◇◇◇◇◇


 戦争孤児マルシャは、体をずるようにして、とある場所へと向かっていた。

 彼の体は病に犯されている。

 おそらくもう長くはないだろう。

(僕もいつか……)

 裏路地で死んだように寝ていた老人や、がりがりにやせ細った動物達まで最近全く見かけなくなった。きっとどこかで死んでしまって、誰かが外に放り出したのだろうとマルシャは思った。

 巷では未知の病気や大量の虫に襲われる人間が後を立たないと聞くし、大昔に比べて人間が住める環境が少なくなっている。

 それもこれも魔族達のせいだ。魔族さえいなければ自分の両親も死なず、自分もこんな辛い思いをしなくても済むのにと、マルシャは乾いた唇を噛みながら前へと進んだ。

 つい先日――町に生えたあの丸い岩。

 岩に願いをすると、叶うという噂があった。

「あった……」

 その丸い岩は普通に存在していた。

 丸い岩の周りには貴重な食料やお金、酒や貴金属などが並べられており、マルシャは言いようのない不安感を覚えていた。

 貧困極まるこの町で、墓にすら供物をする人間は一人もいない。なぜなら次の日までに、どうせ誰かが取って食べてしまうから。金目の物を巡った殺し合いも日常風景と化しており、戦争はこの町を、強い者だけが生き残れる場所に変えたのだ。

 それなのに丸い岩の周りにはたくさんのお供物が残っている――この状況がたまらなく不気味で、マルシャの足は止まってしまう。

「いいんだ。最後に美味しいお水をひと口もらえるなら」

 彼は自分の死期を悟っている。

 彼は自分の病気を治そうとは思わなかった。

 だから最後に、久しく飲めてない水をひと口丸い岩にお願いしようと考えていた。

 その丸い岩を触ったマルシャは、どこか心の奥から何かが抜けるような感覚を覚えた。もしかしたらコレは魂と引き換えに対価を得る呪物の類ではないかと思ったマルシャだが、それ以上に喉の渇きを抑えることはできなかった。

「水をください、ひと口でもいいんです」

 すがるようにそう呟くマルシャ――しかしその願いが叶うより先に、彼の体は限界を迎えてしまう。

 地面に倒れ伏し、そのまま体が動かなくなった。ぜいぜいと自分の喉から聞いたことのない音が漏れるのを聞きながら、自分の体が重く、冷たくなってゆく感覚に身を任せる。

 あぁ、これが待ちに待った・・・・・・死なんだと、これで最愛の両親の元へ行けるんだと、マルシャは暗転する視界の中で微かにそう喜んだ。


『ほれ、水じゃ』


 どっばあああ!! という凄まじい音と共に、マルシャの頭上へ大量の水が落下した。

「っは!!」

 意識が飛びかけていたマルシャが我に帰る。

 今や魔族の領地となった東の湖が降ってきたのかとさえ思ったが、舐めてみるとコレがまた甘い。

 湖や川や池の汚い水とは違う、綺麗な水だ。

 一体何が起こったんだ? と、マルシャはあたりを見渡しながら、ハッとしてその丸い岩を見た。

 自分はこの岩に水を願った。だから水が降ってきた。願いは叶ったのだ。

 この奇跡――神の所業と言わずしてなんという。

 彼の脳内にどこからともなく声が響く。

『ついでに呪いも消しておいたからの。強く生きろよヒトの子よ』

 一瞬何のことか分からなかったが、自分の呼吸や胸の音、湧き上がる力を実感してから、マルシャはその意味を理解した。

「病気が治ってる……?」

 死を悟るほどの重い重い病気だった。何人もの人間がこの病気で死んだと聞いていたし、治す手立ても金もなく――それが今どうだ、病に倒れる前よりも、体の調子がいいではないか。

 神はマルシャに強く生きろと言った。

 ならば自分はその天命を全うしよう。

 マルシャは丸い岩に頭を下げた。

 濡れた地面に髪が浸るのも気にはせず、額で穴を掘るように深く深く頭を下げた。

「かなめ様、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」

 かなめ様、というのは、いつからか町の人々がこの丸い岩をそう呼んでいたのを聞いていたから。マルシャも感謝を込めてそう呼んだ。

 これが、少年マルシャとかなめ様との初めての出会いである――その後、丈夫な肉体を得た少年は武術を極め、魔法を会得し、魔族を蹴散らしながら他の町へ町へと渡り歩く旅人となる。

