第三話

「愛野さん、あなたいくつか嘘をついていますよね?」


 女は、大きく口角を上げながら、紅茶を飲んでいる。


「しばらくお手洗いにこもっていたから心配していたんですよ?…なぜそうお思いに?」

「ついてる嘘は2つ。名前と、出身地」


 女は、目尻にも、さっきより深く皺を伸ばした。


「トイレに置いてある芸能人の日めくりカレンダー。あれは僕の地元でしか売られていない、方言が使われているご当地の限定モデルです。何枚かめくって確認しました。あなたが、わざわざ僕の地元の地域を選んで買うとは考えづらい。美幸の名を知っている点からも、この説は濃厚になる。そして、名前。愛野という名字はあの地域には多いですが、全国的には珍しい。美幸の親類かとも思いましたが、葬式の時、僕は学生で、あなた位の年齢の親類は見かけなかった。整形をしていたとしても、年代はそう誤魔化せるもんじゃない。そこで、最近地元の人間と話した時のことを思い出したんです」


 頷きつつも、女は表情を変えないまま、黙って話を聞き続ける。


「美幸の死に、他殺の線があると。遺体の状態がおかしかったと。僕もそれを聞いた時は、今更と思いましたが、美幸と仲の良かった人物のことを考えると、怪しい者が1人居た。美幸と付き合いだした当時、僕と付き合ってから様子のおかしくなった友人が居る。そう美幸は言っていました。あなた、美幸と同級生の佐藤伊織さんですよね?」


 カチャンと、Tカップを置く音が響いた。


「ここからは僕の予想です。あなたの目的を考えてみました。わざわざ、僕の隣の部屋に引っ越してきた目的。声をかけたのはたまたま僕の方でしたが、何かあるはずだ。思い返せば、菓子折りを持って挨拶に来るなんて、今時不自然です」

「目的だなんて、たまたまですよ」


 そんなわけがない。この女が佐藤伊織で、親友の元彼の隣にたまたま住むなんて天文学的確率だ。ましてや、地元を離れた東京で。そもそも美幸の名を出した時点でそれは決定的。絶対に目的があるはずだ。言ってやれ。


「あなた、ひょっとして、学生の時から僕のことが好きだったんじゃ?」


 女はこらえるように口角を絞りながら、限界まで目尻に皺が生んだ。


「美幸があなたのことをおかしいと言い出したのも、僕と付き合ってからでした。あなたは僕のことが好きでありながら、美幸が僕と付き合い出し、美幸を憎み始めた。どんな手段かは知らないですが、それなら美幸を殺害する理由にもなる。そして整形し、名前も偽って、再び好意を寄せる僕の元に近づいて来た。愛野という名前なら、僕はどうしたって意識する。さっき言っていた、悲しい振られ方というのも、付き合っていたわけではなく、思いを伝えられなかったとすれば、つじつまも合います。もしこれが正しいのなら、もう嘘をつくのはやめてください。そして、真実を話してください。佐藤伊織さん」


 俺が言葉を出し切ると、女は堪えきれないといった様子で笑いをこぼし、前髪を気にしながらふうと息を吐いた。Tカップのそこが見える。Tポットにも、もう紅茶は残っていない。


「あなた、やっぱりすごいですね。自惚れすぎですよ。まあ、美幸もよく言っていましたし、地元でも有名でしたもんね。自信家で、自分がこうと決めつけたら周りが見えなくなる」

「どういうことですか?」

「なまじ、外れきってもいないから、そう信じちゃうんでしょうね。カレンダーか。あれは、美幸と一緒に買ったから捨てられなかったんですよ。でもこんなに早く、ばれてしまうなんて。まあ、私の目的はついさっき完遂したので、もうどうでも良いですけどね。まさか、漫画を買ってくるなんて思いませんでしたけど」


 もう漫画の話になんて戻ることはないと考えていたが、思いもよらぬ方向からその話が飛び出した。やはりこの女、バカではない。しかし、なんだ。何かまだ見落としてることが。


