第3話 貴婦人の告白(1)

 イルスァヴォン男爵邸で最初に出迎えた人物は、若き使用人サリムであった。マリアムの姿を見た途端、これはただ事ではないと感じ取ったのか、早急に男爵に取り次いでくれたのである。


「こちらへどうぞお越しください。ご案内します。……まさか、クレイドと一緒に来られたのがマリアム様とティフェーナ様とは、本当に驚きました」


 伯爵家長男であるサリムの人を選んだような客人対応には、クレイドも苦笑せざるを得なかった。


「ご無沙汰ですね、サリム。アンドレからあなたのお話はよく聞いていますよ」

「あいつが勝手に僕の話を……?! いや、でも、マリアム様になら……。そ、それにしてもクレイド、そっちの子供は誰だ?」


 妙な対抗心を持たれているのはまだいいとして、クレイドはリェティーのことを呼ばわりしたことに不満を抱いた。公爵家出身の年長者アンドレのことをと呼ぶのも如何なものだろうか。

 あの男爵のそばに居ながら、なぜこんな態度になるのだろうかと疑問が浮かぶ。


 クレイドが何か一言くらい物申そうかと思っていると、前方を歩くマリアムが口を挟んだ。

「この子は私の姪ですよ」

「なっ……?!」

 かなりの衝撃を受けたのか、サリムは一瞬足を止める。それ以降、口を閉ざしてしまった。


 男爵が在室する部屋の前に到着すると、サリムがしどろもどろになりながらも誠意を見せた。


「そ、その……。さ、先ほどは無礼な対応をして申し訳なかった。……男爵は何でも協力すると仰っている。僕たち使用人一同も、そのつもりだ」



 ***



「やあ、クレイドくん。皆さんも、よく来てくれましたな。私でできることなら、全力で協力いたしましょう」


 突然の訪問にもかかわらず、イルスァヴォン男爵は客人四名を柔らかな笑みで温かく迎え入れた。


 男爵との打ち合わせには、ウェリックス公爵の実の弟であるアンドレが同席した。

 クレイドが今置かれた厳しい状況について、包み隠すことなく説明すると、その場にいた大人は衝撃を受けて唸らずにはいられなかった。

 ウェリックス公爵の告示の期限が夕刻に迫り時間がないことや、イゼルダ・ヴェルセーノのみならず、ここにいるリェティーが危険にさらされていること――。


 アンドレは堪え忍ぶように眉根を寄せながら、震える声で「申し訳ない」と言うなり、椅子から立ち上がった。腰から深く頭を下げて、震える声で話し始める。


「詫びても詫びきれません。私の言葉など償いにもならないと思いますが、黙っていられぬ私をどうかお許し願いたい……。誠に申し訳ありませんでした。兄を野放しにした責任は、私にもあります」


 見ていて居たたまれないほどにアンドレは精神衰弱していた。

 彼が謝罪を代弁することなどクレイドも当然ながら望んでおらず、事実確認と情報共有だけで、これほどまで責任を感じてしまうとは思ってもいなかった。彼の持つ責任感や正義感をアシル・ウェリックスがほんの少しでも持ち合わせていたのなら――と思わずにはいられない。


 クレイドは正解の対応が分からないまま、自身も立ち上がってアンドレを見た。

「頭を上げてください、アンドレさん。あなたに責任などなありません。私の伝え方が悪かったのだと――」

「いえ。正直、自分の兄がこんなことをしていたと知った以上、私自身もこの先の身の振り方を考えねばならないでしょう。この罪は必ず――」

「二人とも、お待ちなさい」

 イルスァヴォン男爵の低音の声が響いた。アンドレの頭がわずかにピクリと上がる。

「しかし、私は……」

「君は真面目すぎるのだ。罪を償うべきは君ではない、それはここにいる全ての者が分かっているはずだよ」

「はっ……」


 アンドレは項垂れたまま、崩れるように椅子に腰を下ろした。クレイドも男爵を見ながら椅子に座り直して、一旦呼吸を整える。


 マリアムが伏せ目がちになりながら、横に座るアンドレを見た。

「そのとおりです。アンドレには罪などありません。問題なのはアシルです。リェティーにまで、今さら何をしようとしているのでしょう。この子は姉ではないというのに」


 クレイドは神妙に目を細めてマリアムを見た。

 彼女はやはり何か知っている――そう思った。

 リェティーの前ではどうにも聞きづらいと感じていたところ、同じことを考えていたらしい男爵が代わりに口を開いた。


「マリアムさんのお姉さんは、リェティーさんの母親でしたな? 何かご存知なのですか」

「ええ。アシル・ウェリックスは姉のハープの音色をとても気に入っていました。だから、もともとウェリックスの屋敷に引き抜きたかったんです。でも、もちろん娘のリェティーがいたので、姉はずっと断っていました」 