「アルダンの町へ行け、そこにあるかなめ様に願え」

 彼は困っている人へそう告げながら、魔族退治の旅を続けた。こうした彼の働きもあり、アルダンの町には人が溢れ、希望に満ち、発展を遂げてゆくのであった。

 一方その頃、信仰の魔王の城――。

「水をかけた程度で消える呪いじゃ、病の魔王も大したことないかもしれんの!」

「おお、では今から病の魔王を討ちに行きましょう」

「んー、まあ攻めてくるなら相手してやろうかの!」

「……」

 信仰の魔王軍、未だ最弱を行く――。


◇◇◇◇◇


 コミリアお婆ちゃんの楽しみは、自宅裏に生えた葡萄の木の手入れだった。

 この葡萄の木は夫との結婚を祝して息子達からプレゼントされ、皆で一緒に植えた物。毎年実を付けるその木を眺めながら、家族と過ごした日々を思い出しては懐かしんでいた。

 そんな彼女が御年80歳となる今年、葡萄の木に異変が起こる。

「変だねぇ……どうしちゃったんだい」

 明らかに樹勢が落ち、葉が変色している。

 もう植えてから何十年も経つ老木とはいえ、急激に枯れてゆくその木を、コミリアお婆ちゃんは心配そうに見つめていた。

「やあお婆ちゃん、調子はどうかな?」

「それが困ったのよ」

 隣近所の男に相談すると、男は「じつは……」と切り出した。

「ここの所、虫の吸害が酷くてな。最近猛威を奮っている〝虫の魔王〟の仕業だって言われてんだ。それに植物だけじゃねえ、動物も人間だって血を吸われどんどん死んじまってんだ」

 そう言って男は葡萄の木を見上げた。

「この木にも物凄い量の吸害の跡が見える。奴等は吸うと同時に毒を出すからタチが悪い……まぁこればっかりは諦めるしかねえよ」

「そんな……」

 魔族の仕業ならば諦めるしかない。

 けれど何もしないまま、この大切な木を枯らしてしまうなんて耐えられないと、コミリアお婆ちゃんはある決心をした。

「わたくし、アルダンの町のかなめ様に会ってきます」

「アルダン?! よせやい! ここからどれだけ離れてると思ってるんだい」

 男の静止も聞かず、コミリアお婆ちゃんはアルダンを目指した――魔族との戦争で子供と夫を亡くした彼女にとって、あの葡萄の木は家族が残してくれた大切なもの。

 あの木も大切な家族だ。

「もう何も魔族なんかに渡したくないよ」

 荷馬車や冒険者達に助けてもらいながら、必死な思いでアルダンの町へと辿り着いた彼女。

 着ていた服は既にボロボロで、靴の先から血が滲んでいた。それでも彼女は自分の体に鞭打って、丸い岩へと向かった。

 お祈りするように、丸い岩の前で膝を突く。

「かなめ様。どうか、どうか悪い虫をやっつけてください。わたくしの大切な葡萄の木を助けてください」

 しばらくそうやって祈っていた彼女は、旅の疲れからかその場に倒れてしまう。町の人々が彼女を助け宿屋に運ぶその様を、玉座の前で眺めていた信仰の魔王。

 魔王は死んだような顔で肘をついた。


「虫は嫌じゃ」

 

