モテることが当たり前である男というものの描き出し方が怖いくらい上手い
キャラクターの紹介が一気に雪崩れ込んできましたが、それぞれにキャラが立っていて、小説の流れに合わせながら語られていくので、まるで読者もイベントに訪れてアーティストの紹介を聞いているかのようなワクワク感がありますね。
さて、今話ではナクスさんの影がそこらじゅうにちらつき、カハルさんの視点がアヲイさんたちを捉えます。こういう風な繋ぎ方、アツいですね……! それに、カハルさんの問いに対するアヲイさんの回答、とても素敵ですね。ここらへんは直後のトワさんのパートにも一種の答えを出している感じがするんですが、「ここにいていい」って言ってくれるユーヒチさんが、止まり木になってくれるユーヒチさんがいるから、「取り残されていく」ことはないし、紙一重で、かつ根本的なところでトワさんとは、違う。
また、演奏の描写も素敵でしたね。演奏が始まる直前の「蓮の花が広がっていくように」という比喩、かなり神秘的で強烈な喚起力をもつと思うんですが、ここの静かな盛り上がりに伴う形で語られるので、文章が比喩に負けていない。とても心地よいイメージが浮かび上がります。
そこから、ウソ記憶も含めた様々な記憶、それぞれの意識、果てには名も知らぬ少年の視界までもが混じり合う演奏の描写に入っていくわけですが、ここもトワさんとは違う感じがしますね。彼を、そして彼の音楽を理解してくれるひとはそこにはいない。けれど、アヲイさんは「ガロウにはアヲイの言いたいことが分かった。ガロウに分かるということがアヲイには分かった」というように、孤独ではない。
『感傷的なシンセシス』では、登場人物たちの対比が重なり合うように、響き合うように描かれていきます。クロスフェードがとても巧みなんですよね。読んでいてとてもワクワクします。
一方、リョウさんにとっては今回のライブは心情面白くなく、穏やかなものではない。アヲイさんが自分のもとから離れて、手の届かないところに行ってしまうようで。本当に、本当に、この方は、自分自身の性質にさえ恋路を阻まれてしまうのが、もう。今の彼女のほとんどを占める存在を失いかねないわけですから「やめなよそんな言葉、と自分に言い聞かせても、止めることができない」今回、彼女の敗北や孤独が余計に印象付けられることになりましたね。ままならないものです。
また、ナクスさん、彼女の存在も印象的でした。「――わたしがいなくなったら、もう、だれのこともすきにならないでね」ユーヒチさんの三十四歳の女性との交流は、この言葉の陰の下にあるなあ、と。ナクスさんと彼の出会いも、別れも、本当に一瞬の偶然のようなものであるのですが、彼女の影はずっとちらつき続ける。
けれど、彼女の言葉が呪縛のようであるとは思えないんですよね。というより、幸福の絶頂にあって溢れ出た言葉のような。そう感じるのは、彼女のキャラクターと、アヲイさんが彼女にギターを教えてもらった記憶の描写のおかげかも知れませんね。
とにもかくにも、続きが気になる第5話でした。
作者からの返信
カハルの「アタシはここにいたいからここにいる」と、アヲイの「私はどこにもいないから、どこにでもいられる」は、完全にヒロインとして対比になるように考えていました。
ところで、アヲイにはユーヒチがいるように、トワにはレインがいるはずなのですが、どうしてレインはトワの止まり木になれないのか……これは作者にも分からない謎ですね。
それにしても、作者のリョウ虐が止まらない感ありますね(まあ全部のキャラに対してそうだろと言われたらそうですが)
ナクスは最初からずっと出そうと思っていた子でした。幽霊の話が好きなんですよね。
ネネネは自分の道を自分で選びましたね。他の道もすごいことがわかっている。それでも古典的理論をネチネチ学ぶ。自分はコレというものがなければ負ける資格もない。最後まで自分はコレと喚きながら闘ってほしい。Rock’n Roll
作者からの返信
ありがとうございます。ネネネはかなり自然体で書くことができたキャラクターです。