 マリアムから初めて明かされる母親の話に、リェティーは目を丸くして聞いていた。もっと聞きたい、だけど怖い――そんな少し怯えた表情で。


「アシルはそれでも諦めませんでしたが、姉も断り続けました。結局はしびれを切らしたアシルの方から『刺客を送る』という事前通告が届いたのです。さすがに、これは嘘だろうと思いました。……ですが、アシル・ウェリックスは本気だったのです。おかげでフェネット家は失くなり、追われることになりました。ですが、姉はリェティーを連れて逃げたのです……」

 リェティーは大きな瞳に涙を溜めながら、マリアムを見つめて言う。

「でも、途中でお母さまは死んでしまいました。ルーバンから出発する船に乗れたのは、私だけで……」

 マリアムは目頭を押さえて、リェティーの言葉に頷く。

「……そう。私がその話を聞かされたのは、ティフェーナが生まれたあとだったの。それまで私は、姉が亡くなっていたことを知らなかった」

 そこまで話すと、マリアムは男爵の顔を真っ直ぐに見た。

「私は姉たちを少しでも遠くへ逃がしたかったのと、アシルに大きな罪悪感を植え付けたくて、自ら望んでウェリックス家の捕虜となったのです。ですが、ハープの腕を買われた私は、ぜひ妻にと言われました。当然嫌でしたが、これでいつでも反逆のチャンスができると思いました。スベーニュへ向かったであろう姉のエリーズと姪のリェティーを助けることができる――そう思ったのです」


 そして、マリアムは小刻みに震えるアンドレに目を向けた。

 顔面蒼白で、見開いた瞳の焦点が定まっておらず、見かねたマリアムがその背に手を置いた。


 突如、男爵に名前を呼ばれたマリアムは顔だけ振り向いた。

「あなたはしばらくの間、お姉さんが生きていると思っていたのですね?」

「……ええ。姉がもういないと知っていたら、私はとうに生きる気力を失くしていたでしょう。……でも、ティフェーナの存在が私の命を繋いでくれました。強く願っていたリェティーとの再会も、今日ようやく果たすことができたのです」


「リェティーがスベーニュの街のどこかで働いていると知ったのはいつです?」

 これを訊いたのはクレイドだ。

「捜索願が出されたあとです」

「あの捜索願はウェリックス公爵が出したものですよね?」

「……はい、それも事後報告で聞きました。私は一つ勘違いをしていたのです。リェティーを見つけられれば、これから私のそばで守ってあげられるかもしれないと思ってしまったのです」


 クレイドは驚いたように小さく「なるほど」と感嘆すると、意地の悪さを承知のうえで口を開いた。

「リェティーの母親が亡くなった原因がウェリックス公爵にあることを分かっていながら、あなたは公爵のすぐ近くででリェティーを守ろうと考えたのですか?」


 マリアムは身体の動きを全て一時停止させた。

 クレイドは首をすくめてマリアムを見た。彼女がどこまで考えていたのかは分からないが、リェティーのことを想った行動にしては、あまりにも自己満足すぎやしないだろうか。


「……クレイドくん」

 イルスァヴォン男爵が眉を寄せながら口を挟む。

「すみません」

 クレイドはすぐに謝ると、マリアムが「構いません」と言った。

「……申し訳ありません、私の考えが浅はかでした。そこまでリェティーのことを考えてくださるあなたには、感謝しかありません。……ありがとうございます」


 続いてマリアムに顔をじっと見られたリェティーは、背筋を伸ばしてまばたきをした。

「リェティーも、あなたといることを望んでいるのだと分かりました」

 リェティーがそのとおりだとでも言うように、隣に座るクレイドの袖をぎゅっと掴んだ。

 マリアムは少しだけ寂しそうにクレイドの方を見た。

「もう絶対にあの人を許してはなりません。そのつもりで、私はここまで来たのです」


 男爵は椅子に座る五人の顔をゆっくりと見回して、深く何度も頷いた。

「皆さん、さぞお辛かったことでしょう。……よくぞ、ここまで頑張りましたな」

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