 魔王にも苦手な物はある。

 それはまずい料理と、虫である。

「木を治しても虫がいる限り意味がない。なら虫を叩くしかないが、ううううぎぎぎぎ」

 と、焦ったように髪を掻きむしる。

 そして、執事服の老人に訴えかけるような眼差しを向けた。

「ど、ど、どうしよう。信仰のためには願いは叶えてやりたいが、虫は無理、無理じゃあ!」

 あうあうと泣き喚く信仰の魔王。 

 執事服の老人はフゥとため息をひとつ。

「ならば私がどうにかしてきましょう」

「おおお!! じい、それは本当か!?」

「はい。では行って参ります」

 そう言い残し、老人は霧のように消えたのだった。


◇◇◇◇◇


 深く広い森の中、永遠に続く夜の世界に、序列第3位〝虫の魔王〟が統べる領地があった。

「魔王様。こちらが此度の生命水にございます」

「うむ、ご苦労」

 形容するなら巨大なカメムシ。

 それが序列第3位魔王、虫の魔王である。

 配下達が持ってきた極上の液体をくゆらせながら、虫の魔王は不気味に笑った。

「やはり我が軍、我が兵は優秀だな。戦闘能力こそ低いがそれでいいのだ、こうやって無限に近い数を操ればどんな相手も一瞬にして干からびる」

 グラスに注がれたその液体をちゅうちゅうと吸いながら、虫の魔王は再び笑った。そんな時だ――部屋の中に突如として〝大きな存在〟が現れたのは。

「な、何者だ!!」

 声を荒げる虫の魔王。

 敵か味方かは分からないが、魔力の総量は自分をはるかに上回っていた。虫の魔王は「第2位魔王か、第1位だろう」と予測する。

 なぜなら自分より強い存在など、その2人以外この世にいないのだから。

「ごきげんよう、虫の魔王」

「お、お前は!」

 虫の魔王は目の前に現れた執事服の老人に見覚えがあった。知っている、いや、見たことがある。魔族にこの者を知らぬ奴はいない。


「かつて魔族を統べた破壊の魔王の側近――エシュドワール!! なぜ貴様が私の城に!!」


 ボガン!!!と、凄まじい音が響いた。

 虫の魔王は、自分が頭を砕かれ、地面に体が埋まっていることに気付く。そしてようやく「自分が攻撃された」ことにも気付いた。

「南の領地に手を出すな」

 冷淡な声が部屋に響く。

 自分の体から臭い匂いが発射される感覚と、老人の気配が消えたのを感じ、虫の魔王はそこで意識を失った。


◇◇◇◇◇


 コミリアお婆ちゃんが目を覚ますと、そこはアルダンの宿屋ではなく、自宅のベッドの上だった。

 彼女は「夢を見ていたのか」と思ったが、足先の痛みに視線を移すと、そこには確かに旅で負傷し、治療を受けた足があることに気付く。

「どうして、どうして……? せっかくかなめ様に会いに行ったのに……」

 もはや彼女には再びアルダンに向かう気力も、体力も残っていなかった――だからせめて、葡萄の木が枯れ落ちるその瞬間を見届けようと庭に出た時、彼女は信じられない光景を目の当たりにした。


 そこには水々しい実をぶら下げ、青々とした葉が生い茂る、元気な姿の木があった。枯れた姿は見る影もなく、吸害の跡は塞がっていた。

 感極まって涙を浮かべるコミリアお婆ちゃん。

 そして彼女は木の前で祈るような形で膝をついた。

「かなめ様、ありがとうございます。わたくしの家族を救ってくださり、本当にありがとうございます」

 ザザァッと吹き抜ける風に揺れる葡萄の葉。

 今年も、来年も、ずっと先も、この木は大きな実を付けるだろう。信仰の魔王はそんな事を考えながら、戻ったエシュドワールに向き直った。

「じい、助かったぞ! お陰で信仰値が20も上がっちゃった!」

「おめでとうございます、魔王様」

「それにしても、いったいぜんたい何をしてきたんじゃ? 世界から虫を根絶したのか?」

「それに近い事です」

 そう言って老人は不敵な笑みを浮かべる。

 信仰の魔王は「ふぅん」とつまらなそうに足をぶらぶらさせながら、青の炎を美味しそうに口の中へと放り込んだ。

「葡萄の香りがするようなしないような」

「気のせいにございます、魔王様」

「じいがなんか臭い気がするようなしないような」

「……気のせいにございます、魔王様」


 実はこの日、魔界には激震が走っていた。

 第3位魔王と第6位魔王が協定を結んだという知らせが、魔界中を駆け巡ったからだ。

 魔王は本来、己が魔界の唯一王であると志した強き者が成れる存在。手を取り合うなどあり得ないのだ。

 かつて魔界を力で支配した破壊の魔王を前に、他の魔王が協定を結んだ事はあった――が、過去の大戦を振り返ってみても、協定を結んだ前例は少ない。

「なぜ急に俺様と協定を?」

 そう言いながら疑うような目を向けるのは、序列第6位の〝獣の魔王〟。対する虫の魔王は復讐に燃える瞳で玉座を叩いた。

「南だ、南の領地を殲滅させるぞ!」

「南? 南にめぼしい領地なんてあったか?」

「うるさい! 南だ! 南南みなみみなみ!」

「なんでもいいけど興奮しないでくれ、臭くてたまらん」


◇◇◇◇◇


 町の冒険者、ノックは絶望していた。

 いつもは低級の魔物しかいないはずの森の中に、レギュルスを見つけたからだった。

(なんであんな化け物がこんな僻地に――!)

 レギュルスは危険度最上級に分類される魔物で、その姿は双頭の黒い熊である。

 左の頭は雷魔法を操り、右の頭は炎魔法を操る。顎の力はアルゴン鉱岩を軽く砕き、一瞬にして千里を駆ける機動力を持つとされるの生き物だ。

 ばりんばりんと何かを齧るレギュルス。

 口元に見えるのは人の手と、耳。

 恐らく一緒に低級魔物の討伐依頼を受けた冒険者が、運悪く見つかったのだろう。とはいえ、彼自身も無事で帰れる保証はない。どれだけ足に自信があろうと見つかればそれでおしまいだ。

