第2話 再会(2)
クレイドはリェティーを守るという強い気持ちを奮い立たせると、マリアムに向き直った。
「私はクレイド・ルギューフェと申します。……失礼ですが、あなたこそイルスァヴォン男爵に何か御用ですか?」
マリアムの視線がリェティーからクレイドに移動する。
「申し訳ありません、あなたに名乗らず話を進めるのは失礼でしたね。私はウェリックス公爵夫人のマリアムと申します。この子は娘のティフェーナ。私はリェティーの叔母です」
――リェティーの、叔母……。
その真偽は遅かれ早かれ確かめねばならないことである。
クレイドは顔を引きつらせて目礼すると、確認の意を込めて挨拶を述べた。
「はじめまして」
マリアムは咄嗟に言葉を返す。
「お久しぶり、ですね。あのときは無事に屋敷を出られたようで安心していたのですが、主人が大変なご迷惑をおかけしたようで申し訳ありませんでした」
すべての状況をマリアムが把握していることを知り、クレイドは今さら取り繕う気もなく、堂々と眉を寄せて視線を横に逸らした。それに、夫人に謝られても赦せる程度はとうに超えており、彼女の謝罪の言葉がクレイドの心に刺さることはなかった。
上着の裾を引っ張られる感覚にクレイドが振り返ると、リェティーの大きな瞳が自分に向けられていることに気がついた。
「お兄さま、私がお話します」
リェティーは申し出ると、クレイドの前に歩み出てマリアムに向き直った。身長差のある二人の目が一直線にばちりと合う。
「叔母さまは誰の味方ですか?」
「もちろん、私はいつでもあなたの味方よ。ずっと心配していたし、あなたに会いたいと思っていたわ」
心配していたと言うわりに、マリアムの言葉には感情が乗っていなかった。それはまるで繰り手を失った人形のようで、リェティーはその違和感に表情を曇らせた。
「……叔母さま。叔母様は、なぜここに来たのですか?」
「用事があったの。できることなら今すぐにあなたとお話したいのだけれど、今すぐにでもアンドレに話さなくてはならないことがあるのよ。……ああ、アンドレというのは私の義弟で、アンドレ・ウェリックスと言うのだけど……」
――ん?
クレイドは聞き覚えのある名前に顔をしかめた。
アンドレはイルスァヴォン男爵の使用人のはずだ。会ったのは一回だけであるにもかかわらず、とりわけ真面目で優しく、穏やかな人柄が思い浮かぶ。
まさか、彼がウェリックス公爵の実の弟? ――いいや、とクレイドは首を横に振った。もしそうだったとして、今さら驚くことだろうか。それを考えるならば、あの豪快なミセス・ヴェルセーノが公爵の姉という事実も相当驚くに値する。
「叔母さまの用事はわかりました。ですが、申し訳ありません。私たちは男爵に急ぎの用事がありますので、これ以上のお話はまた今度でお願いします」
リェティーの態度はいつにも増して毅然としていた。クレイドは簡単には流されない妹の態度に安心感を覚えていたが、これ以上の会話は確かに避けたいところである。
心を開く気のないリェティーの態度に焦りを感じたのか、マリアムの様子に変化があった。目を伏せて、まつ毛を揺らしている。
「ごめんなさい。でも、誤解しないでほしいの。私は本当にリェティーの味方なのよ。私がここへ来たのは、あの人への反抗。私にも同じく時間がないの、だから早くアンドレに伝えたくて。早くしないと、お義姉さんが……」
お義姉さんという言葉に、クレイドは眉をピクリと動かした。前のめりに身体を傾倒させて、咄嗟に口を挟む。
「イゼルダ・ヴェルセーノのことですか? 今、彼女はどうしているんです? 一体どんな――?」
マリアムがクレイドに寄って両腕をぎゅうと掴んだ。
突然のことで、クレイドは驚いて小さく息を飲んだが、彼女の瞳に人間らしい哀しみの色が混じっていることに気がついて、クレイドは口を閉ざした。
「……よく聞いてください。今、あの方は軟禁されています。今日の夕刻、広場で罪を告知されるでしょう。……ですが、私には止めることができないのです。唯一の方法として、ウェリックス家の毒に染まっていないアンドレに相談しに来たのです」
「あなたが止められないものを、イルスァヴォン男爵に仕えているアンドレさんが止められるとお思いですか?」
クレイドは失礼も承知で、厳しい目でマリアムを見た。
本当に公爵を止めたいと思うのなら、もっと早く行動できることがあったはずである。あの男にもっとも近い場所にいたはずのマリアムが、一体今まで何をしていたというのか。
すると、クレイドを掴んでいた両手から力が抜けて、ゆっくりと下へ落ちていった。
マリアムは人間らしい虚ろな表情をしていた。
「私はアシルの妻ですが、所詮はよそ者なのです。どうしても、変えることのできない現実があるのです」
クレイドはマリアムに憐憫の眼差しを向けた。
彼女はもう自らの正義も失い、戦意喪失して諦めているのだ。彼女の背景にあるものは、ウェリックス公爵への絶望か、恐怖か、それとも――。
いずれにせよ、クレイドには今すぐに確認しておかなければならないことがあった。
リェティーの味方だと言うのなら、その根拠を今ここで聞いておかなければならない。それがたとえリェティーの血縁である叔母であってもだ。
「一つ、教えてください。リェティーの今までの苦労を、あなたは一切知らなかったのでしょうか。……要するに、あなたは見て見ぬふりをして、ウェリックス公爵の暴走を止めなかったわけではないのですか?」
マリアムは目にじんわりと涙を滲ませると、首を何度も横に振る。
「……私は本当に何も知らないのです。今、この瞬間も。ですから、全てを教えてほしいと思っています。もしも今の状況を変えることができるなら、何でもするつもりです」
彼女の言葉に嘘がないことを確かめるように、クレイドはリェティーと顔を見合わせてうなずき合った。
「分かりました。その言葉を信じます。……リェティーとイゼルダ・ヴェルセーノを救うための作戦に、あなたも協力していただけませんか」
マリアムは虚ろに目を伏せながら、口角をわずかに上げると、視線をクレイドに向けた。
「きっと、その代償は反逆として大きくつくのでしょうね。……でも、分かりました。私にできることはあるのですか」
「あります。今から同じ相談をイルスァヴォン男爵に持ちかけるところでした。アンドレさんにも同席していただいて、今からお話を聞いていただきましょう」
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