「気づいていたんですか」

「あなたが捨てたゴミの中身は初めて漫画の話をした時に確認してましたから。ビニール袋ばかりが入っているゴミ袋。まあ、当たり前と言えば当たり前なんですけど。そこに、古本屋のレシート入ってましたよ」


 あの時のゴミ出しで、そこまで目を通していたのか。しかしそれだけの理由で、ゴミ袋から持ち主を割り出せるのか。


「大きな勘違いを訂正するなら、私が好意を持っていたのは美幸で、憎んでいるのはあなたです」


 女の口元が均一になり、目尻の皺も消えた。


「…私ね、美幸のことを愛していたんですよ」


 クッキーの皿と、2人分のTカップとポットを手にとって、女がキッチンへと向かう。


「本当に…心から愛していました。私と美幸は小中高と同じ学校で育ちました。思いを伝えたのは中学の頃で、最初は美幸も戸惑っていましたが、次第に受け入れてくれるようになった。体の関係こそまだだったけれど、それ以外の行為も徐々に増えていた。あなたには、ファーストキスだと伝えていたようですけど。そのころからですよ。…おかしくなったのは、私ではなく美幸の方です。あなたと付き合う以前の美幸は、もっと強くて、凛々しくて、芯のある女性だったんです。それこそ、自殺なんて絶対にしないような」


 さっきとは打って変わって、シンクに流れる水の音のように、女は抑揚のない声で話し続ける。俺は女が居なくなった椅子をただ見つめていた。


「その原因が、俺にあると?」


「いえ、自殺の理由は、私にも教えてはくれませんでしたから。何を思ってかは最後までわかりませんでした。ただ、あなた私の顔を見ても何か気づかなかったんですか?」


 芸能界にいてもおかしくないとは思ったが、…誰かに似ている?誰だ?俺の知っている人物なのか。


「フレグランスというバンドは、美幸に教えてもらったんですよ」


 バンド?確かにフレグランスは、美幸に聞いて知った気がするが…、それと何の関係がある。あのバンドは男だけで構成されていたはず…。待て、確か昔に、


「本当に何も気づかないんですね。昔のことを忘れやすいのはあなたの方じゃないですか」


 水の音が聞こえなくなって、ようやくシンクの方に目を向けた。女の口角が少しだけ上がっている。


「フレグランスのボーカルと不倫関係にあったモデルの卵が、昔居ましたよね?そのモデルに美幸は心酔していた」


 思い出した。確か、ティーン向けの雑誌によく出ていて、広告でもたまに見かけた。でもそのスキャンダル以降、全く露出が無くなってしまったような。


「以前の美幸は、流行や世論に左右されない女性だったんです。しかしあなたと交際してから、女子らしくならなければと、見向きもしなかった雑誌やSNSをチェックするようになって、ファッションはもちろんのこと、口調や立ち振舞まで変わってしまった。そして、その見返りを求めるように、あなたとそのモデルに依存していきました」


 女が手を拭き終えて、再び椅子に腰を下ろした。口元は緩んでいるのに、目に皺がない。


「さぞショックだったんだと思います。モデルのスキャンダルと、あなたからの別れ話が出てきたのはほぼ同時期でしたから。彼女の心を支えていた柱が、一度に折れてしまった。当然、私がその柱になろうとしましたけど、もう手遅れでした。あなたは、私の恋人であった美幸、私が愛していた強い美幸、そして美幸の命までも奪っていったんです」

「待ってください」


 流石に反論せずにはいられない。それに肝心のことは口にしないままだ。


「確かに別れ話を切り出したの俺だが、俺なりに誠実に対応したつもりだし、自殺と結びつけるのはあまりにも強引だ。美幸の死は俺だってショックだった。それに、モデルの顔に似せて整形した理由もよく分からないし、美幸の事と、あなたが僕に近づいてきたことがどうにも結びつかない。復讐が目的なら、俺の命を狙えるタイミングなんて山程あったでしょう?でも、俺はこうして生きている。それもあなたの部屋で。それなのにあなたは先程、目的は完遂したと言った。一体どういうことですか」