 ノックは首に下げていた物を強く握った。

「かなめ様、どうかお守りください……!」

 アルダンの町民の殆どが丸い岩を模した小さなお守りを持っており、年に二度、かなめ様を崇めるお祭りを行なう際に、町民はこれを持ち寄って祈りを捧げるのである。

 冒険者ノックは、ガタガタと震えながらすがるようにして岩を握った。

 ――どれほどの時間が経ったのだろうか。

 永遠とも思える恐怖の中で、いつの間にか気を失っていたノックが目を覚ます。

「かなめ様が救ってくださったのか……?」

 そんな事を呟きながら、町の危機を知らせるためにノックは立ち上がる。

 がむしゃらに走り、森を抜けると、広い平原の先に栄えたアルダンの町が見えてきた――と同時に、彼は信じられない光景を目の当たりにした。

 地平線の彼方に現れた魔物の群れ、群れ、群れ。

 空には黒い雲のようになった虫の大群。地上には様々な獣型の魔物が並び、中には複数匹のレギュルスの姿も確認できた。


「た、大変だあッ……!」


 とても町の防衛網では守りきれない。そう確信するノックは、全速力で町へと戻ったのだった。


◇◇◇◇◇


 エシュドワールが何かに勘づき口を開く。

「町に魔族が攻め入る予兆があります」

 それを聞いた魔王の表情がたちまち曇った。

「どこの軍じゃ?」

「恐らく、第3位と第6位かと」

 虫と獣か――と、唸るように腕を組んだ魔王は、しばらくしてニッと笑った。

「なにが目的か知らんが、妾の縄張りを狙うとはいい度胸じゃ。信仰を失うわけにはいかん――〝青炎の軍〟を出すぞ」


◇◇◇◇◇


 人々は絶望の淵に立たされていた。

 今や約20,000人が暮らすアルダンの町。

 町を守るおよそ2,000人の兵士達は、眼前に迫る数万を超える魔物の群れに戦慄していた。

 それもただの魔物ではない。

 伝説級の魔獣や幻獣、人を最も殺した虫の大群――つまり魔王の軍が、迫っている。

「おお、かなめ様……我らをどうかお救いください……」

 人々は町の中心にある岩に祈った。

 いまや町の神として崇められる偉大な岩だ。

「今回ばかりはかなめ様にも無理じゃぁ」

「魔族は襲った町の人を残らず食うらしい」

「もはや逃げることもかなわん、諦めよう」

 すでに戦意を失っている者も多い。

 そんな中だった――

「か、かなめ様!」

「な、なんだアレは……!」

 岩が突如として青色の炎に包まれた。

 やがて炎はいくつもの人の形を成してゆく。

 一歩、踏み締めるたびに炎が鎧となる。

 一歩、踏み締めるたびに炎が武器となる。

 炎から生み出されし人型は立派な甲冑を着た騎士の姿となり、町の外へ行進する。

「か、かなめ様が助けてくれるぞ……!」

 町の人々は涙を流し、炎の騎士達を見送った。

「な、なんだこいつらは!」

 地平線にひしめく魔族の軍勢に体を震わせていた兵士は、町から現れた騎士達を指差した。

 体に青色の炎を纏いしその騎士達は、町を囲うようにずらりと隊列を組む。

 凄まじい数である。

 正確には測れないが、およそ10万はいるだろう。

 信仰心の兵――それは信仰の魔王の保持する唯一にして最強の軍隊。これらは実態を持たず魔力のみで形成された思念体であるが、その強さは〝信仰心〟と比例する。人々がその時に抱いていた悲しみ・喜び・恐れといった感情が、そのまま兵士の強さに直結する。

「小賢しい僻地の最下位が!」

 激昂する虫の魔王が合図を送り、第2位第6位魔王連合軍が侵攻を始める。対する青い炎の騎士達もまた、主人の号令によって進み出す。

『虫と獣は根絶じゃあ!!』

 アルダンの民が見守る中、魔王軍対魔王軍の戦争が始まった――しかしその戦争は一刻と立たずして終結してしまう。

 圧倒的な戦力差でもって青炎の騎士達が魔族を退けたのだ。

「なぜ序列7位がこれほどまでに強い!」

「虫、一旦退却だ!」

 尻尾を巻いて逃げる魔王連合軍。

 町民の割れんばかりの歓声が響いた。

 これは、のちに〝アルダンの奇跡〟として永劫歴史で語られることになる。そしてこのアルダンの奇跡によって〝かなめ様〟を信仰する人間が爆発的に増えていくキッカケとなったのだった。


 戦争中、信仰の魔王――


「おお! 見ろじい! 旦那の10股が発覚し怒り狂った宿屋のソフィアの炎が一番強いな。すでに一人で30の魔物を倒したぞ!」

「やはり女子おなごの恨みが一番恐ろしいのでしょうな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人々に愛された魔王のおはなし ながワサビ64 @nagawasabi64

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