瞼の奥の君の海

茶飲用 急須

瞳の奥の君の海

登場人物


会田 空(あいだ そら)

目が見えない

体が弱い

孤児である

海の景色が見えている


空の前に現れたらしい猫


恵(めぐみ)

空を担当している介護士



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



(木々の葉が風で擦れる音)

「風…気持ちいい…」


『にゃー』


「ふふっ、君もそう思うかい」


『…。』


「…よし、行こうか」


『にゃー』


「ん?こっちは違うの?

えーっと、、こっち?」


『…』


「…あっちかな?」


『にゃー』


「ん、わかった」


『…。』


「…。」


「それにしても、

こんなに歩いたのは久しぶりだよ。」


「ずっと施設暮らしだったから

もっと動けないものだと思ってたけど、

歩けるもんだね。散歩って大切。」


『にゃー』


「…なんかね。目の病気だってさ。

遺伝がどうとか言ってた。治らないらしいよ」


「わたし、身寄りがないからさ。

誰かの手を借りないと生活出来ないんだ。

だからあそこにいる」


「君は?

君はどうしてわたしに会いに来たの?」


『…』


「教えてくれないんだね。

ま、そりゃそうか」


「わたしは嬉しかったよ。

君が会いに来てくれたから

こうやって外に出られた。」


「君はわたしに会えて嬉しい?」


『…』


「教えてくれないんだね。

…そりゃそうか」


「…。」


『…。』


「…。」


『…。』


「…風が強い」


『にゃー』


「…誰かいる?」


『にゃー』


「か、隠れなきゃ、でもどうしよう。」


【空さーん!どこですかー!

いたら返事してくださーい!】


「恵さんだ、どうしよう。えっと、えっと」


『にゃー』


「えっ?そっち?」


(声が遠のく)

【空さーん!いたら返事してくださーい!!】


「……来ないや。

目が見えてても

案外見えてないものなんだね。

それとも大きい声だったから

近くにいた感じがしたのかな。」


『にゃー』


「…あっち?わかった行こう。

ここにいたら見つかっちゃうかも」


『…。』


「…。」


「…わたしね。最近になって

目の奥に見えるものがあるんだ」


「海。

砂浜と、綺麗な水平線がみえてる」


「今日はいつもよりちょっと荒れてるかも。

台風でも近づいてきてるのかな」


『にゃー』


「そっち?わかった。」


「…。」


『…。』


「わたしさ。今まで外に出るのが

怖くて仕方なかったんだ。」


「でも、海が見えるようになって、

海の大きさとか、力強さとか、美しさとか。

海を見たの初めてだったからすごく興奮した」


「不思議だよね。

海なんて見た事ないのに、

これは海なんだって分かるんだ」


「みんなにね、話したんだ。

でもみんな話をはぐらかしてさ。

わたしの心配ばっかして

話を聞いてくれなかった。」


「わたし、興奮すると苦しくなっちゃうから

それを心配してくれたんだってわかってる。

でも、なんか、ね。」


『…』


「…。」


『…』


「どんどん風が強くなる…。

君は大丈夫?」


『にゃー』


「…こっちだね。」


「……ほんの少しだけど、怖いかも」


『にゃー』


「…ううん、行くよ。

行くって決めたんだ。

わたしが、決めたんだ。」


『にゃー』


「…ありがとう」


『…。』


「…。」


『…。』


「…。」


『にゃー』


「下から声。…階段?解った。えっと…」

(杖を当てて段差を確認しながら降り始める)


【にゃー…】


「ちょっと、待っててね。ゆっくり、行かないと」


【にゃー…】


「あんまり、急かさないで、っ、風が、あっ!」


(浜辺へ降りる階段から転げ落ちる)


「…。」


「…。」


「…う…」


「何が…落ちた?…つっ!身体が痛い…」


「…あれ、なんだこれ…」


「動いてる…景色が、動いてる」


【にゃー…】


「はっ!どこ?どこにいるの?!」


【にゃー…】


「行かなきゃ、っ!痛い…」


「…行かなきゃ、行かなきゃ」


【にゃー…】


「会いに行くんだ、君に、会いに行くんだ」


「はあ、はあ、はあ、痛っ!…クソッ!」


「はあ、はあ、はあ、はあ」


【にゃー…】


「はあ、はあ、近い、どこ…」


【にゃー…】


「あっちだ…!」


(這いずりながら、とうとう鳴き声の元へ)


「はあ、はあ、はあ、つ、ついた、はあ、はあ、」


(仰向けになって)


「はあ…はあ…」


「やった…はは、やっとついた…」


「…ねえ、やったよ。わたし、ここまで来れた」


「やっと君に会える…」


【…。】


「なんかわかんないんだけどね、海が動いたんだ。

もしかしてこれって、見えてるって事なのかな。

もしそうだとしたら、君の姿も見られるのかな」


【…。】


「だとしたら、嬉しいなぁ…」


【にゃー…】


(返事に嬉しくて急に身体を鳴き声の方へ向ける)