「随分と流暢にお話されますよね。その立つ口に美幸も誑かされたのだと思うと、不憫でなりません」


 この女を手に入れることは、もう不可能だろう。それでも、ここまで聞いてしまった以上、この席を立つことは出来ない。


「美幸はあなたと付き合ってから、あなたと1つになりたいと言うようになりました」


 …言っている意味がよく分からない。


「ご存知無いのかもしれませんが、体の関係はありましたよ」

「そういう意味ではありません。本当にあなたと1人の人間になりたいという意味です」


 ここまできて、真意を伝えないということはないだろう。とすれば、本気で言っているのか?そんなことを?


「中学の頃は、私と1つになりたいと言っていたんですよ。お互いにね。簡単に体の関係を持てない私達だからこそ、そんな願いを持つようになったのかもしれません。しかし、その願いは叶わないまま、美幸はあなたと交際を始めた。思い出してください、美幸は1つになりたいと、あなたにも伝えていたはずです」


 言ってはいたが、誰がそんな意味で捉えるんだ。あれは心が繋がっているという意味、もしくは、文字通り体が繋がっているとかで、そんな品の無いことを言うのかと、意外に思った記憶はあるが。


「しかし、あなたはその真意に気づくどころか、汲み取ろうとさえしなかった。美幸はどうすれば伝えられるのかを悩んでいました。でも、それは私も似たようなものです。美幸の願いよりも、私の願いを優先してしまった。だから、死ぬ直前に、美幸の血液を大量に採血したんです」


 女がクスクスと笑い始めた。注射痕の跡はこの女が作ったものだったのか。ちょっと待て、だとすれば、もう完遂したという、俺に近づいてきた目的。それに1つになるということは、


「美幸は渋りつつも同意してくれました。私の思いを裏切ったという負い目と、自殺を決意しながらも、この世に少し未練があったのかもしれません。美幸の死後、私は彼女の血液を少しづつ口にしながら、美幸が憧れていたモデルに似せて整形しました」


 女の語気と笑みが、段々と強くなっていく。ようやく目にも皺が生まれた。


「彼女の思いと、血液と一緒に生きていこうと決めたんですよ。こうすれば、美幸は私の体の中で永遠に生き続けるし、憧れてたモデルの一部にもなれて幸せだろうって。これでようやく美幸と1つになれたんだって。でも最近になって思い出したんです。美幸の本当の願いを」


 キッチンへと女が歩き出した。俺も釘付けになったようにそれを目で追っていく。もうクッキーを乗せた皿に、Tカップとポットはキレイに洗われている。


「紅茶が赤すぎるとは思いませんでしたか?それから美幸にあなたの好物を聞いていたのも好都合でした」


 女が冷蔵庫を開いた。


「アプリの配達サービスは全員が個人事業主。あの家の住人はこうだとか、普通の配送業だと共有される情報が共有されないんです。だから、不自然に思われることもなく、置き配に設定されているのにも関わらず、アパートのエントランスであなたが頼んだ商品を受け取ることができた。配達員側に、頼んだ側の顔なんて分かりませんから。それから、事前に用意していたあなたの好物の中から、同じ商品を選んであなたの部屋の前に置けば、あなたは私が用意したものを食べることになる。美幸の血液が染み込んだものを」


 その中には、大量のハンバーガーやカツ丼などの俺の好物と、赤く染まりきった空の冷水筒が4つ。


「そして、今日の紅茶で完了です。願いは叶いました。これでようやく美幸はあなたと1つになれたんです。それから、私があなたの情報を得れたのは香澄さんのおかげです。整形に興味があったみたいで、知り合いの整形外科を安く紹介したらいろんな事を話してくれました。その時に話の流れであなたと美幸との関係も話してしまいまして。香澄さん、お喋りですからね。噂が広まってるかもしれません。例えば彼女のお父さんを通じて、美幸の御両親なんかにも」


 どこかの扉が、バタンと大きな音を立てた。

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愛憎の配達員 谷 友貴 @taniyuki

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