「っ!君もそう思…痛っ!!」


「…つつっ、忘れてた、身体痛いんだった…」


「身体はこんなんだけどさ、やっと会えるよ。

…いま、そっちに行くね」


「はあ…はあ…ふう…よし」


「…こんにちわ。わたしは会田 空。

ずっと君に会いたかっ……え…」


【にゃー…】



私は泣いた。

冷たいからだと

まだ温かい命を抱いて

泣いて

泣いて

泣きじゃくった。


その声を聞きつけたのか、

しばらくして恵さんが駆けつけてくれた。

私を見た恵さんは、

何も言わずに、そのまま抱きしめてくれた。

私はそのまま病院へ運ばれた。

その間も恵さんは

私達3人を抱きしめ続けてくれた。

温かさとつめたさとがごちゃ混ぜになって

私はずっと泣き続けた。


病院の検査の結果、打撲のみの軽傷で済んでいた。

そして、目が見えていることが確定した。

皆が奇跡だと、泣いて喜んでくれた。

お医者さんは不思議がっていた。

階段から落ちたショックで、

なんて理由付けをしていたけれど、

私はそうは思わなかった。


これは間違いなく奇跡で、

あの少し傾いた海も、私が見てる景色も、

全て君がくれたものなんだ。


あれから20年が経った。

ここまで来る為に色々と頑張った。

まずは見えるものとその名前を

結びつけることから始まった。

衣類、食料、住んでいた場所、他にもいっぱい。

世界には色が溢れていて、まさか食べ物まで色とりどりなのには驚いた。特にインターネットで調べてもらった時に出てきた海外のスイーツはすごかった。赤、ピンク、黄色、橙、水色、青、この世の色が全て詰まっているようで心踊った。この旅でお目にかかれるだろうか。楽しみでしょうがない。

住んでいる施設が思ったよりも大きくて驚いた。

建物の1階はある程度歩いていたようだが、上の階があるなんて。しかも2つ分!

私が散歩してた場所は限られていたと知った時の悲しみは今でも忘れられない。

逆に私達が拾われた場所が思ったよりも近くて拍子抜けした。確かに今考えると、施設内をぐるぐる散歩していた距離とあまり大差ないように思う。

あの時見つからなかったのは何故なのだろう。

もしかして君が何かしたのかな。

答えが出ないことばかりだ。

いや、わかっていることもある。

私にとってあの出来事は、間違いなく大冒険だったということだ。


小さな大冒険でも多大なる迷惑と心配をかけてしまったことに変わりはなく、今でも恵さんには頭が上がらない。あの時恵さんに見つけてもらえて、本当に良かったと心から思う。もしあのまま見つからなかったら、私は君とあの子と一緒にあそこで泣いたまま朽ちていただろう。まあ言い過ぎだとは思うが、それくらいの心持ちだったのだ。

恵さんは目が見えるようになってからも親身になって私を気にかけてくれた。色々なものを見せてくれ、色々な場所に連れていってもらった。

あの海外のスイーツを見せてくれたのも恵さんだ。一緒に食べようと言ったら何故か【私は遠慮しておくわ】と断られてしまった。色がどうとか言っていたが、一言【気になるのなら食べに行ってみれば良いよ】と言ってくれた。


身体を強くすることにも努めた。

リハビリから始まり、プールにウォーキング。

激しい運動は出来なくても、少しづつ少しづつ、積み重ねて積み重ねて、体力をつけていった。恵さんも付き合ってくれた。無理しそうな時はちゃんと叱ってくれて。登山をして、無事山頂に到着した時は抱き合いながら泣いて喜んだ。


そんなある意味大冒険だった20年を、あの子とも一緒に歩んできた。恵さんと一緒に施設の人に頼み込んで、使われていない小屋を丸々あの子の部屋にしてもらい、恵さんや施設の人達に手伝ってもらいながら小屋を改造した。

ほぼ毎日遊びに行った。もちろんお世話も。

あの子は好奇心旺盛だった。なんでも好き嫌いなく食べるし、誰にでも近寄っていくし、どんな物にも興味を示した。

なのに何故か、外を嫌った。

いや、なんとなくわかる気がする。

海は怖いところだろうから。


あの子は天寿を全うした。

零れる涙と冷たくなった身体は、

あの体験と重なって。

視界に入れるのが、怖くて、苦しくて。

でも、あの子の顔を見た時

温かい色々が溢れて止まらなかった。

泣いて

泣いて

泣きじゃくったけど。

悲しいがいっぱいで。

幸せもいっぱいで。

ありがとうもいっぱいで。

ごめんなさいもいっぱいで。

あの子の安らかな死に顔を見られたこと。

あの子と出会えたこと。

君と出会えたこと。


嬉しいと思ったんだ。

今までの色々が嬉しいと思ったんだ。

この気持ちは不謹慎だろうか。

間違っているだろうか。

私には分からない。

分かることといえば

あの子を愛していたこと。

あの子が私を愛してくれていたこと。

あの子が愛してくれた私を愛せていること。


私は旅行することを決めた。

世界中をまわるのだ。

色々な色を見せてあげるんだ。

あのスイーツだって食べてみたい。

画像でしか見たことの無い建物を見たい。

世界の山に登ってみたい。

私たちでめいいっぱい楽しむのだ。

そうすればあの子も

海を好きになってくれるかもしれない。


これは私のエゴだろうか。

私の身勝手だろうか。

私には分からない。

分かることといえば

瞳の奥の君の海が

輝いていることだけだ。

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瞼の奥の君の海 茶飲用 急須 @kyusisu

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